2005
01.21

#7 痴漢で漢で逮捕……?!

事件らかす

 「赤坂警察署のものですが」

我が家に突然かかってきた電話は、そう切り出した。
昼下がり、警察署からの電話。これで楽しい会話を予想する者は皆無である。自然の流れとして、受話器を取り上げた者の想像は不吉な方向に向く。

2005年1月12日午後2時半少し前。横浜の自宅で受話器を取り上げたのは我が妻であった。

今日も東京で働いている旦那が、交通事故に巻き込まれたのではないか?
白昼の通り魔に斬りつけられたのではないか?
やくざに因縁をつけられて、ボコボコにやられたのではないか?

いずれにしろ、まずは亭主の身を案じる。
はずである。
望む

 「冷静に聞いてください」

電話の向こうで、男はそう切り出した。やっぱりそうだ。何か、起きてはいけないことが起きたのだ。だが、我が妻は動じない。正確に言えば感性が鈍い

 「はいはい、落ち着いてますよ。何でしょう?」

警察。我が家がこれまで警察にお世話になったのは、

・我が家の前に不法駐車する近隣住民の車を何とかしてほしい、と頼みにいった。
→お巡りさんが話しに行ってくれたらしいが、事態は変わらなかった。
・娘にストーカーがとりついて、付き合わなければ仲間のやくざに頼んで傷つけると脅しにかかった。
→相手の男を警察に呼び出して脅した。ストーカー行為は終わった。

 程度である。馴染みはない。それなのにこの落ち着き方なのである。我が妻、ただ者ではない。

 「実はご主人が」

と切り出されれば、
あちゃー、やっぱりそうか。亭主は無事なのか?
であればいいが、すでに天に召されて、これから死亡保険金頼りの生活が始まるのか?
だとすれば、暮らしは日々貧しくなる。あのローンは、生命保険がついてたっけ?
いや、住宅ローンにはついていたかもしれないが、車のローンにはそんなのはないはずだ。
退職金? そんなもの、いくらあるんだろう? それも、会社の信用組合にまだ借金が残っているから、退職金から天引きされて減ってしまうに違いない。ああ、神よ、私の、子供たちの明日からの暮らしはどうなるの?
と考えるのが普通である。
いや、中には亭主が消えてホッとされる方がいらっしゃるかもしれない。だが、我が家ではそうでなかったと信じたい。
願いたい。

受話器から流れ出てきた話は、その想像を越えていた。

 「地下鉄大江戸線汐留駅で痴漢をされまして、現行犯逮捕されました」

亭主が現行犯逮捕される。それも、痴漢!
驚天動地の出来事である。はずだ。

(詳細説明)
我が妻は電話を聞いて、
「ああ、とうとうやっちまったか」
と思ったそうである。
そんな亭主って……。何を隠そう、そう思われている亭主とは、この私なのである。

 絶句する妻に、この赤坂警察署の者は、言葉を継いだ。

 「はい、被害に遭われたのは若い女性で」

当たり前である。九州男児である私が、男に向かって痴漢行為を働くはずがない。社会的規範に反する大きなリスクを冒して、女性であるかどうかが不確かな対象に痴漢を働くはずはない。

 「ご主人は、携帯電話についているカメラで、その女性のスカートの中を盗撮されまして」

我が家にはヌード雑誌など持ち帰ることがない亭主である。なのに、そんな隠れた趣味があったのか! 隠し通してきたのか!! だとすれば、うちの亭主のやつ、そんな趣味の収集物を、いったいどこに隠してるんだ? まさか会社に置いているわけもないだろう。どこか、銀行の貸金庫でも借りているのか?

 「被害者の女性のご両親が署に駆けつけておられまして、はい、お父様は有力政治家の○○さんです」

(余談)
そういえば私も、自民党の有力政治家の娘さんとお知り合いだ。一度我が家に遊びに来られた。その後結婚して子供ができたと聞いた。まさか彼女? でも、もうそれほど若くはないしなあ……。

 おいおい、痴漢やるなら相手を選べって! よりにもよって、有力政治家の娘のスカートの中を盗撮することはないだろ? そんなもん、オヤジと一緒でどこか薄汚れているに決まってるだろ? せっかくなら、もっと綺麗な普通の娘さんにせんかいな! そっちの方が後処理も楽にできるだろうが!!

