2004
04.09

グルメに行くばい! 第33回 :チャーシュー

グルメらかす

宴の後、は結構長かった。
なにしろ、ゴールデンウイークの後半は、ずっと宴の後だったのである。

「おい、カルロス。天気はこんなにいいのに、人が来ないなあ」

「来んねえ。あれやろ。連休の最初の3日ぐらいで、財布の空っぽになったつやろ。みんな貧乏人たい。あんまり金ば持っとらんちゅうこったい」

 「そうかもしれんなあ。俺の財布も軽いもんなあ。連休が長すぎるのも考えものだ。みんな何をしてるんだろ?」

 「決まっとるやなかね。どこにも出かけんと、家でインスタントラーメンばすすりよっとたい!」

 「そうかもしれんなあ。でも、インスタントラーメンは避けたいぜ。インスタントといえば、いま名古屋で1人暮らしだろ、俺。それで、時々、朝目を覚まして、しまった、ご飯がきれていた、なんてことがあるのよ。それから飯を炊いていたんでは仕事に間に合わない。パンは嫌いだから買ってない。仕方なく、インスタント焼きそばを食べるんだなあ。で、そんな日は、朝の11時ごろまで、なんとなく胸からお腹にかけて違和感があって、体が重いのよ。胸焼けともちょっと違う違和感なんだ。で、その時刻をすぎると、スッと違和感が消えて体が軽くなる。『あ、消化が終わったな』ってな感じになる。インスタント焼きそばを食べると、必ずそんな違和感があるんだ」

 「やっぱ、インスタントちゅうとは、体に良うなかかねえ。俺はマルタイラーメンば好いとっとばってんねえ」

「うん、インスタントはできるだけ避けたい」

 「ほんならあんたは、もし連休後半に暇で家におったらなんば食べっとかね」

 「そうだなあ、今日なんかはけっこう気温が高いんで、ソーメンなんかいいなあ。青唐辛子を刻んで入れると美味いぜ」

 「やっぱ、あんたも貧乏人やねえ」

私も畏友「カルロス」も、そんじょそこらにいる凡人である。暇になったら、とりあえず無駄話程度しか、やることがない。
凡人のそこから先は、もっと悲しい。
話題が尽きるのである。
狭い掘っ建て小屋の中で、男2人。そのうちの1人、畏友「カルロス」は、見た目も実質も、まごうことなき中年である。
もう1人、この私は、見た目はずいぶん若々しい。夜のちまたでは、

「あなた、35歳ぐらい?」

なんて夜の蝶に迫られる。気分がいい。鼻の下が伸びる。
だが、遺憾なことに、気分がよくても、鼻の下が伸びても、私が畏友「カルロス」の先輩である事実は永遠に消えない。

狭い掘っ建て小屋の中で、中年の親父が2人、疲れ切った顔をして、黙然と座り続ける。どのアングルから切り取っても、絵になる光景ではない。
いや、「宴の後」というテーマなら絵になるか?

いずれにしても、気詰まりだ。何とか打開しないと、心まで疲れて腐りそうだ。

「おい、ワインでも飲むか?」

 「そうやねえ、この分やと、客もあんまり来んやろけん、飲もうかね」

 「またお好み焼きでも調達してくるか」

 「ピザもよかねえ」

かくして、売れ残りのパエリアがワインのおつまみであるお好み焼き、ピザに変身し、スペイン・リオハ地方で産した高級ワインのコルクが抜かれ、酒盛りが始まった。
時刻は、午後4時。

「もう人出も終わりかなあ……」

 「そうやろねえ」

たるい。なんともかったるい。棺桶が目の前にぶら下がり、なんとその上に自分の名前が書いてあるのに、それが当然だと自分で納得しているような午後である。
いかぬ。このままではいかぬ。活気というものを注ぎ込まないと、本当に2人して棺桶に入りそうである。

「こんな時は、音楽かねえ」

 「そやねえ」

CDラジカセにCDをセットした。
こんな時にレクイエムやお経のCDなんぞにしたら、2人それぞれが、自分の葬式を思い浮かべてしまう。
ラブ・バラードなんぞを聞いた日には、親父2人、顔を見合わせながら、すぎてしまった青春を思い起こして涙ぐんでしまう。
薄汚い、狭い、掘っ建て小屋。涙ぐむ親父2人。
見た瞬間に、身も心も汚れてしまうような、絶対に見たくないシーンである。

こんな気分の時は、ハードなロックンロールがいい。

私は、The Beatlesのホワイトアルバムを手に取った。“Back in the U.S.S.R. ”で始まる1枚目ではない。
“Birthday”が頭に入った2枚目である。

