2004
02.20

#6 人間ドック

事件らかす

 このような1日を、何と表現したらいいのか?
 屈辱の日?
 恥辱の日?
 汚辱の日?
 生き恥の日?
 惨死の日?
 赤面の日?
 男の誇りが失われた日?
 人間としての尊厳が失われた日?
 穴があったら入りたかった日?
ふむ、これが一番ふさわしいかも知れない。ことが「穴」に絡むことは、おいおいご理解いただけるはずである。

  人間ドックに行ってきた。

  いえねえ、あたしゃ別に行きたくとも何ともなかったのよ。
健康診断に行ったって、右耳が15年来難聴であることと、中性脂肪がやや多すぎることぐらいしかでてこない。
あれほど「小菊」に通い、あれほど酒を飲んでいるのに、肝機能はいっこうに悪化せず、γ-GTPとかなんとか、難しい名前の付いている数値もいつも正常範囲。健康診断や人間ドックって、どこか心配なところがあればせっせと通うんだろうけど、あたしの場合は、何となく張り合いがないんだなあ。

(余談)
「右耳が難聴だと!」
と突っ込みたくなったあなた。あなたは、この日記、現在では音らかすの熱心な読者です。
「耳が悪いのに、クリスキットからいい音が出てくるって、どうして聞き分けられるんだ?!」
とおっしゃりたいのでしょ?

解説その1:かつてオーディオ趣味で知られたある作家は、タンノイ(英国のスピーカーメーカー)の馬鹿高いスピーカーを盛んに推薦しておられました。この方は、補聴器の助けがないと音が聞こえなかったのだそうであります。

解説その2:私の場合、左耳は正常に聞こえております、はい。

解説その3:初めてクリスキットを聴いたときは、右耳も正常に聞こえておりました。

 ご了解いただけましたでしょうか?

 だから、何となく足が遠のいてた。そしたら、来たんですよ、昨秋。会社から手紙が。

 「安堂はん、あんさんはもう3年も受診してないでえ。健康診断も、人間ドックも。困りますやないですか」

 お叱りの手紙であった。私が私の体の健康状態をチェックしないことを叱ってくるとは、なかなかお節介で親切な会社ではある。
そうか、もう3年たつか。しかしなあ、その間、何回か風邪を引いた程度で大きな病気はしてないし、いまでも毎日酒は美味しいし、食欲もあるし、睡眠も充分とっているし。とにかく、快眠・快食・快便の生活だしなあ。
が、他人の親切を無にするのも心苦しい。それに、2年ほど前から、妻には人間ドックに行けと説教され続けている。最近はあきらめたのか、あまり言わなくなったが、ま、しかたない。いやだけど、久しぶりに人間ドックにでかけますか。

 てな次第だったのである。
前回、初めて人間ドックに行ったのは、2000年秋。そうかあ、20世紀の最後の年に初めて人間ドックに行って、21世紀初頭に2回目の人間ドックか。と考えると、何だか気宇壮大になってくるなあ。

 1週間ほど前、病院から大きな封筒が届いた。受診に関する諸注意、検便用の便を採るセット、検尿用の尿を採るセットが入っていた。
便の採り方、尿の採り方を詳しく書いて行数を稼ごうかとも思ったが、食事前にこの日記をお読みになる方も、ひょっとしたらいらっしゃるかも知れないと考え、やめた。この上ない不快感で食事が喉を通らなくなった、なんて言われたら困るからねえ。特に、これからカレーライスを食べようなんて方にはショックが大きいかも知れないし。

 といいながら簡単に書くと、便は直近の2回分、尿は検査当日の朝一番に出たフレッシュなものを持ってこいとある。ふむふむ。
とまあ、いろいろ書いたが、肝心なのは次の一点である。
検査前日の午後10時以降、飲食不可。
律儀な私は、ちゃんと守った。

(注)
便の採り方、尿の採り方を詳しく知りたいという方は、メールをください。誠実にお答えします。

 当日、月曜日。
午前6時34分起床。
多分、7時頃には起きて来るであろう妻のために部屋のガスストーブに点火。服を着て、ウエストポーチ(犬の便をとるためのティッシュが入っております)を腰に巻き、便採り器を持ち、愛犬「リン」の散歩に出る。本日のコースは、自宅を出て左折、大通りを渡って商店街を抜け、国道1号線のところから鶴見川の堤防に入り、近くの公園まで戻ってボール遊び。前週末買ったばかりの軟球を私が投げると、愛犬「リン」が一目散にボールを追いかけ、くわえて持ち帰る。持ち帰ってボールを離し、さあ、投げろ、とばかりにワンワンと鳴く。ボール投げ15回。