(注)
と我が妻が考えたかどうかは未確認である。

 「本当にうちに主人がやったんですか?」

 「はい、ご両親はカンカンにお怒りでして」

そりゃあそうだろう。我が娘が痴漢にあったら、私もカンカンに怒る。

 「で、確認したいのですが、ご主人のお名前はオオミチユウセンさんですよね」
 
 「いえ、ダイドウヒロノブですが」
 
 「あ、ごめんなさい。読み間違えました。で、生年月日はABCD年のE月F日で」
 
 「あ、ABCD年は私の生まれた年で、主人はABCG年ですが」
 
 「ああそうですか、ちょっと目が悪くなったかなあ」

間抜けな会話である。間抜けな会話で、私の個人情報がどんどん「赤坂警察署」に流れ込む。恐るべき事態である。

 「で、お母さんですか?」
 
 「いえ、何度もいうように家内です」
 
 「ああ、そうですか」

「赤坂警察署」、馬鹿である。子供のことを「主人」と呼ぶ母親はいない。
本来であれば、名前といい生年月日といい、このあたりで何かに気がつくべきであった。だが面白いことに、とうとうやっちまったかと考えた我が妻は、一片の疑いを差し挟んだ気配もない。
痴漢という犯罪とそれほどフィットしてしまう亭主って……。

 「実は、ご主人の会社から顧問の弁護士さんがお見えになっておられまして、ちょっと代わりますのでそのままお待ちください」
 
 「ああ、もしもし、弁護士の§※と申します。はい、知らせを聞いて先ほど警察署に着きました。ご主人はいま取調中で、最初は否認されていたようですが、徐々に罪を認めておられます。まあ、ご主人の年代になると、ついフラフラとやってしまう方が結構多いんですよね。ええ、これまでも何件も同じ事案を扱っております。はい、この手の事件の扱いに慣れておりますので、ご安心ください」

おいおい、俺の会社って、そんなに痴漢が多いのか? ……確かに、疑わしい奴はいるなあ。

 「それでですねえ、ご主人のことを調べさせていただいたんですが、幸いなことにこれが初犯です。ええ、前科はない。で、ここはご主人の名誉もありますので、何とか示談ということで、はい、警察の記録にも残らないし、前科もつかないという形で収めたいと思っております。はい、被害者も被害者のご両親もそれでいいとおっしゃっております。もちろん、ご主人の会社にも知らせないということで。会社に知られたら、ちょっと困ったことにもなりかねませんから」

なかなかに、ものの分かった弁護士さんである。世の中がぎくしゃくしないためには、すべてを法に則って白黒をつけるのではなく、紛争を穏やかに解決するこの手の人格がもっと増えることが望まれる。
しかし、会社から顧問弁護士が駆けつけているのに、会社が知らないってあり得るか?

 「で、被害者の方とお話ししまして、100万円でご納得いただけることになりました」
 
 「我が家にも娘がおります。その方のお気持ち、手に取るように分かります

(余談)
おいおい、うちの娘のスカートの中の写真を100万円で撮らせるつもりかよ!
しかし、100万円か……。それもいいかも。

 「示談金ということで60万円慰謝料40万円、併せて100万円です。はい、100万円ご用立ていただければ、向こうの方はこの事件は水に流してもよいとおっしゃっていただいています。ご主人の名誉も、将来もかかっているわけですから、私、弁護士の立場からしましても妥当な線ではないかと、こう判断しております。ま、変な言い方かもしれませんが、不幸中の幸いというか、はい、どうしても納得していただけなくて裁判、などというケースもありますから、それに比べれば話の分かる被害者で良かったと」

このあたりで我が妻は、疑問を感じ始めたらしい。いや、疑問を感じるより先に、我が家には100万円の支払い能力がないことに気がつき、なんとかこの100万円から逃れる道を模索し始めたらしい。

 「主人と話せませんでしょうか?」

 「いや、先ほども申し上げたように、ご主人はいま警察の取り調べを受けておられまして、電話で話すことは不可能です。ということですから、これから申し上げる郵便局の口座に100万円を振り込んでください」

