2003
11.28

グルメに行くばい! 第18回 :ステーキ

グルメらかす

ご紹介が遅れたが、私が名古屋の地で単身生活を営む場として選んだのは、鶴舞公園の近く。住都公団のマンションだった。いや、選んだというと、ちょっと大げさだ。会社が紹介してくれたので、何も考えずにここに入っただけである。

我が部屋は、前回も書いたように約37平方mのワンルームだった。玄関のドアを開けると、ベランダに出るガラスドアが見える。ウナギの寝床のような細長い部屋である。
玄関から入って右に曲がるとトイレと風呂。曲がらずに、真っ直ぐ2、3歩進むと、いわゆるワンルームにたどり着き、右手にキッチンがあった。小さな冷蔵庫、取り敢えずの食器収納棚、ちゃちだが折り畳み式のダイニングテーブル、一応は壁収納型のベッド、かなり汚れたエアコンが備わっている。洋服ダンス、整理ダンス、整理棚も、必要最小限には用意されている。
「単身赴任者向け」を絵に描いたような部屋である。

男やもめにウジが湧く、という。
日本の社会では長い間、男は外に出て働く、女は家にいて家事をこなす、という役割分担が続いてきた。いいか悪いかは別である。役割分担が固定すると、それぞれに、喪失する能力が出てくる。サルが人間になるにあたって、不要な尻尾がなくなったのに似る。
わかりやすく、大雑把に言おう。男だからできない、女だからできない、ということが増える。
女は外に出て働くことができなくなる。
男は家事をこなす能力がなくなる。

悲惨なのはである。人の暮らしの3大要素は、衣、食、住である。生きる切実さからすると、食、衣、住の順番である。このうち、食と衣、つまり、生きていくのに一番大事なもの、2番目に大事なものを扱う能力が、男から欠けてしまった。家事をしないで過ごしてきたためである。結果として、男は、単独ではうまく生きていけない生き物になった。
だから、独り暮らしの男の住まいは汚れ放題になる。汚れ放題の箇所は、蠅が卵を産み付ける絶好の対象になる。ウジが湧く。

ま、そこまではいかなくても、確かに、独り暮らしをしている男というのは、どこか薄汚れて見えるものである。どこかに汚れがこびり付いているのか、満足に栄養を摂取していないせいか……。

(注) 
同居中の女によっては、独り暮らしではないにもかかわらず、薄汚れ、栄養不良に見える男もいる。

 薄汚れて見える?
それは許せない。私は、美に生きる男である。蛆などと同居してたまるか!

私は志を立て、志に従って生きると決めた。
おかげで、週末は忙しかった。

朝、目が覚める。簡単に朝食を済ませる。
1週間分の汚れ物を紙袋に詰め込む。その袋と洗剤を持って、マンション1階のランドリーコーナーへ出かける。洗濯機が10台ほど置いてあり、300円で洗濯をしてくれる。
そこへ汚れ物を放り込み、洗剤を入れ、100円玉を3つ放り込む。

直ちに部屋に帰る。掃除である。箒で部屋を隅々まで掃き清め、1週間分の埃を取る。それでも埃が取れないようなときは、新聞紙を水に濡らし、固く絞ってからちぎり、部屋中に蒔く。その上で、箒で掃く。
犬が暮らすと抜け毛が落ちる。人が暮らすと埃が生まれる。生き物とは、幾分かずつ、周りを汚しながら露の命を保つものである。

(注) 
電気洗濯機、電気掃除機を新たに購入する検討もした。2つの問題があった。 
1. お金がかかる 
2. 単身赴任を解消する際、粗大ゴミになる 
ということで、購入は見送った。電気洗濯機、電気掃除機になったかもしれないお金は、必然的にアルコール飲料に姿を変え、我が体内に消えた。

 掃き終わると、洗濯ができあがっている時間だ。再び1階に降り、脱水まで完了した洗濯物を取って部屋に帰る。

部屋に帰るとベランダに出て、洗濯物を干す。

たまには布団も天日干ししなければならない。人間は、寝ている間に大量の汗をかく。たまに干さないとじめじめしてきて、気持ち悪い。健康にも悪い。布団乾燥機も使ってみたが、天日の心地よさには及ばない。
掛け布団、敷き布団をベランダの手すりにかけ、布団叩きで叩いて埃を出す。

(解説) 
このあたりの手順は、専業主婦である我が妻の、日ごろの動きを見ていつの間にか記憶したものである。 
優れた観察力、記憶力は、身を助ける。

 ふっ、と一息つくと、もう昼食の時間が迫っている。さて、今日は何を食おうか……。

昼食が終わると、食材の買い出しである。天気が良く、気温がそれほど高くなければ、栄の三越まで歩く。15分~20分の距離である。雨の日はバスに乗る。
地下の食品売り場に行き、野菜、肉、魚、調味料と、手際よく買い集める。1週間分を買うと、結構な量になる。

