2002
06.25

# 1  中欧編 I :チェコのビールはうまかった!

旅らかす

スキー入門が終わり、さて、次に何を書こうかなあと思案しつつ手許のパソコンをいじっていたら、素晴らしいアイデアがひらめいた。 これで行くっきゃない! というほどのアイデアだ。

 廃物利用

である。

5年前に旧東欧、いまは中欧というようだが、そこを旅したとき私が現地から出したメールがパソコンに残っていた。備忘録を兼ねて、家族や知人に送ったものである。
これが、いま自分で読み返してもなかなか面白い。これを埋もれさせておく手はない!

(注)
典型的な自画自賛である。他に言ってくれる人がいないものだから、自分で宣言するしかない。

 従って、「廃物」とは、単に私の謙遜に過ぎない。 多くの人の目に触れることは想定せずに書いた雑文を、いま、自信を持って一挙大公開する。

これなら、しばらくはネタに困らない。おまけに死後に日記が公開された夏目漱石谷崎潤一郎のような大文豪になった気分を満喫できる!
私がまだ生きている点が問題だが、この際、些細な問題点は忘れる。

なお、元々は私信である。最小限度の加筆修正や削除を施していることをお断りしておく。だって、そのまま出したら、怒鳴り込まれるに違いない危険な部分もあるのである。

もう1つ。
回ったのは、プラハ(チェコ)→ドレスデン(ドイツ)→ブカレスト(ルーマニア)→ブダペスト(ハンガリー)→プラハワルシャワ(ポーランド)→ウィーン(オーストリア)の順。
場所ごとにまとめようかとも思ったが、日記なので時間軸に従うことにした。そちらの方が、再構成しなくてすむからだという理由もある。むしろ、こちらの理由の方が大きいかも知れない。

では、本番開始!

  【10月1日】
プラハに着いた。現地時間午後8時。
徐々に高度を下げる飛行機の窓越しに見たこの町は、黒いビロードの上に、金の鎖をばらまいたようだ。すてきな夜景だ。金の鎖は高速道路の照明だろう。中にグリーンレッドの光源がポツポツと混じっている。金のブレスレットにちりばめられたエメラルドやルビーだ。

そんなことを書いてメールを出そうと思ったが、宿泊先のインターコンチネンタルホテルは、インターネットにつながらない。横浜のプロバイダーに電話回線でつなごうと努力をしたが、なんともならない。どこかつながるところまで行って、まとめて送ることにする。
従って、このメールには日付が必要だ。
1997年10月1日午後9時43分。
もう22時間以上寝ていない。明日が早いので、ビールを飲んで寝る。

(解説)
初めてプラハの夜景を見て興奮、柄にもなく詩人気取りで夜景の描写を始めたものの、睡眠不足と能力不足で挫折。自ら詩の才に欠けていることを暴露してしまった文章。それが恥ずかしくてアルコールと睡眠に逃げた、と見られる。
それにしても22時間不眠? 不眠症だったのかね、俺は。

 【10月3日】
2日は、昼過ぎから工場見学に出かけた。チェコの代表的輸出企業といわれるシュコダ・ホールディングの鉄鋼部門である。
日本の製造工場もいくつか見たことがある。それと比べるとあまりの汚さに唖然とした。最近(といっても、1997年。念のため)、設備投資を増やしているそうだが、企業としての業績をみると、昨年の税引後利益は、日本円で100億円近い赤字で、累積赤字と銀行からの借り入れが増えているとのこと。それでも、将来性には自信を持っていると断言する。なんでそこまで楽天的になれるのか。

その後、ピルゼン・ビール工場見学、試飲。美味!

(解説)
書き忘れているが、このピルゼン・ビール工場の地下で飲ませてもらったビールの美味しかったこと! 150年前の製法そのままで造っているビールだそうだ。機械化された工場で造られて市販されているビールと比べると、同じ傾向の味なのに、まったく異次元の味だった。
飲ませてもらったのは、プラスチックの小さなコップに半分程度、100ccというところだろうか。生来飲んべえの私が、こんなに美味しいビールを、これっぽっちの量で満足できるはずがない。
“Excuse me, Sir. Would you please give me one more glass of beer?”
と恐る恐る聞いた。
“No.”
言下に一蹴された。
ケチ! ケチ! ケチ!
もう一度いう。ケチ!
お願い!もう一回飲ませて!!!

