2002
02.13

スキー入門 I : リフトはどこに消える?

スキーらかす

   お尻の穴から冷たい風がスーッと入って来る。
踏みしめていた大地に、突然ぽっかり穴があく。
確かなことをやっていたはずなのに、確かさが突然消えてしまう。
という体験をしたことがある?

  私にはある。スキー場で。

  生まれて初めてスキー場に出かけた。時は1985年の確か12月。目的地は札幌国際スキー場。家族5人、全員参加のイベントだ。

 その春に東京から札幌に転勤して、すぐに5人分のスキーセットを揃えた。
九州男児の私は、極貧生活を長く続けてきたため、それまでスキーなどしたことがなかった。一家の大黒柱である私がスキーをしない以上、その付属物である妻や子供たちがスキーなどするわけがない。

 でもなあ、札幌に来たら他にやることはないだろ? スキーをせずして、北海道の長い冬を如何に過ごす?
と哲学的思索を重ねた末の決断だった。 その割には、早い決断ではあったが。
札幌国際スキー場ツアーには、深遠なる動機と、長い準備期間があった。

  なにしろ、思い立ってから決行までに時間があったのだ。無論、準備に怠りはない。秋には、「スキー入門」「初心者のスキー」など、入門書を3冊買った。入念に読み込んで勉強した。スキー板の装着法、倒れ方、起きあがり方、静止位置からの方向転換の仕方に始まって、ボーゲンまで。重要な箇所は何度も読み返した。スキー場に向かう愛車、フォルクスワーゲン・ゴルフ(ディーゼル)の車内では、

 「準備万端整えた。矢でも鉄砲でも持ってこい!」

 と自分を励ました。
いや、励ますまでもなかった。私は自信に溢れていた。スキーたるもの、女、子供に至るまで楽しんでいるらしいではないか。であれば、知性溢れる近代人である私が入念なる準備を整えた以上、うまく事が運ぶに決まっているのである。

ミシュランのスタッドレスタイヤをはいた愛車は、1時間ほどで目的地に到着した。駐車場に車を止め、スキー板を降ろす。スキーブーツを履く。手袋をはめて、ビンディングにブーツを乗せ、体重をかける。ゴーグルを装着し、戸惑う妻、子供に的確な指示を与え、幼稚園に上がったばかりの末っ子の準備を手伝う。
どこから見ても、長い経験を持つアマチュアスキーヤーとしか見えなかった、はずである。
そして、ゲレンデに立った。

  でも、あれですな。人間というのは、立ったときに足の裏が滑ることはないという前提ですべての運動神経を研ぎ澄ましている存在なんですねえ。だから、道路に氷が張っていると、滑って転ぶ。悪くすると骨の1本や2本折れてしまう。打ち所が悪ければ命を失う。いずれにしても、足が滑るなどということは、通常の暮らしでは容認しがたい事態なのであります。

  なのに、何を好きこのんで、滑るための場所まで金をかけて出かけてくるのか。
何故に、わざわざ滑る板を足につけるのか。

 しかも、その板たるや、自分の足の7倍ほどの長さがある。それまで長い間、少しずつ成長して27cmにまで成長した足で歩いた経験しかない。それが突然、我が足は195cmに急成長したわけだ。これで、滑りやすい雪上を歩く。スキーというスポーツは、無理に無理を重ねなければ楽しめないのである。

  と気が付いたのは、初めて白雪の上でスキーを履いて0.3秒後だった。時間をかけた勉強は、深い知識は、雪上に置かれたスキー板に我が足を固定した後は、クソの役にも立たなかった
歩くことができない。滑ることができない。方向転換ができない。できないづくしである。こんなにあらゆることができない経験なんて、赤ん坊の時以来、したことはないはずである。

 おいおい、誰か何とかしてくれよ!

と叫びだしたい。

だが、我が妻、我が子供たちは、私が保護すべき対象である。リーダーたる私が恐怖心に捕らわれ、勢いで無用に彼らの恐怖感を煽っては、以後の展開が私のグリップから滑り落ちる。ここは、口を閉ざさねばならない。 我慢、である。

己と家族を叱咤しながら、平らな場所にたどり着く。着いてしまえば、私は指導教官とならねばならない。

 「転ぶときは全身で転べ」

 と妻、子供に教え諭した。プログラムは進む。片足を90度持ち上げて実行する方向転換、緩い坂での滑降訓練……。

 単純な繰り返しである。楽しみは鼻くそほどもない。だから、如何に初心者とはいえ、飽きる。1時間もすると、

 「もういいじゃん!」 

という気になる。

  人生は、見切り時が大事だ、といまは思う。もう少し、あとちょっと、という執着が思わぬ悲劇を招くのは、登山でも、魚釣りでも、男女関係でも、何度も繰り返してきたことではなかったか?