 ♪
 デコンドドンドン 
 ジャジャジャジャジャジャーンジャジャン 
   フンチャフンチャフンチャフンチャ 
 ジャジャジャジャジャジャーンジャジャン 
   フンチャフンチャフンチャフンチャ 
 ジャジャジャジャジャジャーンジャジャン 
   フンチャフンチャフンチャフンチャ 
 ジャジャジャジャジャジャーンジャジャン 
   フンチャフンチャフンチャフンチャ 
 ジャジャジャジャジャジャーンジャジャン 
   フンチャフンチャフンチャフンチャ 
 ジャジャジャジャジャジャーンジャジャン 
   フンチャフンチャフンチャフンチャ

 (注) 
音楽を、旋律を、リズムを活字で表現するという難行に挑んだのが、上の表記である。これは、イントロ部分である。書きながら、私の頭の中ではリードギター、サイドギター、ベース、ドラムスが、激しく、メロディアスな音楽を奏でているのである。
これでは何のことか分からない、頭の中で音楽を再現できないとおっしゃるあなた。そんなあなたは、自らの音楽力を疑われた方がよろしい。
嘘だとおっしゃるのなら、同じCDがあれば再生していただきたい。
「デコンドドンドン」
「フンチャフンチャフンチャフンチャ」 
などが、これしかない究極の表現であることをご理解いただけるはずである。


You say it’s your birthday 
 It’s my birthday too, yeah

 ボリュームを上げる。狭い、汚い掘っ建て小屋に、Paul McCartneyの、甘くて高い声が響き渡る。まだ若いころのやつだから、張りもある。
ウン、ウン、来る、来る、カモーン、てなもんである。
ワインは、もう3分の1も残っていない。

「おい、カルロス、ワインがないぞ」

♪They say it’s your birthday
We’re gonna have a good time 
I’m glad it’s your birthday 
Happy birthday to you.

 「そういえば、もうすぐ俺の誕生日だなあ。おっ、このワイン、けっこう良さそうジャン。いいのか?」

♪Yes we’re going to a party party 
 Yes we’re going to a party party 
 Yes we’re going to a party party.

 Take a cha-cha-cha-chance-Birthday 
 Dance

 「誰も誕生祝いのパーティなんてやってくれないよなあ。誕生日は1人で名古屋にいるんだもんなあ。横浜の自宅にいても何もないだろうけど」


You say it’s your birthday 
You say it’s your birthday 
We’re gonna have a good time 
I’m glad it’s your birthday 
Happy birthday to you.

 「ま、今日が誕生日の代わりみたいなもんか。飲むぞー」

2本目のワインが、快調に減っていく。客は来ない。

曲は“Yer Blues”に代わり、“Mother Nature’s Son”を経て、“Everybody’s Got Something To Hide Except Me And My Monkey”に移った。

このころからである。
我々2人を、不思議な衝動が襲った。

(注) 
以下は、所詮、Me And My Monkey(俺と猿)の話であると、突き放して読んでいただきたい。

 が、浮いた。
浮いて、前後左右に揺れ始めた。
左右だけではない。私の場合は長い足、畏友「カルロス」の場合は短い足、を曲げたり伸ばしたりするために存在する膝が、その本来の役目を果たし始めた。簡単に言うと、腰が、前後左右だけでなく、上下にも揺れ始めたのである。

が前後左右に揺れる。
が、が、震える。いや、震えたのでは、単なる中風である。この際は、くねりながら前後、左右、上下に動き始めた、と表現したい。

確かに我々はワインを飲んでいた。すでに2本目である。アルコール、ポリフェノールが体内を駆け回っている。なかでも、アルコールは我々の脳細胞に働きかけ、麻痺させ始めている。普段でもあまり存在しない理性がさらになくなり、普段でも問題視されている判断力がさらに衰える。

酔ったのか?
酔って、自らの体を制御できなくなったのか?
酔って、壊れたロボットになり果てたのか?

だが、薄汚い掘っ建て小屋の中年2人の体の動きをよく見て欲しい。近くにあるラジカセから流れ出している音楽のリズムと、正確にではないが、シンクロしている!
間違いない。この中年親父2人は、音楽に合わせて体を動かしている!

そうなのである。
ワインを飲みつつ無聊をかこっていた我々は、The Beatlesの音楽に浮かれて踊り出したのである。

我々はいい年をした大人である。人前で、様にならない踊りを踊るのは、気が引ける。はっきり言って、恥ずかしさが先に立つ。
ワインのアルコールが尻を押したのである。押されて、最初は処女のごとく、おずおずと体を動かし始めたのである。動かしてはいけない、動かしたら恥ずかしい思いをすると分かりながら、体が勝手に動いてしまうのである。

が、最初は嫌々ながらでも、内側から突き上げてくる衝動にやむなくでも、恥ずかしさに顔を染めながらでも、動かし始めた体は、やがて快感につながる。体を動かすことが、だんだん楽しくなってくる。そのうち、楽しくて仕方がなくなってくる。

 No, Don’t stop it! 
 Do it, do it, do it for me! 
 Oh yes! Come on! 
 Wonderful! How wonderful the rhythm you are making for us! 
 Go~od!

