2004
02.26

グルメに行くばい! 第28回 :手捏ね寿司

グルメらかす

前回で、我が病は膏肓に入った。
病が膏肓に入るとどうなるか。
通常は、治療がきわめて困難になる。
しかし、治療をする気が全くない私の場合は、自信が身に付いた。なんといっても、そんじょそこらの店で食べるものよりずっと美味しいものを、自分の手で、我が家のキッチンで作り出すことができるのである。これが自信につながらないはずがない。

「美味いものが食いたい? まっかせなさーい!

でなものである。

ある金曜日、私はいつものように、会社のそばの小料理屋「かつら」にいた。平日の夕食の大半は、ここで酒を飲みながら済ます。それが、我が生活パターンであった。

「はい、もしもし、かつらでございます、あれぇ、○○さん、やっとかめだねえ。どうしとった? 元気やった?」

(注) 
「やっとかめ」について詳しく知りたい方は、「グルメに行くばい! 第10回 :シャンツァイ」をご覧ください。

 店主のおけいちゃんが電話に出た。なじみの客らしい。

「えっ、明日? うん、店やっとるよ。何言うとるの。うちは、いつも土曜日やっとるよ、中小企業だもんで。うん、いいよ、で、………、えっ、外人さん? 外人さんの口に合うもの? それはいかんがね。あんたも知っとるように、うちは小料理屋だがね。外人さんの口に合うもんなんて作ったことないもん」

小耳に挟んでいた、いまや自信にあふれかえった私は、思わず口を出した。

「どうしたの? 概ねはわかったけど」

「いや、おなじみさんからなんだけど、明日外人さんをうちに連れてきたい、いうのよ。私、洋食なんて作ったことないし」

 「わかった。来させなさい。私が引き受けましょう。私が、外人さんのお口に合う料理を、見事にお作りしようじゃああーりませんか」

 「ほんと? ほんとに作ってくれる? 大丈夫? ホントに作れる?」

「おけいちゃん、人を見くびってはいけない。男子一日会わざれば刮目して見るべし、と昔の人も教えている。私は、昨日の大道裕宣ではないのだよ、ハッハッハ」

いや、地震自信とは恐ろしいものである。かくして私は、小料理屋「かつら」のカウンターの中に初めて入り、この手で作り出した料理を、初めてお金を取って客に給することとなった。

プロの道、に一歩進むのである。

(より正確な理解のために) 
実をいうと、「かつら」のカウンターの中に入ったのは、2度目である。 
これより数年前、「かつら」のカウンターの中に入り込み、ハゼの刺身を作って客に給したことがある。 
もっとも、このときの客は会社の先輩で、しかもあまり好ましく思っていない先輩であったので、まあ、お遊びの一種である。

 その場でメニューを作り、買い集めるべき食材をおけいちゃんに示した。あわせて、赤ワイン、それに美味しいフランスパンもいくらか仕入れるように命じた。

なにしろ、明日は私がシェフ、料理長なのだ。カウンターの中の料理長はオールマイティである。威張っていいのである。

私がサラサラと紙に書いたメニューは次の通りである。

● タラのグラシオサ風
 (「グルメに行くばい! 第23回 :タラのグラシオサ風」を参照してください)

● マッシュルームのセゴビア風
 (「グルメに行くばい! 第7回 :年増女の味」を参照してください)

● ステーキ
 (「グルメに行くばい! 第18回 :ステーキ」を参照してください)

● スペイン風サラダ
 (「グルメに行くばい! 第9回 :漬け物ステーキ」を参照してください)

 以上、すべて、私が自家薬籠中にしたものばかりである。自分で作って自分で食べて、満足したものばかりである。

自ら最高と信じる料理を給するのがプロなのである。

(嘆き) 
最近、街中の料理店に、プロがすっかり少なくなりましたな。 
この料理、一体自分で食ってみたことがあるのかいな、という料理。 
こんな料理を、人様に食べていただけるものと判断してしまう舌しか持っていないのかと嘆きたくなる料理人が作った料理。 
寂しい世相、時代であります。 
もっと、プロを!

