2004
08.06

グルメに行くばい! 第47回 :番外編13 ラスベガス(下)

グルメらかす

死ぬような思いでトイレを出てきた私を、同僚が、手持ちぶさたそうに待っていた。彼は、私を見るなり心配そうな声でいった。

「どうしたんだ、えらく青い顔をしているが」 
  
 「いや、中でさ、本格的なぎっくり腰になっちゃって……」 
  
 「そんなに悪いのか。とりあえず、ほら、ベンチがあるから座れよ。立ってるのがつらそうだぞ」 

確かに、木製のベンチがあった。私も座りたかった。できれば横になりたかった。
みなさんは日頃、何の気なしに立ったり座ったりされていると思う。私だって、腰痛がないときはそうである。
しかし、これまでにないほどひどい腰痛に襲われると、立つ、座るという単純行動が、実は極めて複雑な全身運動であることが理解できる。
ベンチに座る。そのためには股関節と膝の関節を曲げれば済む、というものではない。この2つの関節だけを曲げると、体はバランスを失い、体は尻から落下する。尻がハードランディングする。ハードランディングを避けるには、くるぶしの関節を少し曲げ、腰に力を入れてバランスを保たなければならない。人は無意識のうちにこれだけの作業をして座る。

と気付いたのは、この瞬間である。目の前にあるベンチに座りたい。それなのに、座れないのである。座ろうとすると、飛び上がりそうな激痛が腰に走る。

「いや、その、座りたいんだけど、座れないんだよ。座ろうとすると、腰に激痛が走ってさ」 

我が友腰痛との一連の付き合いの中で、私はこの時初めて戦慄した。
俺って、このままずーっと立ってるのか? 飯食うときも立ってるのか? 寝るときも立ってるのか? ここから帰るタクシーに乗るときも立ってるのか? そんなん、無理ジャン!

加えて、私にはどうしても果たさなければならないミッションがあった。土産を買い集めることである。そのために、すでにモールを1周しているし、落ち着いて買い物をしようと考えてトイレにも向かったのである。そうした周到な準備の先に、こんな肥溜めが待っていて、狙いすましたかのように落っこちてしまうとは、神ならぬ身の私に想像ができることではなかったのである。

私は、立ち続けた。両手を腰にあてて腰が揺れないようにした。このポーズに効果があったかなかったかは、恐らく気分の問題であろう。でも、何か少しでも腰に良さそうなことをしないと、不安なのである。

両手を腰にあて、背筋をまっすぐのばしてすっと立つ。傍目にはなかなか立派に映る姿勢である。観兵式に臨む大将のポーズである。違うのは、大将は威厳を示すためにこのポーズを取るのに、私は痛む腰を押さえつけるためにこのポーズを取らざるをえなかったことぐらいである。

どれくらいの時間、このポーズを決めていただろうか。やがて、200鼻毛ほどもあった痛みが、172鼻毛程度にまで治まった。慎重に腰を動かしてみる。いかん。鋭い痛みが走る。ピークインディケーターは570鼻毛あたりをたたきだす。まだ、腰は動ける状態ではないらしい。

歩いてみる。そろりそろりと足を出す。うん、激しい動きをしない限り、何とかなりそうだ。動かないより、動いた方が腰にもいいのではないか?
私は、観兵式の大将のポーズを取ったまま、ゆっくりと歩き始めた。買い物に取りかかったのである。
職場用、および妻の実家用の菓子、娘に頼まれたチビT、化粧品、妻殿向けのサマーセーター……。
私は痛む腰を押さえ、ほとんどすり足で歩き回り、ゆっくりと時間をかけ、宿題をこなしていった。全て仕上げるまでに2時間ほど要した。この腰の状態でミッションを完遂する。ミッション・インポッシブル顔負けの超人的な技である。

さて、ホテルに帰らねばならない。ホテルに帰るにはタクシーに乗らねばならない。が、私は座れない人である。どうやってタクシーに乗るのだろう?

外に出た。ベンチがあった。格好の練習台である。そう、いまの私にとっては、座ることは練習が必要なことなのである。
肘掛けと背もたれに手をつき、少しずつ、少しずつ腰を下げていく。ん、痛てっ! でも、痛くても、座らないことにはタクシーに乗ることができない。腰の角度を工夫し、足の位置に気を配り、一番痛くない姿勢をとりながら腰を下げる。ゆっくりと、ゆっくりと……。

ついた。我が尻が、固いものに触れた。ベンチの座面である。やがて、全体重を尻にかけ、私はベンチにどっかと座った。2時間前は、座るなんて夢のまた夢であった。座ろうとするだけで、腰が悲鳴をあげ、全身から脂汗が吹き出した。それが、何とか座ることができた。ナガアシの進歩じゃーあーりませんか!