実は、我が妻は社会的常識に欠けている。様々な局面で社会常識の欠如が現れる。概ねはマイナス方向に働くのだが、今回は、欠けていることが我が家を救った。

 「はあ? 郵便局ですか? 郵便局には振り込んだことがないものですから、銀行口座があればそちらに振り込みたいと思うんですが」
 
 「ああ、すみません。被害者の方は銀行口座をお持ちでなく、はい、口座が郵便局にしかないんですよ」
 
 「え、今時の娘さんが、銀行口座の1つも持っていらっしゃらないんですか? うちの娘なんか、2つも3つも持っているんですけどねえ」
 
 「まあ、お持ちでないとおっしゃっているんで仕方がありません。そうだ、奥さん、あなたの携帯の電話番号を教えてください。そうすれば、奥さんが郵便局の窓口に着かれた頃こちらから電話を差し上げて、振り込みの仕方をお教えしますから」
 
 「はあ、私、自分の携帯の番号を覚えてないんですよね。ちょっと待ってください、携帯電話を取ってきますから」

結果的に、我が妻の記憶力の悪さも、我が家を救うことになる。まったく、何が幸いするか分かったものではない。

 人間万事塞翁が馬

 古人の人生認識が現代でも通用する。奥が深い。

妻は、電話の保留ボタンを押すと、自分の部屋へ携帯電話を取りに行った。幸いなことに、たまたま娘が家にいた。母から話を聞いた娘は大いに疑問を持った。
いや、疑問を持ったのは彼女の父、つまり私が、そのような破廉恥罪を犯すはずがないという点ではなかった。私には、その程度の信用しかない。新聞などで時折目にする、振り込め詐欺ではないかと疑ったのだ。

 「お母さん、ちょっと変だよ。待ちなよ」

娘は賢明にも、動揺する母、つまり我が妻を押しとどめ、私の携帯に電話をかけた。この母親から、よくぞこのような利発な娘が生まれたものである。感謝する。

その時私は、名古屋から出てきた客と、コーヒーを飲みながら仕事の打ち合わせ中だった。ストラップで首から提げ、シャツの胸ポケットに入れている携帯電話が鳴った。

 「はい」
 
 「ああ、お父さん、お父さんいま、どこにいるの?」
 
 「どこにって、お前、会社だよ。仕事でお客さんと会ってるんだ」
 
 「赤坂警察にいるんじゃないの?」
 
 「赤坂警察? 何でお父さんが警察にいなきゃいけないんだ?」

(余談)
いま、こうして、当日の会話を書き起こしてみると、ふむ、我が娘も、ひょっとしたら、いやかなりの蓋然性で、父は赤坂警察署にいると疑っていたのではないか?と思える節がないではない。

 「あ、いなきゃいいんだけどさ」
 
 「いなきゃいいって、いったい何の話だ?」

私が警察署にいる? 聞き捨てならない話に、瞬時客の存在を忘れ、娘に問いただした。

 「いや、赤坂警察からって電話がかかってきて、お父さんが痴漢で現行犯逮捕されたというのよ。汐留駅で、女の人のスカートの下を写真に撮ったんだって。お父さん、痴漢したの?

(余談)
やはり、娘も疑っていたのである。とうとうやっちまったかが生んだ娘である。仕方ないか……。

 「俺が痴漢? いつかはするかも知れないが、とりあえず今日はしていない

何故私はこのようなときにも、本当のことを正確に話してしまうのか。持って生まれた性格というしかない。

 「で、示談するんで100万円振り込めというのよ」

 「繰り返すが、今日はしていない。それは振り込め詐欺だ。まだ振り込んでないよな」
 
 「うん、まだ。お母さんはあわてて、お金どうしようか、なんていっているけど」

(余談)
やはり妻は、電話で聞かされた話を、信じ込んでいたようである。

 「すみません、急な電話で。なんだか私が、汐留駅で痴漢をしたらしくて、自宅から電話がありまして」

目の前にいる客に、電話で会話を中断したことを丁重に謝った。客は、狐につままれたような顔をしていた。

そのころ自宅では、妻がもう一度保留ボタンを押し、弁護士さんとの会話を再開していた。

 「あのう、いま主人の携帯電話と連絡が取れまして、主人は会社にいるようなんですが」

電話は突然切れたという。100万円と我が名誉は、かくして守られた。

にしても、だ。そりゃあ私だって人間である。たくさんの欠点、弱みを持っている。女性のスカートの中に関心がないわけではない。いや、大いに関心があるといった方が正確である。
でも、だ。「らかす」を読み継がれている方々は、ひょっとしたらご記憶かも知れないが、私は高校時代の恩師の教えを、いまでも信ずるものである。
高校時代の我が柔道の先生がおっしゃったのだ。

