2002
08.23

中欧編 XI : 帰国

旅らかす

 帰ってきました。とりあえず無事です。

 旅のレポートが途中でとぎれました。書いたところまで送ります。あとは、そのうちということで。

(解説)
ここからの文章は、ワルシャワのホテルにいる間に書いて、送信しないまま帰国、東京で発進したものと思われる。

〈ワルシャワのデパート = 不親切〉

 「防寒帽がほしいのだが」
-「こちらは女性もの。男性用は向こうの建物」
「防寒帽を探しているのだが」
-「売場にあるものしかない」
「売場には防寒帽は見あたらないのだが」
-「では、仕方がない」
「どこかで手に入らないだろうか」
-「わからない」

(解説)
防寒帽 = ほら、ソ連の映画などを見ていると、よく出てくるでしょう。革製の帽子で、耳覆いがあって、裏側に毛皮が付いているヤツ。探したのは、あれです。屋外で作業することが多い義父へのお土産。ポーランドのように寒いところなら手にはいると踏んだのですが。
ま、ご想像通り、このデパートではだめ。
でも、滞在中に何とか買うことはできました。そのいきさつは後ほど。

 〈ルーマニアのデパート = 物がなかった〉

 いい物だな、と思えたのは、家具ぐらい。広々とした売場スペース、人が10人ほど横に並んで歩ける通路。

 〈チェコ〉

 シュコダの対応を嘆くHoly君。
加えて、

「スリが増えました。お金が盗まれるようになりました」

-かつては、カネを盗んでも、買うものがなかった。

(解説)
 アメリカのジャーナリスト、デイヴィッド・ハルバースタム(David Halberstam)に、覇者の驕り(The Reckoning)」という本があります。フォードと日産自動車をモデルに日米の自動車産業史を語り尽くした名著です。
 この本で、日本でも「お金が盗まれるようになった」時代があったことを知りました。戦後の日本は、物価が年間5倍にもなるハイパーインフレに見舞われました。それが、やっと安定し始めた昭和24、5年のことです。
 その部分を引用すると、

  Ikeda, who later became prime minister, grew quite close to Dodge. One day Ikeda came to their regular meeting and announced that the worst of the inflation was over and, with it, the worst of the black-marketeering. The recovery, Ikeda said, had finally began.
“How do you know? ” asked a suspicious Dodge.
“Because the police chief of Tokyo told me so today.”
“And how dose the police chief of Tokyo know? ”
“Oh, he said he was sure that the recovery had began because for the first time in years, Tokyo’s thieves have started stealing money from people again. Until now, the money was not worth enough to steal.”

(池田は、ドッジと極めて親しくなった。池田とは、のちに総理大臣になった男である。ある日、両者間で定例化していた会議の席で、池田は、インフレが最悪期を脱し、そのため、闇市商売も最悪状態から抜け出しつつある、と断言した。池田は、やっと回復が始まったのだと付け加えた。
「なんでそんなことがわかる?」
とドッジが聞いた。彼は疑り深い男だった。

「今日、東京の警察部門のトップからそのような報告を受けました」
「どうして、彼にそのようなことがわかるのか?」
「ああそうか。彼はこう言ったんです。東京で、ずっとなかった金銭泥棒が復活した。だから回復が始まったと確信している、と。これまで、お金は盗む価値がなかったんですよ」

(解説)
まったく同じ話ですな。
ちなみに、ドッジは1949年2月、特命公使として来日したデトロイト銀行頭取。力ずくで、戦後日本の悪性インフレを抑え込んだといわれる。

この下りを読んだときは、すこぶる感激した。
いまのような不況になると、自殺や強盗が増える、なんてことは常識だが、泥棒がお金を盗むようになったから経済が最悪期を脱した、なんてね。
さすがに、できる人は見るところが違う。

ところで、そもそも、何でこんな本を買ったのか。
この本が世に出たのは、私が札幌にいるころ。新聞記事で知り、一刻も早く読みたくなった。だが、アメリカで出たばかりで、日本語訳なんていつになるかわからない。
だが、読みたい。
「よし、辞書を片手に読破してやろうじゃないか」
と蛮勇を発揮して、東京の大手書店に電話した。
「HalberstamのThe Reckoningが欲しいのですが、手に入りますか?」
輸入書のコーナーにいるのなら、それくらいの情報には通じていてもらいたいではないか。ところが、素っ頓狂な店員しかいないらしく、
「は? Halberstamですか? それはどんな人ですか? あ、アメリカのジャーナリスト。そうですか、書名は何でしたっけ? The Reckoning、あ、そうですか。すいません、綴りは? はいはい、えー、ちょっとお待ちください……、(3分17秒)あのー、在庫はないようですが」
アメリカで出版されたばかりだから、そんなことは当たり前だ。
「いつ頃入荷しますか?」
「えー、よくわかりません」
「入荷はしますか?」
「はあ、それもちょっと……」
頓珍漢な会話が繰り返された。