(余談) 
少しばかり言葉と表現を変えると、ポルノになるな、この部分。そのうち、挑んでみるか?

 小汚い掘っ建て小屋の中で、中年親父2人が、踊り始めた。踊り狂い始めた。踊り狂いながら、口を動かしている。


Everybody’s Got Something To Hide Except For Me And My Monkey

 あれまあ、歌ってるよ、あいつら!
John LennonとPaul McCartneyにでもなったつもりなんかいな?

(余談) 
そういえば、 一昨年11月、Paul McCartneyの日本公演に出かけたことは、「Paul McCartney on Stage」ですでにお知らせ済みです。 
緊急レポートの中で、本当は7枚しか必要ないチケットを、予約の関係上、つまり4枚単位でしか予約を受け付けてくれなかったため8枚買ってしまい、1枚余ってしまったと書きました。そう、あの
「本当は必要なかった1枚」
です。 

では、その1枚はどこへ行ったのか? 
ちょうどいい機会です。ここで、秘密を公開しましょう。 
畏友「カルロス」をご招待したのであります。 
Johnにいかれている畏友「カルロス」は当初、 
「へっ、何が嬉しくてPaulのコンサートなんかに行かないかんかね」 
と毒づいていました。 
どうでもよかったのですが、私は彼の人格をテストしてみました。 
「あ、そう。でも、このチケット、1枚1万4000円もしたんだよなあ」 
畏友「カルロス」の反応はこうでした。 
「ん? 行ってもよかばい」 
まあ、世の中は、すべてこの程度の群衆で構成されているのであります。

 まあ、我々にしても、才能のあるなしをわきまえる程度の理性はある。逆立ちしたところで、酒断ちしたところで、我々2人がJohnとPaulになるはずがない程度のことは充分に承知している。
酒と音楽に、体が、気分が浮き立ったのである。

が、我々の年代の男にとって、音楽に合わせて体を動かすのは、きわめて困難な作業であることは疑いない。

畏友「カルロス」は。
下唇が上唇より前に出るほどに顎を突き出し、しかも唇は半開きの状態である。こうすると、自然と唇が横に引かれる。目はどこにもない上空の一点を見つめ、両方の黒目が中に寄っている。できの悪い歌舞伎役者である。
この表情で、ひざは軽く曲がる。手は中空を漂う。漂っていた手の一方が、その陰部を隠す位置に移動する。時には、手元にあった団扇で陰部を隠す。反対の手は紙皿を持ち上げ、薄くなった頭部に乗せる。落ちそうになる紙皿を上から抑えて止める。
次の瞬間には、頭にあった紙皿が陰部に移動し、陰部にあった団扇が薄くなりつつある頭頂部に乗る。
このまま、声を絞り出しながら体を揺する。


Oh I’ll tell you something 
I think you’ll understand 
When I say that something 
I want to hold your hand~~ 
 (I want to hold your hand)

 (突っ込み) 
そりゃ、あんた、そんな格好で「抱きしめたい」なんていって迫っかけたら、女の子は尻をからげて逃げますって! 逃げない女はどこかおかしいって!

 揺すりながら、体の上下動まで加わる。


It’s not the way you smile that touched my heart 
It’s not the way you kiss that tears my apart 
  (Baby it’s you)

(突っ込み) 
ほら、店の前にいた女の子3人、パエリアを買いに来たかも知れないのに、どっか行っちゃったよ、まったく。

  The Beatlesの面々はメジャーデビュー前、ハンブルグで便器の便座を首にかけて演奏した。売るためには何でもする。プロである。が、情けない格好である。惨めな格好である。
いま、畏友「カルロス」は、The Beatlesを乗り越えた。乗り越えて、限りなく情けなく、限りなく惨めな舞を舞うのである。小汚い掘っ建て小屋の中で。
いってみれば、The BeatlesのRock’n Rollに合わせて演じられるドジョウ掬いなのである。

私は、恥を知る者である。The Beatlesを限りなく尊敬する者である。
彼らは、時代を変えた。20世紀の音楽を飛躍させた。21世紀になっても古くささを全く感じさせない音楽を生み出した。
しかし、自分たちが創造した音楽に合わせてドジョウ掬いを踊る人間がいると知ったら、The Beatlesの面々は肥壺に飛び込みたくなるに違いない。