這うようにしてタクシーに乗り込み、後部座席に長々と横たわって、何とかホテルまで戻った。アウトレットモールでずっと私についてサポートしてくれた同僚も、一緒に部屋まで来てくれた。

「大道さん、大丈夫?」 

心配そうな視線を送ってくる。大丈夫と言いたいのは山々だが、残念ながらいえる状態ではない。

「いやあ、おかげさまでなんとかホテルまでは戻ってきたけど、このままじゃあ、食事に出ることもおぼつかない。いや、飯ぐらい1食、2食抜いても死にはしないけど、明日は日本に帰るんだよなあ。飛行機のシートに座っていられるかどうか、そっちの方が自信がないんだわ。俺、1人でラスベガスに残って、腰の痛みが引くのを待つのかなあ……。飲まず食わずでこの部屋にいてさ、10日後に餓死死体で発見されたりしてね。日本の新聞にも載るのかなあ?」 

ベッドを避け、床に横になった私の声は、恐らく、限りなく弱々しかったに違いない。演技ではない。こんな演技ができるようだったら、いまごろアカデミー賞を取っている。大きな声を出すと腰に響くのである。それに、同行者全員が明日の航空チケットを持っており、明日は機上の人とならねばならない。私が飛行機に乗れない体だとすると、私1人、ここラスベガスのホテルの床に取り残されかねないのだ。心細くもなっていた。

 「医者に行くしかないよね」 

我が同僚は至極真っ当なことを言う。だが、医者で腰痛が治るのか? 日本では、医者に行っても腰痛は治らず、マッサージに通うというのが常識であるぞ! しかも、期限は1日だけ。明日には、痛みが引いていなければならないのである。

「何もしないより、思いつくことをやって見なきゃ」 

腰痛に苦しめられ、床に横になるっている私は無力である。この場のリーダーシップは、全て同僚が握る。

「ね、大道君、確か海外旅行保険に入っていたよな」 
  
 「ああ、書類はその鞄の中に入っているよ」 
  
 「緊急時のサポートセンターが書いてあるはずなんだ。まず、そこに連絡してからだよ……。ほら、あった、あった。ちょっと電話してみるからね」 

こうした実用知識も、同僚の方が上であった。床に横たわる私は、ただただ助けを待つばかりである。
やがて、救急車を回してくれることになった。救急車に乗って、サポートセンターの指定した医療機関に行くのである。
救急車に自分で乗るのは、これが初めてだ。初体験がアメリカの救急車、ラスベガスの救急車。ちょっぴりドキドキしないこともない。腰痛になっても、俺って格好いいジャン! 

何とか1階まで降りて、外で救急車を待った。白塗りで、屋根の上に回転灯を乗せ、サイレンを鳴り響かせながらやってくる車は、なかなか見えない。

「えらく遅いな」 

と言ったときだった。目の前でワンボックスカーが止まった。ちょっと太り気味の初老の男性が運転している。

おいおい、ここはこれから救急車が止まる場所だぜ。私が救急車に乗り込む場所なんだよ。こんなところに関係のない車が停車しちゃったら、救急車をどうすんのよ! 腰痛の私をどうしてくれるのよ!
思いは、同僚も同じらしかった。運転している男性のところに歩みよると、何か話している。

「大道君、これが救急車だって」 

えっ、だってこれ、どこにでもあるワンボックスカーじゃないの。こんなんで運ばれるのか。格好悪いなあ……。そもそも私は、ワンボックスカーやRV車に1人だけで、あるいは少人数で乗っているヤツを見ると、そいつの知性を疑ってしまう人間なのだよ。あんな車は極めて限定された使用目的のために開発されたもので、そのため、乗り心地や燃費はある程度無視されておる。それを町中で乗り回すとは、何とものを考えない人間であることよ!

いや、助けを待つ人間はそのようなことに怒りを覚えてはならない。怒りを覚えるゆとりはない。とにかく、お医者さんのところまで運んでもらわなければ明日が開けないのである。運んでもらっても、明日が開くかどうかは不確かではあるが。

スライドドアが開く。大きく開いた開口部から車に乗り込もうとした。乗り込めない! 頭が天井にぶつかるのを避けるために腰を曲げようとすると、激痛が走る。どうすんだよ、おい。直立したままじゃあ、車の天井を壊さない限り乗り込めないぜ!