だが、読書人の友、丸善は違った。
「あー、出ましたですね。アメリカでも評判がいいようですよ。はい、もちろん注文は入れてあります。あと2週間程度で入荷するはずですが。ご予約入れておきましょうか?」
私は、このような究極のプロフェッショナリズムに他愛もなく感動してしまう類の人間である。プロはこうでなくっちゃ!
1も2もなく予約した。何が待ち受けているのか、深く考えもしないで。
間違いに気付いたのは、本を手にしてからである。
バカ重い本である。縦24.2cm横16.4cmと図体が馬鹿に大きい。本文728ページ、著者あとがきなど24ページの計752ページが分厚い表紙に挟まれて、厚さは5.8cmにも及ぶ。
総重量は、なんと1.24kgグラム。
5200円ほどしたから、100gあたり420円もする。我が家で食する牛肉より遙かに高い!
いや、それだけなら驚くまい。
何と、すべてのページが英語で書いてあるではないか。我が慣れ親しんだ日本語はどこにもない!
思えば、輸入書だから当然のことである。注文する前からわかっているはずの事実である。
だが、頭の中で想像することと、この目で見て事実を確認することは、アナログ放送とデジタル放送ほど違う(違わないってか?!)。
思わず、つぶやいてしまった。
「これ、俺が読むの?」
このようなとき、自らを救う思考法は1つしかない。

「文章は、隅々まで理解できなくてもいい。おおむねの流れがわかればすむ。日本語の本を読んだところで、読み終わって残っているのは、その程度だ」
戦いの始まりだった。
自宅でThe Reckoning、通勤途上でThe Reckoning、昼飯を食べながらThe Reckoning、トイレに入ってもThe Reckoning……。1.24kgグラム、100g420円。
これは、ほとんど知的格闘技である。
関ヶ原の戦いで、味方だったはずの小早川秀秋に、戦いの最中に側面を襲われた西軍の心境といえばいいだろうか。
突然、私にも伏兵が現れた。時間である。
読んだことにしたページが全体の半分ほどに達したころだった。
The Reckoning、翻訳版の出版予告が新聞に出た。
考えてみれば当然のことだ。
Halberstamの著書は、それまですべて日本語に翻訳され、出版されている。「ベスト&ブライティスト」「メディアの権力」「ザ・フィフティーズ」。どれもいい本であります。今回だけ、翻訳、出版されないわけがない。
ではあるが、私は不覚にも、オリジナルの英語版を買ってしまった。まだ半分程度しか読んでいない。
「そりゃあ、ねえだろー」
である。
競争が始まった。
私が読み終えるのが先か、日本語版が世に出るのが先か……。
負けた
それも、大差で負けた。
どう見ても完敗だった。
日本語版が出たとき、まだ手つかずのページが200ページ以上残っていた。
私の努力は何だったのでしょう?

 〈ポーランド = あれこれ〉

 ワルシャワの町を見る暇がない。人に会いに行く車の窓からながめる程度。何もわからない。車の多さだけ。歩道に乗り上げて駐車し、その車道側にまた車が止まり、渋滞の列。Annaさんは

 「これ以上車が増えては、どうにもなりません」

ポーランドの自動車販売は、いま年間37万台程度。毎年20%、30%増えている。

(解説)
日本の自動車販売台数は、年間650万台程度。ポーランドの国土面積は32万3000平方キロメートルで日本の約5分の4。
つまり、25%しか広くない日本で、毎年ポーランドの18年分の自動車が売れている。

 中欧の旅も今日で終わり。あと11時間ほどすれば、やっと気が抜ける。気を抜くと、疲れが一度に来るかな?

(解説)
ふむ、お主も外地では緊張するか…… 。

 外に出る。本日は霧。道理で、36階の部屋の窓から外を覗いて、何にも見えなかったはずだ。窓一面ミルク色で、景色も何もない。どうしてこんな不思議な窓を作ったのかといぶかっていたが、霧だったのか。

(解説)
あんなに密度の濃い霧は、東京ではまずお目にかかれません。

 寒い。Tシャツを着ても、まだ寒いほどだ。それなのに部屋の中の暖房温度が高いから、中にはいると汗をかく。外に出ると冷える。しかも空気は乾燥。風邪をひく条件が整っている。ポーランド人は風邪に強いのかな。

(解説)
と書きながら、風邪もひかずに帰国した。してみると、私はポーランド国民か?