 当日。
私は、愛用のビタクラフトの鍋とフライパンを携え、午後4時には「かつら」にいた。
ステーキとマッシュルームのセゴビア風は客が来てから作り出せばよいが、ほかの2品は事前に仕込んでおく必要がある。

すでにご承知のように、サラダは玉ねぎ、キュウリ、トマトを切って混ぜ合わせ、オリーブオイルをかけて冷蔵庫に入れておけばよい。簡単である。

料理らしいのは、タラのグラシオサ風からだ。

「大道さん、今日はありがとね。ほんと、ごめんね、お休みのところ」

 「いや、いいよ」

と私は余裕を持って答える。この日の、私の自発的行動こそ、ボランティアなのである。

(告白) 
我が行動は慈悲の心だけによるものか? 
否! 
自己顕示欲と、 
「俺が作ったもの、本当に美味いと言ってもらえるかいなあ」 
という実験精神が色濃くあったことは認めなければならない。 
人間の行動は、様々な動機、欲求の複合体として現れるのであってみれば、その一部にボランティア精神が実在すれば、行動全体をボランティア行動と呼ぶのに躊躇する必要はない。

 「今日ね、市場に行って来たんだけど、タラが手に入らんかったんだわー。それで、同じような白身の魚がいいと思って、これを買ってきたんやけど」

登場したのは、40cmほどもあるスズキである。尾も頭もついている。立派なものである。

「うん、いいんやない」

言うなり私は、スズキを頭を左にしてまな板の上に置き、出刃包丁を胸鰭の下に差し込んだ。出刃包丁にグッと力を込め、骨に達するまで切り込みを入れる。スズキをひっくり返すと反対側からも同じように切り込みを入れ、頭を切り落とした。
内臓を取り除き、身を3枚におろす。慣れたものである。

じっと、私の手元をのぞき込んでいたおけいちゃんがいった。

「あ、あんた、ホントうもなったね。そのおろし方なら大丈夫そうだわ」

かくして、カウンターの中は私の支配下にある帝国と化した。

客の来店を午後7時と想定した。この時間にあわせて料理を準備する。「タラのグラシオサ風」、ではない、「スズキのグラシオサ風」は、午後6時に弱火にかけた。
準備万端整った。

客は2人連れだった。問題となった外人さんは、オランダの方。とはいえ、流ちょうな、立派な日本語をお使いになる。竹下通で

 「ちょー、むかつく!」 
 「ちょーカワイイ!」 
 「ちょーきもい!」

など、不完全で意味不明な日本語を吐き散らしている奴らの、口に、耳に、脳味噌に、この方の爪の垢を擦り込んでやりたいような日本語であった。

カウンターの中でこの日の帝王と化した私は、

「俺の日本語は大丈夫かな?」

などと殊勝なことは考えない。考えるのは料理のことだけである。

まず冷蔵庫から取り出したサラダを給し、マッシュルームのセゴビア風の調理に取りかかった。ニンニクをたっぷり使う。胡椒もたっぷり使う。私のお好みである。

「おや、何かニンニクのにおいがしますね」

と、客の1人がつぶやいた。

「はい、まずは『マッシュルームのセゴビア風』から召し上がっていただきます」

 「美味しそうな香りだな」

1分後、できあがった「マッシュルームのセゴビア風」を2人分の皿にとりわけ、客の前に置いた。置いた瞬間、客の顔が歪むのが見えた気がした。

「うわーっ、すごいなあ、このニンニクの量は!」

 「えっ、お客様、ニンニクは苦手でいらっしゃいますか?」

 「いや、そういう訳じゃないけどさ、この量は……」

目の片隅に、おけいちゃんが見えた。表情が暗い。眉間にたて皺がよっているようにもみえる。
困ったなあ、やっぱりこんな人に頼むんじゃあなかった。自分で何とかするか、最初からお客さんをお断りしておいた方がよかったんじゃないか。間違った人に頼んじゃって、このお客さんをなくすんじゃないかなあ。売り上げが減るなあ。
心の中で、そんな不安が、真夏の入道雲のように急成長していたのかも知れない。
が、帝王はまったく動揺しない

「はい、この料理はたっぷりのニンニクを使った方が美味しいものですから。もしお嫌でしたら、ニンニクだけよけて召し上がってください」

言いながら、ステーキの準備に取りかかった。こいつにも、ニンニクをたっぷり使う。

ミディアムレアに焼き上がった肉に茹でたニンジン、ジャガイモを添え、客の前に運んだ。
「マッシュルームのセゴビア風」の皿は、すでにになっていた。
マッシュルームはひとかけらも残っていなかった。ま、これは当然の流れであろう。
そして、問題のニンニク。2人の皿を隅から隅まで点検した。箸でつまめる大きさのニンニクのかけらは、ひとかけらも残っていなかった。皿に盛りつけたニンニクの95%は客の胃袋に収まっていた。

「あれ、お客様、ニンニクも召し上がったのですね」

 「あ、うん、いやあ、量にはびっくりしたけど、食べたら美味しくてねえ。ついつい全部食べちゃった」

私は、胸の内でにんまり笑った。もし顔の表情に表れていたら、それを会心の笑みと呼ぶことになんの躊躇もない。

やがて肉が終わり、最後のスズキのグラシオサ風を給して、私はカウンターを出て客の隣に座った。

(余談) 
我が畏友「カルロス」も、よくカウンターを出て客と話す。食べ物とワインについての蘊蓄を披露する。作り方から材料の選び方、食べ方は言うに及ばず、話は時として時間と空間を飛翔し、食い物の歴史にまで及ぶ。
選んだのが、フレンチやイタリアンといった大通りに比べれば、ちょいと引っ込んだところにあるスペイン・アンダルシア料理なので大ブレイクは難しかろうが、なかなかの料理人ではある。