 地震がない土地柄のせいもあって、プラハの町には中世からの建物がそのまま残り、趣がある。神聖ローマ皇帝でもあったチャールズ4世が1357年に作ったというカレル橋は、市内最大の観光資源である。

 

いや、4年半近くもたつと、記憶は曖昧になるもので、これは確か、チェコの首相官邸。確か、泊まっていたホテルからモルダウ川を渡って少し歩いたところにあった。どこかの国の官邸のような猛々しさはなく、「え、これが」というような質素な作り。街にしっくり溶け込んでいた。

 

 

 

 

(解説)
通訳をしてくれたHoly君は言った。
「カレル橋が完成した年を覚えるのは簡単です。自然数を小さい方から1つおきに4つつなげばいい。まだ20世紀なので、最初の数字が2以上ということはあり得ない。必然的に最初の数字は1になり、次は3、そして5、7と続く。簡単でしょ?」
なるほど、日本史も、これほど憶えやすい年に大事件が起きていてくれたら、私の日本史の成績はもっと良かったに違いない。
もっとも、日本人の私が、枯れる橋の完成年を覚えているからどうだ、ってな話しでもないよなあ。

 この日もたくさんの観光客が散策していた。それなのに、町に何となく活気が感じられない。
なぜなのか。地味な商店の外観のせいなのか、女性を含めたファッションに、どことなく華やかさが欠けるためなのか。

(解説)
と考え込んでも、当然のことながら私の能力では答えが出せない。人間、自分の能力を超えた課題を自分に課してはならない。従って、話は突然飛ぶ。

 タクシーはほとんどベンツだ。

(解説)
それがどうした ?  唐突すぎる文章だ。何を考えていたのかね、この文章を書いたときの俺。確かに、当時はベンツに憧れとコンプレックスを持っていたことは確かだが。でも、最近のベンツには全く関心がない。

 ホテルの1階ロビーに飾ってあったボヘミアングラスを鑑賞した。確かに美しい。だが、高価だ。ウイスキーグラスの2個セットが、日本円で4万円ほどもする。

 「日本では、この価格の3倍から5倍する。お買い得ですよ」

とホテルマンが私に勧めるのだがが、ちょっとねぇ。ま、チェコにとっては、貴重な外貨獲得源でもあるのだろう。

夜は、ホテル近くのレストランで夕食。ビールは美味しいのだが、食事(ダック料理)、ワイン(赤、白)ともにあまり評価できなかった。料理は全般に塩味が強すぎる。赤ワインは

 「飲めるけど」

というところで、グラス一杯しか口に入れず、あとはビールでごまかした。

(解説)
ごちそうされながら、出てくるものを冷たい目で評価する。私は、多分、嫌味な客である。絶対に嫌味な客である。

 日本との通信は相変わらず不調。電話は問題ないのだが、パソコン通信、インターネットともになかなかつながらない。仕方なく、必要なことは手で書いてファックスで会社に送ろうとするが、そのファックスですら、調子が悪くてつながらないことがあった。

このプラハに、新しくできたフレンチレストランは、客単価2万円程度とのこと。プラハの平均月収は400ドルと言われているから、日本円に直すと5万円前後。共働きが多い土地柄とはいえ、それでもふつうの市民に払える額ではない。体制転換の後、貧富の差が広がっているということに違いない。

そういえば、ベンツやポルシェの新車もよく見る。
チェコ国民に人気の高い、オクタビアという車も、150万円程度はする。つまり、ふつうの家庭の年間収入をはるかに超してしまう。ところが、この車が、来年春の生産分まで予約でいっぱいという。ここの人たちはどこからカネを持ってくるのか。よくわからない。

(解説)
私は、ベンツだけでなく外車全般にコンプレックスを持ってるのか? それにしても、
「わからない」
を連発するのはどうかと思うぜ、まったく。少しは頭と足を使って事実を究明したらどうなんだ?

 車の普及度は、1,000人あたり200台弱だそうだ。

(注)
ちなみに、日本では1000世帯あたり約2000台。ということは1000人あたり800台弱か。