 こちらの人はおしなべて犬が好きである。ホテルやレストラン、デパートなどに、平気で犬を連れてくる。それを回りが気にする風もない。
昨日朝一番で訪ねた当時会社の事務所には、4、50㎏もあるシェパードがいた。もちろん部屋の中での放し飼い。大きな体でほえられると、さすがに気持ちが悪い。しかし、襲いかかる様子はなく、主人にしかられるとひっこんで黙っている。通訳は、そのシェパードとはもちろん初対面なのだが、頭をなでていた。

 ハンガリーでは、犬を散歩に連れてゆき、糞は処理しない。気候が乾いているから、1日もすると乾燥してしまうのだそうだ。マジャールスズキの人は、「こちらにはいい犬がいる。安い。もう少し簡単に日本に輸出できるようになればいいのだが」と話していた。やはり、規制は価格の高騰を招く。

(解説)
犬の本を2冊買った。
「デキのいい犬、わるい犬」
「相性のいい犬、わるい犬」

どちらも文春文庫で、著者はカナダ・ブリティッシュ・コロンビア大学心理学教授のスタンレー・コレン氏。
まだ読んでないが、「相性のいい犬、わるい犬」は犬を7つのグループに分けている。我が愛犬シェットランド・シープドッグは、グループ7「頭のいい犬」に分類されておる。やはり、飼い主と飼い犬は似るか……。
ちなみに同書は、シェットランド・シープドッグを飼っていた有名人として、アメリカの第27代大統領ウイリアム・ハワード・タフト、第30代大統領カルヴィン・クーリッジ、男優ジーン・ケリーの3人が挙げている。
また、「頭のいい犬」以外のグループは「友好的な犬」「防衛心の強い犬」「独立心旺盛な犬」「自信のある犬」「安定した犬」「穏やかな犬」。
あなたの愛犬はどのグループ?
これから犬を飼うならどの犬がいいか?
ご関心がある向きは、是非この本をお買い上げいただくようお願いいたします。

で、娘との会話。
「お父さん。とはいっても、すべてのシェットランド・シープドッグが頭がいいというわけではないんだからね」
「そうだなあ、お父さんの子供だからといって、みんな頭がいいわけでもないからなあ」
「……」

この勝負、私の勝ち。

 今日も、何となく食欲がなく、朝食は抜く。西洋風の朝飯には飽きたのかもしれない。

 こちらのキャッシュディスペンサーは、一回に500ズロチしかでない。1万7000円ほどか。必要な金額を引き出すのに、3回も4回も操作しなければならない。地元の人の平均月収が1000ズロチ程度だから仕方がないのかもしれないが、こんな高級ホテルに泊まるのは海外からの客か、地元でも飛び抜けた金持ちだけ。そうした事情は全く考慮されていない。

 目抜き通りを横断する地下道で、衣服を山積みにして売っていた。商店主の顔を見ると、どうみてもアジア系。ベトナム人が多いとのことだ。ベトナムからここまで来て金儲けか。カネを機軸に動く社会は、こうした底知れぬエネルギーを生み出す。

 当地では、日本の給料で生活すれば、王侯貴族だ。家族連れでくる日本企業の社員は、メイドを雇う。自分ですることがなくなった奥様たちは、日毎テニスにうつつを抜かす。日本人会の会合も、おおむねテニス大会だそうだ。こんな日本人の姿が、ワルシャワの人たちにどう映っているのか。この生活が忘れられず、日本の帰るのをいやがる奥様も多いとのことだ。

(解説)
王侯貴族の生活。私も一度ぐらい体験してみたい…… 。

 8時20分、ホテルのロビー。10分もすれば通訳がやってくるはずだ。

 仕事が終わり、ゆるんだ気分でワルシャワからウイーンに移動中に名刺入れを落としてしまった。ワルシャワの車の中、飛行機の中、ウイーンの空港からホテルまでの車の中、の3カ所しかないと思い捜索中だが、まだ出てこない。
会った人たちの名詞もたくさんはいっていて真っ青。事務所のカードキー、KDDのハローカード、バスのカード、テレフォンカードも入れていたが、これは何とかなるのでいいが。
今回の旅でなくした物の2番目。ちなみに、1番目は、ブダペストのホテルに置き忘れたシャンプーだった。