 「おい、礼人。こりから大事かこつば教えちゃる。よかか、よー聞いとけよ。女っちゅうもんはな、ありゃあ、見るもんじゃなかぞ。するもん。ちゃーんと覚えとけ!」

詳しくは、「グルメに行くばい! 第25回 :蒸しもやし」をご覧いただきたい。とにかく、このような人生哲学を持つ私が、女性のスカートの中を盗撮するか?

さらに実践面を考えよう。いまは冬場である。冬場のスカートの中には何があるか? そう、様々な防寒衣料がある。こいつが邪魔をして、なかなか目的物に達しないのである。何で好きこのんで、そんな最低のシーズンにスカートの中を盗撮しなきゃあならん? リスクとメリットのバランスが崩れすぎているではないか!

(余談)
邪魔者が少ない夏場だったら、俺もやりかねないのかなあ……。

 で、である。この原稿を書くために、犯罪を検証した。携帯電話についているカメラで、スカートの中が撮影できるかどうか、実験したのである。

協力者は、電話を受けて

「とうとうやっちまったか」

の思いを共有した我が妻と娘である。

冬場である。2人ともスカートではなくパンツをはいていた。わざわざスカートに履き替えろというわけにも行かず、その上からバスタオルを巻かせてスカートに見立てた。
我が携帯は、P505iSである。半年ほど前、3980円で更新したものだ。実際にはポイントがたまっていて1460円ですんだ。こいつを使ってスカートの中、いや性格にはバスタオルの中を撮ってみた。
まず、同一平面上にいる場合は、撮影が極めて難しいことが分かった。携帯のカメラにはリモートシャッターが取り付けられない。本体を持ってシャッターを押すしかなく、腰をかがめないとスカートの中は撮影できない。

 「なんじゃこれは。街頭でこんな格好はできないだろう。スカートの中を撮るなんて不可能じゃないか」

とつぶやく私に娘がいった。

 「何か落としたふりをしてかがめばいいじゃん」

なるほど、頭は生きているうちに使わねばならん。ひょっとしたら娘は、そのような犯罪に手を染めた過去があるのか?
娘に刺激されて、私の頭も働き始めた。階段やエスカレーターを使うという手もある。

撮ってみた。なんじゃこれ、肝心の部分は暗くて何も見えない。フラッシュがないため、光の具合に左右されるのだ。

 「おい、何も見えないぞ! こんな写真撮ってどうするんだ?」
 
 「でもそんな人って、写真のできあがりがどうかではなくて、撮ったということだけで喜ぶんじゃないの?」

娘の方が人間心理、痴漢心理に長けている。
話は以上である。

結論1
 振り込み詐欺犯、流石にプロだ。なんといっても、私のキャラクターを見透かしている。サラ金から金を借りている、というのでもない。交通事故を起こしたというのでもない。なんと、私にもっともフィットした犯罪として選んだのは、痴漢、なのである。
偉い!

結論2
 この原稿を書くため、我が妻と娘から話を聞いた。それぞれの体験を語る2人の顔は、いつにも増して輝いていた。非日常的な体験をした興奮が蘇るらしい。
その顔を見ながら思った。
私が本当に痴漢行為を働き、私が本当に逮捕されたら、2人の顔はこれにまして輝くのではないか?
私は家族思いである。家族に喜びをもたらしたい。家族の顔が輝きを増すのなら、何だってする。それが一家の柱たるもののあるべき姿である。
だから……。
痴漢行為の実施方法について、真剣に検討を始める。実行して家族に報告する。光り輝く家族の顔を見て、深い満足を感じる。
近いうちに、そんな私が登場するのではないか。
そうなりそうな自分が、自分で恐ろしい。