工夫した。まず、車のステップに後ろ向きに座る。座ったら両手で支えながら体を後にずらし、足を伸ばす。ズルズル、ズルズル、という感じで体を車の中に向かって後ろ向きに滑らせていくのである。

(余談) 
人が同じことをやっているのを目にしたら、同情するか、笑いものにするか……。私は後者であるのに違いない。が、実行しているのが自分となると、そんな思いも浮かばないほど必死である。

 22分後、我が救急車は、クリニックの入り口に横付けされた。乗るときの反対の要領で体を車から出し、同僚の助けを借りて立ち上がった。そろりそろりと前進する。クリニックに入る。

待つこと14分。

 「やっ、どうしました」 

地獄に仏とは、まさにこのことである。現れた医者が日本語をしゃべったのである。しゃべっただけでなく、どうやら本当の日本人らしい。助かった! これでコミュニケーションギャップの心配をしなくて済む!

実は、言葉の問題が大きな悩みであったのだ。通訳を同僚に任せるとしても、隔靴掻痒にならないか? 真の症状が伝わらず、結果として治療がうまくいかなくなるのではないか?

だから、このお医者様と出会った瞬間、腰痛が治ったような気がした。ニューヨークまで歩いて行けそうな気がした。やはり私は日本人である。

といっても、気がしただけで、相変わらず腰は痛み続けていたのだが。

「はい、ぎっくり腰になってしまいまして。困ったことに、明日は帰国の日なんです。飛行機はビジネスクラスですが、とにかく腰が痛くてしょうがなくて、動かせないんです。曲げられないんです。このままじゃビジネスクラスのシートにすら座れそうにありません。帰国しないと困るんです、先生。どうか、飛行機に乗れるようにしてください。帰国できるようにしてください。あなた1人が頼りなのです。先生、あなたに見捨てられたら、私はもう生きてはいけないのです。お願いです、先生。私の愛を受け止めてください」 

とにかく、必死であった。懇願した。

医者とは、ひょっとしたら気楽な商売なのかもしれない。

 「あー、そうですか。明日日本にお帰りになる。はい、はい、分かりました。何とかしましょう。そうかあ、僕ももう日本を離れて何年になるかなあ。3年かなあ。ま、とにかく、じゃあ、治療室に行きましょう」 

おいおい、そんな安請け合いしていいのかい? 腰痛だぜ。マッサージに通っても、多少楽になって、何とか普通に近い状態で車に乗れるようになるのに4、5日はかかるんだぜ。こちとら、経験者なんだから、お見通しなんだよ。それを、はい、はい、分かりました、って、何とかしましょう、って、本当に明日飛行機に乗れるようにしてくれるのかよ! 乗れなかったらどうしてくれる?!

治療室に通された。10畳ほどの部屋に金属製のベッドが置いてあった。

「はい、ズボンを下げてお尻を出してね、は、そう。それで、ベッドに俯せて寝てください」

そんなトリッキーな動きができないから、ここに来てるんだろうが!

「痛い? いや、痛くってもねえ。とにかくそうしてもらわないと、治療ができないんですよ。あんた、男でしょ。ちっとは我慢もしなくっちゃあ」 

人は、他人の痛みを絶対に理解できないものである。人の痛みを知れ、なんていうのはまやかしである。

「でね、これからモルヒネを打ちます」 

モルヒネ?! それって、麻薬だろうが! いくらラスベガスだからといって、モルヒネ?! 俺、ジャンキーになりたくてラスベガスまで来たんじゃないんだけど……。

 「ああ、そうか。日本じゃモルヒネってあんまり使いませんよね。ちょっとご説明しておいた方がいいでしょう。腰痛って、腰の骨が痛んでるんではなくて、痛んでいるのは筋肉なんですね」

こちとら、経験者である。腰痛の本も読んだことがある者である。その程度の知識は持っている者である。馬鹿にするのではない。

「で、痛みを感じると、筋肉は収縮するんです。ま、痛みに対して、これ以上の外敵がやってこないように身を固くするとでも申しましょうか。それはいいんですが、筋肉が収縮すると、そのあたりの血管は当然のことながら圧迫されます。血管が圧迫されると血が流れなくなる。ところがね、痛みの原因を取り去るには、患部付近に血液を充分に流してやらなければいけない。血液が流れないと、患部はいつまでも治癒されないままで、痛みは消えません。ね、モルヒネを使う理由が分かったでしょう」 

分かるわけがないジャン!