(余談) 
たまには、栄に出て昼食をとることもあった。天気が良ければ、栄公園を散歩したり、公園のベンチで読書したりする。 
「あのー、少しよろしいですか?」 
目を上げると、20歳を少し出たばかりと思える、可愛らしい女性が立っているではないか。ん?! 俺にも春が巡ってきたか? 
「はい?」 
「申し訳ありませんが、目をつぶっていただけますか?」 
おいおい、目をつぶった俺に何をしようというのだ?! ひょっとして……。ちょっと、ドキドキする。 
「あなたの血は汚れています。血を綺麗にするお祈りをさせていただけますか?」 
「………」 
世の中、期待通りのうまい話が転がっていることはほとんどない。 
ほとんどない、とは、少しはある、という意味だが、ここは「少し」を論じる場ではない。

 重い荷物を抱えて帰ると、もう午後3時~4時だ。洗濯物はおおむね乾いている。これを取り込んでアイロンがけにとりかかる。
アイロンのコードをコンセントに差し込み、アイロン台を取り出す。まず取り上げるのは、休日に身につけるカジュアルなシャツである。

アイロンがけの要諦は、衿と袖口にある。
ここがピシッとしていないと、全体にだらしなくなる。
衿を裏返しにしてアイロン台の上に広げ、生乾きの場合はそのまま、完全に乾いている場合は霧を吹いてから、やおらアイロンを押しつける。そのたびに、モワーッと湯気が出る。

アイロンは滑らせてはならない。押しつけて、押しつけて、押しつけて、全体をプレスする。何かで読んだ知識である。忠実に実行した。

衿はまだかけやすい。
袖口も、ボタンの周りを除けば簡単だ。
背中のプリーツも、やってみると何とかなる。多少湿気を含んでいる間に、プリーツの根元のところを押さえ、プリーツが伸びていく先の部分をつまんで引っ張ると、プリーツの原型ができる。あとは形を整え、アイロンを押しつければ綺麗なプリーツができる。
難しいのは、袖口から肘の方に伸びるプリーツである。まず、形を付けるのが難しい。背中の場合と同じ要領でおおむね形を作り、袖口の方からアイロンを押しあてていくのだが、油断をするとプリーツが途中で曲がり、折れ曲がった線がついてしまう。いやあ、プロフェッショナルの人って、どんなノウハウを持っているんだろう?

(お願い) 
苦労しながらピシッとプレスしたはずのシャツも、ハンガーに掛けてしばらくすると、細かな洗濯皺が浮き出してくる。クリーニングに出したシャツはそうはならないのだが……。 
誰か、クリーニング店並にピシッと仕上げる方法を教えてくれませんか?

 シャツが終わると、ハンカチである。
簡単な作業だが、あのハンカチというヤツ、元々は正方形だったはずなのに、洗ってアイロンをかけると、絶対に正方形にならないのはどういうわけだ?

発見もある。ハンカチの折り畳み方は、家庭によって方式が違うようなのである。
アイロンをかけ終わると、まず2つ折りにする。ここまでは、おそらくみな同じだろう。全体に三角形に折る人はいないはずだ。違うのはこの先だ。
かつて我が母は、2つ折りになって長方形と化したハンカチを、半分に折って正方形を作っていた。それを半分、半分と折って小さな正方形にする。
妻は、折って長方形にしたハンカチをさらに同じ方向に折り、より細い長方形にする。その上で両端を真ん中めがけて折り曲げ、最後にその真ん中で折り曲げてポケットサイズの正方形にする。
どちらがいい悪いではない。
私は?
無意識にアイロンをかけていて、妻の折り方を踏襲していた。
ふむ、男とは、女によってこれほどまでに変えられる存在なのだなあ。

 

週末は、こんな暮らしの繰り返しであった。

異変!に気付いたのは、単身生活が半年ほど過ぎたころだったろうか。

週末、すべての日常業務を終えてボーっとテレビを見ていると、様々な想念が頭脳をよぎる。人間にとって、1つのことに連続して集中するのは至難の業である。

(余談) 
誰しも、結婚するときには熱中し、永久の愛を誓うものだが、その集中力は時とともに……。

 このころから、よぎる想念に1つのパターンができた。

「えーっと、今日は誰と話したかなあ。うーん、朝、クリーニング屋にカッターシャツを出しに行って、おばちゃんと二言三言はなしたなあ。それから部屋で家事をこなして、三越に行ったんだ。そうそう、コーヒー豆売り場の女の子と話したっけ。『キリマンちょうだい』っていったら、『ブルマンですか?』っていうから、わざと聞き間違えたのかなあ、なんて思いながら、『そんな金があったら、君を食事に誘うよ』って言ってやったんだ。眼鏡をかけた、田舎臭い女の子だったなあ。ん? それだけか? そういえば、荷物がたくさんあって雨が降り出したんで、帰りはタクシーに乗ったな。運転手さんに行き先を言ったんだ。ということは、そうか、今日は3人としか話してないのか。いや、週末なのに、3人もと話したのか」