 カウンターの中にいればこそ、私は帝王であった。が、カウンターのこちら側に来れば、ただの人である。
緊張が続いた調理作業から解放されて、私はビールを飲み始めた。今日ぐらいはロハで飲ませてもらっても罰は当たるまい。
すっかり渇いていた喉が潤うと、自然、口も軽くなる。

「お楽しみいただけましたか?」

 「いやあ、美味しかったです。連れもすっかり喜んでくれまして。それにしても、今回はご無理なお願いをしまして申し訳ありませんでした。こちらでいつもお作りになっている和食とは全く違うものですから大変だったでしょう?」

カウンターにとまって、手酌でビールをぐいぐい飲んでいるただの人はいった。

「いやあ、お口に合いましたでしょうか?」

客席に出てきてグビグビビールを飲む「料理人」は、客の目にどう映ったろうか?
が、お客様はいい方であった。怪訝そうな表情はしながらも、言葉はあくまで丁寧であった。

「いやあ、ホントに楽しませてもらいました」

ただの人に戻った私に代わって場を取り仕切るのは、店主おけいちゃんの役割である。

「いえね、この方、今日だけ手伝ってくださったんですよ。しかも、お隣の会社に勤めていらっしゃる方なんです」

スーパーマンは、自分の普段の姿をさらさない。正体を知っているのは観客だけである。だから、スーパーマンは神通力を持つのである。
楽しく料理をし、客に賞賛の言葉をもらい、地震自信がマグニチュード7.9ほどに膨らんでいたこの日のスーパーマンは、あっさりと正体を明かされてしまった。そんなん、楽しくないじゃない!
もっとも、おけいちゃんしてみれば、なじみの客に、おかしな料理人を雇ったと思われたくなかったのかも知れない。
でも、だとすると、客にしてみれば、「かつら」は素人料理を食べさせてお金を取る不埒な店ということになってしまうじゃあないか。
ねえ、ねえ、おけいちゃん。何で私の正体を明かしたの?

おけいちゃんは平然と料金を請求し、客は当然のことのごとく料金を払って店を出た。
かくして私は、プロの道に踏み出した。
いや、そういえば、おけいちゃんは私に、労働の対価を払ってくれなかった。ということは、やっぱり私は、プロではないのかな?

ということで、今回もたくさんの料理が出てきたが、どれもこれも過去にレシピが登場したものばかりである。今回も、ストーリーとは関係ないレシピでお許し願うことにする。

 【手捏ね寿司】

 材料 
  ご飯 
  鰹、ブリなど脂の強い魚 
  醤油、みりん、日本酒 
  胡麻 
  シソの葉 
  ショウガ

 作り方

1,ご飯をやや固めに炊く。

2,魚を3枚におろし、皮と小骨をとってやや厚め(8mm~1cm)に切る。

3,切った魚をボールに移し、醤油、みりん、酒をひたひたになるまで注ぐ。この状態で30分ほど置く。醤油、みりん、酒の分量はお好みで。一般的には3:1:1程度だろう。

4,これでもかというほどの量のショウガをみじん切りし、2~3分、醤油とみりんの混合液に漬ける。

5,ご飯が炊けたら桶に移し、上からボールの中のものとみじん切りしたショウガを全てぶっかけてかき混ぜる。

6,胡麻、繊切りしたシソの葉をかける。

 以上で完成である。量に関しては大雑把に書いた、いや何も書いてないが、自分で調整してみてほしい。ポイントは、たっぷり脂がのった旬の魚を使うことだけである。
と書いて、いつものように畏友「カルロス」に点検を頼んだ。

砂糖と塩の入っとらん!」

とお叱りの電話が来た。

「そもそもこれは漁師料理で、砂糖と塩は是非もの

なのだそうである。
私は甘さが好きではないので、甘味は味醂で代替しようとしたのだが、

「砂糖と味醂は味の違おが!」

と一蹴された。
お作りになる際、どちらの言い分を採用されるかは、読者諸氏、諸姉の自由である。私は、あくまでも自分の味に固執する者である。

醤油や酒が染み込んだ魚が、炊きたてのご飯の熱で加熱され、その美味しさがご飯にまで乗り移る料理である。
暖かいうちに食べても美味しいし、冷めても結構いける。ご飯茶碗によそって上から熱い番茶をかければ、立派な魚茶漬けになる。
たらふく酒を飲んだ後の仕上げに最適である。

ぜひお試しを!