(余談)
本来はフリスビー遊びなのだが、このところ右腕の腱をいためており、無理を避けて軟式ボールにしている。ご存じの通り、フリスビーは手首でスナップをきかせて回転を与えてやらないことにはうまく飛んでくれない。手首でスナップをきかせると、右腕に響くのである。
どうでもいいが、愛犬「リン」は空を行くものが好きで、公園では鳩やカラスを追って走る。周囲からは「鳩犬」と呼ばれているらしい。これを見た飼い主=私が試みにフリスビーを投げたところ、見事にはまり、10回投げれば6、7回はダイレクトキャッチをする。周囲の羨望の視線が心地よい。

 7時17分帰宅。いつもだと、ここでお茶が出てきて7時半過ぎから食事になるのだが、今日は健康診断のため何もなし。手が寂しく、口が寂しい。暮らしのリズムが壊れる。飲まず食わずでトイレ。2回目の採便。
8時12分、自宅を出る。渋谷の病院に9時半必着である。いつもより30分ほど早い。

 JR渋谷駅から徒歩約10分。あの大放送局NHKの近くのビル4階にある病院に到着し、書類を提出。着替えを命じられ、更衣室に入る。1人はいれば満員になってしまい、腕を伸ばさずに服を脱いだり着たりしなければならない更衣室も、都心部の地価の高さを思えば文句は言えない。

 上下一体の検査着で更衣室を出る。手には、出久根達郎さんの「漱石を売る」。先頃、題名の面白さに惹かれて古書市で購入したものだ。

 最初の検査は身長と体重。181.3cm、82.6kgなり。3年半前と大差なし。

 次は採血。若い看護婦さんが注射針を持ってくる。

 「どちらから採りましょうか?」

 と、どちらの腕から血を抜くかを聞いてくる。珍しい。これまでの経験では、利き腕ではない左腕からしか採られたことがない。私の意向を確かめられたことなど皆無だ。
なかなか患者を大切にする病院ではある。こういうところには真摯に答えなければならない。

 「はい、じゃあ左足から採ってくれますか」

 「………」

  いくらかのやりとりがあって、今回も左腕のひじの内側から採ることになった。二の腕の下の方にゴムチューブが巻き付けられる。

 「これから注射針を刺しますが、大丈夫ですか?」

 ふむふむ、やはりなかなかよい病院である。真摯に答えなければならない。

 「あ、あのー、私、病的に痛みに弱くて……。それに、を見ると、なんか気分が悪悪くなるんですよねえ」

 「えっ、それはいけません。そうですか、それじゃあベッドに横になっていただいて、その状態で採血を……」

  若い看護婦さんは真顔である。心から私のことを思いやっている様子である。人に気を使ってもらえるということはこれほど心地よいものか。思わず、私は天使のようなほほえみを浮かべた。

 横に立っていた、私よりも年上と思われる看護婦さんが、肘で若い看護婦さんをつついた。

「大丈夫よ、この方の冗談よ」

  「えっ、そうなんですか?」

 やはり、亀の甲より年の功である。この看護婦さんもムダに齢を重ねてきたのではないようだ。流石である。私はにっこり笑っていった。

 「ま、できるだけ痛くないようにしてよ。痛かったら大声で叫ぶからね」

 ここまではスムーズに運んだ。世の中、何事にもユーモアは欠かせない。殺伐とした病室も、知性溢れるユーモアさえあれば快適な空間に変身する。
気分がよかった。気分の良さの延長上に、あのような惨劇が待っているとは、このときの私が想像するはずもなかった。

 次の、胸部レントゲン検査は難なく終わり、聴力検査兼血圧検査兼医師との面談の番になった。気が塞いだ。

 話は1時間半ほどさかのぼる。
検査着に着替えて更衣室から出てきた私に、事務員が問いかけた。

 「直腸癌前立腺の検査はどうされますか?」

 2000年に受診したときのことを思い出した。
その際も、同じ質問を受けた。
私は考えた。せっかく来たのである。多少の責め苦には耐えようと心を決めてきたのである。とすれば、検査項目は多いに越したことはない。安心を手に入れるためのパスポートとでも言おうか。

 「そうですね。じゃあお願いします」

 2000年、こうして私は診察室に入った。この時点の私は、検査には同意したが、直腸癌の有無、前立腺の状態を調べるために、どのような検査がなされるかについての知識は皆無であった。初めてだし、人から聞いたこともなかったから、私の落ち度ではない。

 検査室にはいると、医師は60過ぎのおじいちゃんだった。聴力検査がすみ、血圧を測り、問診がすむと、このおじいちゃん先生が重々しく言い渡した。

 「じゃあ、下着を膝のあたりまで下ろしてベッドに乗って。そう、犬のような格好をして、うん、お尻を突き出し。そうそう、うーんと、手は肘のあたりでついて、はい、頭をずーっと下げてね、うん、それでいい。じゃあ、しばらくそのままで。お尻に力を入れちゃいけないよ」