平日は仕事に出る。仕事に出れば、楽しいか楽しくないかは別として、好きか嫌いかもさておいて、少なくとも10数人とは話をする。しなければならない。面倒くさくても、仕事と人付き合いはこなさねばならない。
自宅にいれば、休日は家族とともにすごす。ともにいると、誰かがいろいろと話しかけてくる。私が新聞を読んでいようと、本を読んでいようと、関心があろうとなかろうと、委細構わず話しかけてくる。
右の耳から左の耳へと素通りさせていると、

 「分かったわね。お願いよ」

えっ、何かお願いされたのか? 何をお願いされたんだろう?
おおむね面倒くさいが、これも暮らしである。諦め八分で付き合わなければあとが恐い。

単身生活の週末は、家族が発する雑音がない。周りの空間、すべての時間が自分のものだ。自分だけの世界に浸りきることができる。こいつは素晴らしい。理想的な生活ではないか。
と思っていた男が、週末、その日に話した人間の数を数えている……。しかも、もう少し多くの人間と、もう少し長い時間、言葉を交わしたかったという喪失感が、どこかに漂っている。
えっ、俺が、そんなことを感じる? まさか……。

同時に並行して、異変がもう一つ起きていた。

「さて、昼飯を作らなくっちゃな」

 「今日は何にしようか。そうだな、スパゲティでも作るとするか」

 「よし、先に風呂を沸かすか。一風呂浴びたあとのビールは美味いからなあ」

 「さて、洗濯だ。あれまあ、今週は量が多いなあ」

 「もう寝ないと、明日の仕事が辛くなるぞ」

37平方mの部屋に、もし盗聴器を仕掛けている人間がいたら、週末はそんな会話を聞き取ったはずである。不気味なのは、聞こえてくるのが私の声だけだと言うことだ。
私が、私に話しかけ、私に作業を命じているのである。
話し相手が誰もいない部屋の中で、私が、私を相手に、声を出して会話をしているのである。

1日に話した相手の数を数える。自分で、自分と、声を出して会話をする。これは、ノイローゼの初期症状だと聞いた。聞いた相手が正確な医学知識を持っているのかどうか不確かなので、断定はできない。だが、異常事態であることは確かである。

会社の辞令で家族から引き離されたことがストレスとなり、精神をむしばみ始めたのだろう。
日ごろは、ほとんどうるさいとしか感じない家族が、ストレスの原因なのではないかとさえ思っていた家族が、それほどのポジションを私の中に占めていた。
新しい発見だった。発見して、驚いた。
そんな、ヤワな俺もいたのか!

私は、自分の行動の異常さに自分で気が付いた。自分の異常さを客観的に認識できた。何故できたのかは不明だが、ある時突然、

「あれっ、俺って変じゃない?」

とびっくりした。
それができれば、ノイローゼから脱出することができるのだそうである。いや、抜け出した結果として、客観視が可能になるのかもしれない。
もし気付かないままだと、どんどん深みにはまってなかなか引き返せなくなる。
これも、あの不確かな知人の言だから、本当かどうか分からないが。
いずれにしても、おかしくなった自分に気がついたら、おかしくなった自分を、自分で面白がっていればいいのである。

(主張) 
私は、ストレスなどという世界からは一番遠くにいる人間だと思っていた。いやなことも、3日たてば、おおむね忘れてしまう。 
その私にも、単身赴任はかなりのストレスだったのだろう。 
日本が豊かになって、暮らしが便利になって、それであなた、本当に幸せになりましたか? 
と書いている人がいた。 
いまも、会社の人事上の都合で、たくさんの人が単身赴任の生活をしている。恐らく、単身赴任も辞さずに会社のために働くことが当然であると言う考え方、受け止め方が、日本の企業、経済を支える柱の1つである。 
仕事・会社を第一とし、それと両立しない暮らしを犠牲にするサラリーマンが小さなコップの中での競争を続けてきて、個人も国も豊かになった。暮らしが便利になった。 
だけど、その反面で、その代償として、大事なものをいくつもなくしてきたのではないだろうか?  
なくしてしまったのは東京の空だけではない。田舎の清流だけでもない。みんなが自分の身の周りを点検すると、いつの間にかなくしてしまって、でも本当は取っておきたかったものがたくさん見つかりはしないか。 
高度成長期は過去となった。もう熟成した経済社会を生きる時代である。暮らしを犠牲にしても、経済に大きな成長は望めない。望まなくても、豊かな暮らしができるのである。そろそろ、失ったものを取り戻し始めてもいい時期である。 
単身赴任を是とし、それに従わないサラリーマンに不利益を与えるシステムには、もう決別してもいいのではないだろうか。