「ああ、そうですよね。説明が足りませんでした。従って、腰痛を治療するには、この筋肉の収縮を解いてやらなければならないわけです。収縮を解いて、血液が流れるようにしてやる。では、そのためにはどうするか。筋肉は痛みを感じて収縮しているわけだから、痛みを取り去ってやればいいのです。痛みを取り去るのが治療の最初のステップなのです」 

痛みがなくなったら、腰痛じゃなくなるじゃん。変なことを言うなあ。そもそも、痛みが取れないから私はここにいるわけでしょうが。

「ここでモルヒネの登場です。モルヒネというのは強力な鎮痛作用を持っています。これ、阿片に含まれる成分ですから、当然習慣性がある。麻薬なんです。でもね、この強力な鎮痛作用というのは非常に有益でね、こいつを打つと痛みが消えますから、問題箇所の筋肉は緊張を解き、血液が流れ始める。それが腰痛の根本治療につながるわけです。麻薬としての害を恐れるか、目先の効果を優先するか、となると、この際は目先の効果を優先させるほかないわけですね。毒にも薬にもなる、ってのは、まさにこんなことなんですな、ワッハッハッハ」 

どうでもいいけど、よくしゃべる医者だねえ。久しぶりに日本語でコミュニケーションできて嬉しいんだろうか? それにしても、口はよく動くけど、腕の方は大丈夫なのかい? しかし、理屈は通っている。まさか、1回だけの体験で、麻薬中毒になることもなかろう。医者が使うと言ってるんだし。

 「はい、えーと、大道さん、体重は? あ、80kg少々。じゃあ、1アンプルでいいかな。これ、お尻に注射します。注射して5分ほどすると全身がポーッと温かくなってだるーくなります。それはモルヒネが効いている証拠ですから、心配することはありません。じゃあ打ちますよ」 

医者は我が臀部に注射をすると、部屋を出ていった。

待つ。ケツ丸出しで、うつぶせの姿勢で、待つ。せっかくこんな格好をしたんなら、できれば恋人を待ちたい。やってきた恋人に、

“Come on baby, I’m ready.” 

と甘くささやきたい。ところが、いま待つのは、遺憾ながら、恋人ではない。

全身がポーッと暖かくなるのを待つのである。

やがて、ポーッと……、

ん?! ならない! 7分たっても、8分たっても、ポともならない。そういえば、「Light my Fire」って音楽があったよな。DOORSの曲だったと思うけど、「私に火をつけて」か。まさに、そんな心境だぜ。早くポーッとなってくれ、と。

「どうですか。ポカポカしてきたでしょう」 

医者が再びやってくるまでに、10分以上の時間がかかった。

「いや、先生。私の体は何の反応も起こさないのですが……。昔麻薬をやりすぎた報いでしょうか?」 

「おかしいなあ。量が足りなかったかなあ。よし、もう1本打ってみましょう。あなた、大きいからねえ。今度は大丈夫だと思いますよ」 

いや、それは麻薬童貞の私には、刺激が強すぎるんでは……。麻薬中毒になる気は、まだない……、うっ、痛てっ! 打ちやがったな、この野郎!

医者はまた、部屋を出ていった。

2、3分もたったろうか。体がポカポカしてきた。体の中に温水パイプが通って、35℃程度のぬるま湯が循環しているような感じである。それに、何だか瞼が重い。眠りの世界に引き込まれそうである。気持ちがいい。この世界で、うっとりとまどろんでいたい。リラクゼーション、そう、リラクゼーションの世界である。

戦争映画で、重傷を負った兵士が

「モルヒネを打ってくれ~」 

と叫ぶのが、何だか理解できる。

そうか、これが阿片の世界の一端なのか。阿片を吸引したら、もっと素敵な世界に行けるかなあ……。

「どうです、今度は?」 

また医者がやってきた。邪魔である。ほっといてくれ。俺の世界に入ってくるな!

 「はい、今度は全身がポーッと暖かくなって、なんか素敵な気分です」 

 「そうですか。やっとモルヒネが効いてきたか。じゃあ、しばらくこのままにしておいて、大丈夫だと思ったら帰っていいですよ。その間に処方箋を書いておきますから」 

5分ほどベッドにそのままの格好でモルヒネの快楽を貪った。

もういいかな? さて、我が腰はいかなることになっているだろうか? 恐る恐る腰を持ち上げ、ベッドを降りる準備を始めた。うっ、まだ痛みがある。が、1時間前に比べると、ずいぶん楽になったような気がする。いけるかな?

降りた。無事に降りた。靴に足を入れる。歩いてみる。歩ける! 