いや、それはどうでもよろしい。問題は、現場に臨むと、知識も知恵も体験もどこかに飛んでいき、役に立たなくなることである。

 あの時、勇気を持って

 「本日はこれまで」 

 と転進を決断しておれば何事もなく帰宅できていた。決断ができていれば、あの「事件」は、あの日は起きていなかった。

  決断する前に目に入ってしまったのだ。

  「ファミリーゲレンデ」

  の看板である。

  「ファミリーゲレンデ? なるほど。ファミリーと称する以上、幼い子供でも楽しめる緩い坂に違いない。我々にも何とかなるだろう」

  見上げた。確かに、立っている位置から見えるところは緩い。まったりした感じで、具合がよさそうである。これなら、今日、初めてゲレンデに立った我がファミリーでもいける!

決断は、正しい情報、その情報を生かす知識、経験に支えられてこそ間違いのないものになる。遺憾ながら、その時、私には正しい情報も知識も経験もなかった。 これを無手勝流という。無手勝流で戦争に勝利した武将はいなかったのではないか?

下から見上げる坂は、感覚的には、実際以上に緩く見える。
ファミリーとは、ある程度経験を積んだファミリーをいう。経験の全くない初心者ファミリーは、ここで言うファミリーよりずっと下級の存在なのである。
わかりやすく言えば、一家の長である私にしてからが、ここで言うファミリーの、最年少の子どもにも劣るスキーヤーだったのである。
それが現実だった。
無手勝流によって下された決断は、理の当然としてとんでもない方向に進んだ。

  「リフト券を買ってこい!」

  1時間前に、生まれて初めてスキー板をはいたファミリーが、いきなり「リフト」である。冷静にいえば「無謀」以外の何者でもない。無知とは恐ろしいものなのだ。

5人並んでリフト乗り場に向かった。先頭は長男だ。当時、小学校5年生。

  「ちゃんと座って、しっかり掴まっているのだぞ」

  私は、5歳になった一番下の娘とリフトに乗る。妻と小学3年生の長女が次のリフト。

  こうして、恐怖への旅が始まった。

  初めてゲレンデに出る、スキー初心者集団が、初めてリフトに乗るシーンを想像していただきたい。スキー経験がある方なら、初めてリフトに乗った体験もあるはずである。初体験の瞬間を思い起こしていただきたい。いかがであろう、リフトという魔物に潜む恐ろしい落とし穴にお気づきになったであろうか?

  リフトに乗る。これは楽だ。
ありがたいことに、リフトは後ろから来てくれる。リフト利用客は、リフトが膝の後ろあたりに触れた瞬間に腰を下げれば、なんなくリフトに座ることができる。誰が考えたかは知らないが、実に良くできた仕組みである。全世界のスキー場に普及したのもむべなるかな、と感動すら覚えてしまう。我々家族5人も、初心者であるにもかかわらず、無事リフトに乗り込んだ。

 でも……。

  乗り込むとき、リフトは後部から我々に接近してくれる。リフトと我々の間には障害物がない。従ってリフトはやさしく我々の膝の裏に接触する。
えっ、待てよ! でも、リフトから降りる時は、リフトはどこに消えてなくなってくれるんだ? リフトがバカみたいに前にしか進まないとすれば、リフトの進行方向には我々の足がある。リフトはどこに消える? 消えないとすれば、我々はどうやって降りる? 

 何らの工夫もなされていないとすれば、バカの一つ覚えで前に進むことしか知らないリフトは、我々を押し、引きずり、ついには転倒させてしまうのではないか? そうしなければ、彼らの進む道が開けないのだから……。

  そう思いついた時、私の乗ったリフトは、既に乗り場と降り場の中間地点を越えて稼働中であった。足下に広がる雪原までは、どう見ても3m以上はある。恐怖に駆られて飛び降りることができる高さではない。つまり、私は、そして我が家族はポイント・オブ・ノーリターンをはるかに越えてしまっていた。

  その瞬間なのである。

  私は、

 お尻の穴から冷たい風がスーッと入って来る。
踏みしめていた大地に、突然ぽっかり穴があく。
確かなことをやっていたはずなのに、確かさが突然消えてしまう。

 という思いに駆られた。
縮めて表現すれば、初めて体験する恐怖感に圧倒された。

 おい、私は、私のファミリーはどうなってしまうんだ?!

【初出2002年2月13日】