(追加)
「あとは、そのうち」と書きながら、実はメールはこれで終わっている。そこで、5年ぶりに「あとは」を少しばかり。

 ワルシャワでどうしても買わなければいけないと思っていた防寒帽。やっと買った、出発日に、バザールで。
 バザール(見出しの写真を参照してください。その時撮ったものではありませんが)が開かれているのは、旧サッカー場。周囲やスタンドの一番上に、それこそ星の数ほど店が出ている。衣服、食料、絨毯、家電品、家具……、ないものはないというくらい、ありとあらゆるものが揃っている。何に使うのかわからないが、水道の蛇口の取っ手だけ、なんていうのもあった。

 ここで店を開いているのは、ほとんどロシア系の人たちだという。どこで仕入れるのか判然としないが、とにかく、ワルシャワに商品を持ち込んで一儲けしようという人たちの集まりだ。中には盗品も混じっているのかもしれない。
 このバザールを紹介してくれた日本人の駐在員は、
 「日本人一人だけで行くのは危険きわまりない」
 と、現地社員を同行させてくれた。

 で、防寒帽。あった、ありました。記憶はかなり薄らいでいるが、確か1つ1200円程度だった。
 ここで再び、例の貧乏性が顔を出す。
 私が買ったのは1つだけ。帰国後、
「帽子は汚れる。汚れたら交換しなければならない。どうして5つか6つ買ってこなかったのか……」

ワルシャワから日本への直行便がないため、帰りはウイーン―フランクフルト経由。便待ちのためウイーンで一泊。空港からホテルは、ベンツのタクシー。

 実は、この旅行に出る際の娘のリクエストは、
 「バーバリーのダッフルコート。色は
 回ったすべての国で探した。が、バーバリーのコートは発見できず。最後の立ち寄り先であるウイーンでも探しに出た。
 市内最大の商店街(街の名は知らない)を歩きまわって、やっと見つけた。バーバリー、赤、ダッフル。価格を見る。約7万円。
 「なんだ、これなら、日本で買ってもあまり違わないじゃないか」
 一度は通り過ぎた。
 さて、ホテルに帰ろうかと歩きかけたとき、娘の顔が浮かんだ。顔が失望と怒りで歪んでいる。
 「いかん、買わずに帰ったら殺される。そこまではいかなくとも、いじめられる」
 その瞬間、体は自動的にUターンし、我が両足は小走り状態となった。目指すはバーバリーのお店である。

 可愛い女店員が迎えてくれた。見るところ、背格好が娘と同じぐらいである。
「我が娘は、身長約160cmで、体重はあなたより少しスリムである。その娘への土産にこのダッフルを考えておるのだが、サイズを見たい。よろしければ、ちょっと着ていただけないだろうか」
 と頼み込む。
 もちろん英語。
 ”My daughter is about one hundred and sixty centimeter. And she is just a little bit slimmer than you ……”
 ま、こんなところよ。でも、通じるまで数分

 買ったのはいいが、重いかさばる。これを日本まで運ぶのかと思うとうんざりだが、買ったものは仕方がない。

 翌朝。音楽の都ウイーンに来て音楽を聴かずに帰国するのももったいない話だと思い、日曜日のミサをやっている近くの教会へ。30分ほどパイプオルガンと聖歌団の歌声に浸る。宗教心は持ち合わせていない私だが、何となく荘厳な気分になる。
 この荘厳な気分に浸り続けると、キリストの奇跡も信じられるような気がしてくる。そうか、教会音楽というのは、民衆を教化する、あるいはたぶらかすために教会が編み出した仕掛けの1つなのか。うまいなあ。
 そういえば、仏教のお経にしても、聞きようによっては音楽だ。数十人のお坊さんが一斉にお経を唱えているのを聞くと、節回し、部分的なハーモニーなど、ある種の音楽であることが分かる。お経の中身はまったく理解できないが、宗教的な気分になることは確かだ。
 宗教というのは、洋の東西を問わず、同じような仕掛けをもって布教を図るものらしい。1つ賢くなった気がする。

 フランクフルト空港。手押し車にも乗せきれないほどお土産の袋を持って移動中、重大な事実に気が付く。
 「自分のために買ったものが何もない!」
 免税店でウイスキー3本。日本でも最近は安くなったが、海外に出て最後に免税店でウイスキーを買わないと、クリープを入れないコーヒーのような気がするから不思議だ。

 この項、終わり。