待合室まで歩いた。同僚が待っていた。

「大道君、どう?」 

心配そうな顔で声を掛ける。

「おかげさまで、ずいぶん楽になったよ。ほら、歩いてるだろ」 

処方箋を受け取り、外に出てタクシーを拾った。タクシー? 1時間前までは絶対に乗れなかったぞ!

乗れた。そのままホテルの近くのドラッグストアに走った。処方箋を差し出し、薬ができるまでの間、1人で店内を歩き回った。ほんと、1時間前までの苦しみが嘘のようである。腰のサポーターがあった。念には念を入れようと、1つ買った。

部屋に戻り、受け取った薬が何であるのか、辞書を引きながら調べた。1つは消炎剤だった。腰痛の原因になっている炎症を押さえ込むものであろう。もう1つは筋弛緩剤だった。

「こんな薬を飲むのか。俺、体が大きいから、処方の1.5倍ぐらい飲んだ方が早く効くかな?」 

 「いや、大道君。アメリカ人って元々体が大きいからさ、処方量でいいんじゃない」 

それもそうである。私はいま、アメリカ・ラスベガスにいるのである。処方量をきっちり守った。

(余談) 
筋弛緩剤が、飲み過ぎると死に至ることもある劇薬であることを知ったのは、ずっと後のことだった。

 私は、成田の駐車場にマイカーを預けて旅行に出ていた。翌日、帰りの飛行機に無事乗り込んだ私は、10時間ほどの長旅をこなし、成田に降り立った。成田には、最後のハードルが待っていた。そう、預けた車を引き取り、自宅まで自分で運転して帰るのである。

空港から駐車場に電話を入れた。車をここまで届けてくれるのである。10分ほど待つと、確かに我が愛車が姿を現した。

重いスーツケースをトランクに入れる、のは、流石に車を運転してきてくれた若いお兄ちゃんに頼んだ。

「ごめん。ラスベガスで腰痛になっちゃってさ。それに、昨日モルヒネも打ってきたし、ちょっとスーツケースをトランクに入れてくれるかな?」 

3題話の3つの題を全て含んだ私の話から、お兄ちゃんは何を想像しただろうか?

彼はにっこり笑ってスーツケースを積み込んでくれた。1000円ほどチップを渡し、腰に注意しながら運転席に滑り込んだ。自宅までのドライブは快適であった。すべてモルヒネのおかげであると、いまでも感謝している。

で、みなさん、前回私がお出しした宿題には挑んでいただけましたでしょうか?

どんなストーリーを思い描かれたでしょうか?

そのストーリーを公開してもよいと思われる方は、遠慮なくこのページの一番上、その一番右にある「お問い合わせ」のページから、私宛にメールを出してください。

(書き残したこと) 
ある夕、ホテルに戻ろうと歩道を歩いていた。チラシ配りのお兄ちゃんが7、8人いた。偶然、その1人と目があった。彼は小走りに私に近付くと、パンフレットを1冊突き出した。何の気なしに受け取ると、その様子を見ていた残りのチラシ配りたちが一斉に私に向かって駆け寄り、手に手にパンフレットを差し出す。1冊だけは受け取った以上、ほかのパンフレットを拒否するいわれは全くない。全て受け取り、中身を確かめもせずに部屋に持ち帰った。 
夕食後、暇に任せてパンフレットを点検した。全てのページに艶めかしい女性の写真があった。それぞれに、工夫を凝らしたコメントがついていた。 
“Won’t you have a dreamy night with me?”
“I want to give you a gorgeous night.” 
“Call me. I’ll be by your side on your demand.” 
“Lonesome nights makes me want to be aside you.” 
“Drive me crazy!”
電話番号も、勿論あった。そういうパンフレットだった。ラスベガスとはそういう街であった。

 帰国後、職場の仲間に、知り合いに、友人に、ラスベガスの腰痛の経緯を語った。全員が、疑わしそうな目をした。中には、

「ベッドの上で、無理な格好をしたんじゃないの? ラスベガスだもんね」

というヤツもいた。
蟹は己の姿に似せて穴を掘る、という。
人間は、己の資質に合わせて人の話を誤解する生き物である。

ラスベガスへの旅は、様々な教訓を残してくれた。

ということで、長々と書き継いできた「グルメに行くばい!」を終了します。ご愛読ありがとうございました。
次回からは、新たなテーマで、相も変わらぬ雑文を書くべく、準備を進めております。できれば、ホンの少しで結構ですから、期待をしていただければこの上ない幸せに存じます。
継続してのご愛読を伏してお願い申し上げます。

大道裕宣敬白