私は隣にいる。当面、笑うしかない。笑いながら、私は人生を左右するような大問題に直面していることを知った。
隣で、我が畏友「カルロス」が、ドジョウ掬いを踊る。私はどうすべきなのか?
義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たいこの世界、
において、廉恥と友情が綱引きする。綱引きして、やがて、勝負がついた。

私は、畏友「カルロス」の隣で、The BeatlesのRock’n Rollにあわせて、盆踊りを踊ったのである。


Don’t let me down~~ 
 (Don’t let me down)

 救いは、ドジョウ掬いより盆踊りの方が、優雅で美しいことである。目くそ鼻くその差ではあるが。

私は、恥を知る者である。その1点の救いがなければ、とてもあのような蛮行に出ることはできなかったはずだ。


Help! I need somebody 
Help! Now just anybody 
Help! You know I need someone 
Help! 
 (Help!)

 が、今思う。
私は恥を知る者であるのか?

薄汚い掘っ建て小屋で、The Beatlesが大音量で流れる。それにあわせて演じられるドジョウ掬いと盆踊りは、イベントの最終日まで演じ続けられたからである。
さらに悪いことに、日を追って2人の踊りが、量的にも質的にも向上したからである。


How can I go forward when I don’t know which way I’m facing? 
How can I go forward when I don’t know which way to turn? 
How can I go forward into something I’m not sure of? 
Oh no, oh no 
 (How?)

 再度問おう。

私は恥を知る者であるか?


Day after day alone on the hill 
The man with the foolish grin is keeping perfectly still
 (Fool on the hill)

 我々が必死になってパエリアを作り、売った掘っ建て小屋は、いつからか、

踊るパエリア屋

と呼ばれるようになった。

 

踊るパエリア屋のダンサーたち。右が畏友「カルロス」。 当然、左が私ということになる。

着目していただきたいのは、2人の背の高さと腰の位置。

「私の場合は長い足、畏友『カルロス』の場合は短い足」という本文中の描写の正確さを理解していただけるものと思う。

 


When I get older, losing my hair
Many years from now
(When I’m sixty-four)

 私のゴールデンウイークは、かくして始まり、かくして終わった。

心からしんだ、

芯かられた、

根底から自らをに至った、

実に有意義な日々であった。


I’m so tired, I haven’t slept a wink
I’m so tired, my mind is on the blink
I wonder should I get up and fix myself a drink
No, no, no
 (I’m so tired)

(余談) 
そういえば、結婚前の私が、結婚前の妻に出した手紙には、かならずThe Beatlesの歌詞の一説が使われていたのであります。そう、当時はけっこう努力をしていたようであります。
現在は、
「恥ずかしいことをしたものだ」
との反省が先に立ちますが、同時に、同じような手紙を受け取ったという女性が名乗りでないことを願うばかりであります。

 というわけで、やっとイベントが大団円を迎えました。そこで、今回のレシピです。どういう訳か、【チャーシュー】にしました。
基本的には、林望さんの「音の晩餐」(徳間書店)からのパクリです。この本を見て製作した妻がまず虜になりました。確かに、そんじょそこらのチャーシューとは一線を画した逸品ができあがります。その後、我が家では来客時の定番料理となっております。

 材料 
  豚肉肩ロースのブロック 
  ニンニク 
  ごま油 
  胡椒 
  酒 
  醤油 
  ネギ 
  ショウガ 
  リンゴ 
  粒ゴショウ 
  昆布 
  八角(スターアニス)

 作り方

1,肩ロースのブロックに胡椒を擦り込み、凧糸を強く巻き付けて縛る。

2,フライパンにごま油を入れ、ニンニクを数片入れて加熱し、香りをつける。

3,凧糸で縛った肩ロースをここに入れ、ころがしながら表面に焦げ目をつける。

4,深さのある鍋にこの肉を入れ、肉がすっかり隠れるまで酒と醤油を同量ずつ入れる。さらに、ネギの青い部分を2~3本分、薄切りにしたショウガを6~7枚、皮を剥いただけのニンニクを2~3かけ、リンゴ半個、昆布、八角2分の1を入れて蓋をし、念入りに灰汁をとりながら弱火で1時間~1時間半煮る。

 以上です。
豚肉に完全に火が通ったらできあがりです。特に注意することもありません。

林望先生は、肉を引き上げたあとのタレは、中に入っているいろいろなものを全部取り除いて少し煮詰めると書いてあります。そうすると、立派なラーメンのタレができるのだそうです。
あっさり目のラーメンが食べたい場合は鶏ガラなどでスープを、こってり系がいい場合は豚骨でそれぞれスープをとり、このタレを溶かしてやると、美味しいラーメンスープができあがると書いてあります。
我が家ではやってみたことがないので、ここでは林望先生の言葉をお伝えするしかありません。気が向いたらチャレンジしてみてください。

以上、お試しあれ!