 いや、今回は疲れる話だった。単身赴任時の私は、疲れると、夕食の支度に時間をかけたくなくなる。そんなときには、ステーキを焼いて食べた。

 【ステーキの焼き方】

1,ステーキ肉は事前に冷蔵庫から出して常温に戻しておく。ここでは、まだ塩、胡椒をしない。

2,フライパンに牛の脂身を入れ、強火で加熱しながら何かで押さえつけて牛脂を絞り出す。牛脂がたっぷり出たら、脂身は引き上げる。

3,ニンニクを包丁の腹でつぶしたあと、スライスする。このニンニクを牛脂が入っているフライパンに入れ、弱火で加熱しながら牛脂に香りをつける。長くやりすぎるとニンニクが焦げて苦くなるので、きつね色になったあたりで引き上げる。

4,いよいよ肉を焼く。火を強火にして肉をフライパンに入れ、1分ほど焼く。肉をひっくりかえし、強火で1分、それから弱火にして肉の表面に肉汁が染み出してくるまで加熱する。待つ間に、塩を好きなだけ、胡椒はたっぷり振りかける。肉汁が染み出し始めたら、ミディアムレアである。

 ステーキ肉は、ほとんど名古屋・栄のダイエーで買った。国産の、1枚で1000円強する肉は、こうして焼くと実にうまかった。2枚1000円、3枚1000円の輸入肉も買って焼いてみた。どう工夫をしても肉の旨みがなく、何となくパサパサして、味はいまいちだった。

三越に、1枚2000円強するヤマギシ会のステーキ肉が出ていた。

「いつかあれを食べてみたい」

と思い続けたが、一度も食べることなく名古屋を去った。
私は、小物である。

【ステーキを食べたあとのみそ汁の作り方】

 肉を取り出したフライパンはそのままにしておく。

1,まず、火にかけて温めたダシに味噌を溶き入れ、具のない味噌スープを作る。

2,ステーキを焼いたフライパンにもやしを入れ、炒める。フライパンに残っている牛脂をもやしに吸い取らせる感じで。あまり時間をかけすぎるともやしがぐったりして美味しくないので、適当なところで加熱をやめ、先程の味噌スープに入れる。

 あるマンガ(確か、「クッキングパパ」だったと思う)で見た調理法だが、これがめっぽう美味いのです。この味噌汁を飲みたくてステーキを焼いたこともありました。

一度お試しあれ。

(おまけの小話) 
肉だけを食べるのは体に悪い。やはり、野菜を一緒に採りたい。 
と思った私は、ステーキを食べつつ、ビールを飲みつつ、目はテレビを眺めながら、洗ったジャガイモをラップし、電子レンジで加熱していた。電子レンジでジャガイモを加熱するのは初めてである。何分加熱したらいいのか分からない。 
分からないときは、大は小を兼ねるのである。 
7、8分程度にセットした。 
やがて、何か焦げ臭い臭いが漂ってきた。 
「さっき調理したとき、何か焦げたかなあ?」 
IHクッキングヒーターを振り返った。何も落ちていない。 
臭いは気のせいかな、と再び食事に取りかかった。しばらくすると、焦げ臭さが強くなった。そればかりか、煙まで漂い始めた。 
「火事だっ!」 
振り返ると、煙は電子レンジから立ち上っていた。 
「漏電?」 
ではなかった。 
レンジの中をのぞき込むと、ジャガイモが、炎と煙を出して燃えている! 
どうやら、加熱時間が長すぎたらしい! 
火事にはならなかった。しかし、電子レンジの中にタールのようなものがこびり付いて、雑巾で拭いても取れない。それは仕方ないとして、臭いのだ。どうしようもなく焦げ臭い。 
「そういうときはね、電子レンジでお茶の葉を加熱するのよ。臭いが消えるよ」 
行きつけの小料理屋「かつら」のママに言われて実行した。 
確かに、臭いが少し薄くなった。 
だけど、加熱するお茶の葉を乗せていた皿に、お茶の葉の色が染みこんで取れなくなった。 
こういうのを、泣きっ面に蜂、というのかなあ。