 体験済みの方はおわかりでしょうが、これって、なんだかすごいことになりかけてると思いません?
個室。下半身素っ裸。お尻を尽きだして犬のポーズ。

 「おい、おい、いったい何をするんだよ!」

 って、いくら勘の鈍い私でも、ここまで来れば、次に何が起きるかは手に取るように明瞭に想像できた。
そして、想像通りのことが起きた。

 そう、その朝、検便用の便をとりだしたばかりのあの部分に、ゼリー状のものが塗られた。その上で、

 「はい、力を抜いて……」

 入ってきた。入ってきたものが、我が体内をぐるぐると動き回った。ノーマルな趣味しか持たない私には、未体験の感覚である。

 「いや、この、あの、先生、そんなことされて、新しい感覚に目覚めてやみつきになったらどうしてくれます?」

 そんな私の苦し紛れのギャグには耳もとめず、おじいちゃん先生は言い放った。

 「はい、大丈夫だね。悪いところはありませんよ」

 ま、指を突っ込む先生の方も、決して好きでやっているわけではない。
と思いたい
目の前にいる患者の、健康を思っての、崇高な医療行為である。
はずである

 しかしなあ……、こんなことまでしなければ健康が保てない人間の尊厳って、いったい何だろう?
気分は、妙に哲学的になる。
救いは、お医者さんが酸いも甘いもかみ分けた年代のおじいちゃんだったことである。私の複雑な胸の内も、きっと充分に理解した上で、指を潜り込ませたのに違いない。
そう思わなければ、私がやってられない。
相手がおじいちゃんだからこそ、そんな思いこみも可能だったのである。 救いがあったのである。
それが、20世紀最後の年、2000年の鮮烈な、消そうと思っても消えない思い出である。

 で、今回も同じ質問を受けた。前回の屈辱感を思い出した。躊躇した。が、前回と同じ病院である。前回と同じ、酸いも甘いもかみ分けたおじいちゃんがやってくれるのである。どうせ1度は許してしまったこの体ではないか。再度許すことを阻む理由はない。であれば、屈辱感よりも健康を優先させた方がいい。 今回も、同じ検査に同意したのである。

 「どうぞ」

 待合室で「漱石を売る」を読んで順番を待っていた私の名前が呼ばれた。

 「あーあ、今回もあの検診がやってきたか。また同じギャグでもかましてやるか」

 重い足を引きずりながら、診察室のドアを開けた。

 「こんにちは。今日もよろしくお願いし……」

 と挨拶しかけて、私は凍り付いた。
あの、おじいちゃん先生がいない!

 「こちらへどうぞ。最初は聴力の検査からね」

 と話しかけてくる看護婦さんの向こうに座っていたのは女医さんであった。白衣に身を包み、化粧っけはない。聴診器を首から下げ、デスクに向かって何か書き付けている。
年の頃は30代半ば。
いや、そこまでであったら、まだましであった。
困ったことに、目を見張りたくなる美人なのである。
妖艶なタイプではない。
整った顔立ちの中に、どこか清楚さと知性が宿っているタイプの美人なのである。
好みから言えば、私は知性が表に出ている女性は苦手である。心のどこかで妖艶な女性にあこがれているのではないかと思われる節もある。残念ながら、縁はないが。
つまり、この女医さんは、総じて言えば私のタイプからは少し離れている。
しかし、である。
2000年に受診したことで、私は、この後に何が待っているかを明瞭に知っている存在である。この後起きることの一方の主体が私なら、もう一方の主体は、いま、目の前に座っている、この美しい女医さんなのである。
この美しい女医さんとの、2人だけの秘められた儀式が目前に迫っている。

 美しい女性と一緒にいるのは、何よりも好きである。
だが、この場合は……。

 「………」

 そんな私の動揺に気づきもしない看護婦さんは、淡々と検査を進める。

 「はい、このイヤホンを耳に付けて、音が聞こえたらこのボタンを押してくださいね」

 「………」

 「はい、大きく深呼吸をしましょう。血圧って、測るときの状態でずいぶん違うんですよ。まず深呼吸をしてリラックスしましょうね」

 「………」

 聴力検査、血圧測定が終わった。ついに、あの女医さんの前に座った。

 「はい、胸を出してください。大きく息を吸って、吐いて、また吸って、吐いて、……………………………。はい、今度は背中ですよ」

 「………」

 「はい、ではベッドに乗ってください。これから直腸と前立腺を見ますから」

 「………」

 私は、これ以上書き進める勇気がないことを、読者のみなさまに正直にお伝えしなければならない。
あの惨めな姿を、悲惨なシチュエーションを、自らの手で描写する気力を持たない。
1つだけお伝えしよう。
穴があったら、そこから逃げ出したい心境であった。と思っているうちに、私の穴に女医さんの美しい、白魚のような指がニュルリと挿入されたのである。

 もう一度繰り返そう。

 屈辱の日?

 恥辱の日?

 汚辱の日?

 生き恥の日?

 惨死の日?

 赤面の日?

 男の誇りが失われた日?

 人間としての尊厳 が失われた日?

 穴があったら入りたかった 日?

 それから数日、気分は最悪であった。

(余談)
 検査風景を写真でご紹介しようとも思ったが、どう考えても美しいものではないため、断念した。