2005
09.18

とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第17回 :趣味

音らかす

「アンドレさん、あんた、英語はできますんかいな?」

突然、厳しい質問を受けたことがある。

桝谷さんが英語に堪能だったことは前に書いた。しかし、まさか、私に恥をかかせようという意地悪な狙いが桝谷さんにあったとは思わない。

とはいえ、欠陥であると自覚しているピンポイントにストレートをドスンと投げ込まれるのは、正直いって何とも辛い。

「いや、まあ、中学校から大学まで、浪人時代を含めれば11年も勉強したことになっているわけですから……、できる筈なんですが……、何といいましても、日本の英語教育システムには致命的な欠点があるわけでして……、そのう、文法が中心で、それも高校入試、大学入試に通るということが最大の目的になったいびつな英語教育でありましたから……、生きた英語を学んだとはとても言えないわけでして……」

(余談) 
日本人の英語力が一番高かったのは明治時代であったと、何かで読んだ記憶がある。新しい国家建設の夢と負荷を同時に背負った明治の若者たちは、それこそ必死の思いで見慣れぬ外国語に取り組んだのであろう。自分の入試のために勉強するのとは、そもそも心意気が違うのである。 
そんな時代が、英語で、英文学を論じ、英語圏の英文学者に高く評価された夏目漱石のような俊才を生んだ。

 「それで、どっちですねん!」

 「そのう、どちらか決めろといわれれば、まあ、お恥ずかしながら、できない方にカウントされるのではないかと……」

 「あ、そないでっか」

会話は、突然に終わった。この話題は、これで収束したものだと思っていた。

1週間ほどたって、桝谷さんから小包が届いた。開けると、カセットテープが入っていた。タイトルは「男はつらいよ 寅次郎紙風船」とある。あの寅さんシリーズの1つだ。英語のテキストまでついている。

「桝谷さん、いったいこれは何なのですか?」

 「あ、届きましたか。私が作った英会話学習用のテープですわ」

 「?……」

桝谷さんは、多彩な趣味の持ち主であった。
そもそも、趣味で始めたオーディオで、電気とはさわるとピリッと来るものという地平から旅立ち、とうとう自分が満足できる音が出るアンプを設計し、製作し、あまつさえ販売にまで結びつけたお方である。そのおかげでクリスキットを使うことができた私のようなユーザーのほとんどは、いまだに絶賛を送り続けている。
「趣味」といっても、我々凡人がたしなむ「趣味」とは、深さが全く違う。プロはだしになってしまうのである。

(余談) 
Web上に「金沢屋」(http://www.kanazawa-ya.com/ )というサイトがあります。そこで売っている「プロだし」というのは逸品であります。一度使うと、料理には欠かせなくなります。 
わが社内では、月に一度ほど共同購入の呼びかけがあります。これとは別に、我が家は常に買い置きがあります。 
いえ、プロはだしからプロだしを思い出しただけです。

 寅さんのカセットテープも、桝谷さんの趣味がこうじた結果の1つだった。こういうことだ。

桝谷さんには、死の床につくまで続いた趣味がいくつかあった。オーディオを除くと、まず最初に挙がるのが英語である。

あるとき、

「外国語を使いこなせる楽しみを、もっと多くの人に知ってもらいたい」

と桝谷さんは考えた。思い立っても、

「英会話学校に通おう!」

なんて月並みな発想をしないのが桝谷流だ。すぐに工夫が始まる。

最も効果的に、最も安価に、英会話をマスターする方法は?

やがて桝谷さんは、1つの解答に行き着いた。テレビの2カ国語放送の活用だ。それも、ふんだんに日常会話が登場するものがいい。それで、

「私、生まれも育ちも葛飾柴又です…」

の寅さんが選ばれた。たまたまテレビでやっていた2カ国語放送をビデオデッキで録画し、音声だけカセットテープにダビングした。左チャンネルには日本語、右チャンネルには英語が入った特別製のカセットテープである。

(余談) 
桝谷さんが活用していたビデオデッキは、ハイバンド・ベータ機である。VHSのビデオデッキは、
「性能が悪い」
と断言していた。 

桝谷さんの性能評価法は、簡単かつ合理的である。 
要は、ダビングを繰り返すのだ。 
テレビから録画をする。そのテープAから、もう一つのテープBにダビングする。次は、テープBからテープCにダビング、という具合にダビングを繰り返す。何回ダビングすると映像が崩れてくるか、が判断基準だ。
「VHSやと、ひどいときは3回ダビングすると映像が崩れ始めます。ベータやと、6,7回ダビングしても、最初のテープをほとんど見分けがつきませんのや」
これは、カセットデッキの性能判別法として桝谷さんが活用した方法と全く同じである。

 トータルの録音時間は100分。

これを聞いて英語に慣れなはれ。
単語や熟語はカードに書いて覚えるものやありまへん。生きた会話の中で記憶してはじめて、使える英語になるんですわ。「猫に小判」なんて熟語を、「猫」「に」「小判」という3つの単語に分けて覚えても、なんのことか判らしまへんやろ。
慣れたら、自分でも声を出してテープの真似をしなはれ。
次は、聞きながら書き取るんですわ。いまはパソコンがありますさかい、簡単ですわ。
こうして、英会話に習熟しなはれ 。

それが桝谷さんのメッセージだった。

ありがたかった。
ありがた迷惑だった。

確か、1度は聞いた。2度は聞かなかった。声を出すところまでは、勿論進まなかった。
テープは、我が家の何処かでほこりをかぶっているはずである。

かくして、私はまだ、英語に関してはほぼヘレン・ケラー状態を継続している。
継続は、この場合に限って、力ではない。

 

桝谷さんが、板と石膏だけで、マルチセルラー・ホーンというとてつもないものを作り上げたことはすでに書いた。それだけでも天才と呼ぶのに躊躇はないが、実は、このほかにも桝谷さんが木工の才能を活用したものがある。
クラシックギターバイオリンの製作である。

確か、神戸の事務所にお邪魔したときのことだった。

「アンドレさん、私はねえ、ギターもバイオリンも自分で作りますねん」

時の流れが、窓外に広がる都会の喧噪から遊離したひとときだった。桝谷さんは、愛用のテナーサックスを取り出し、演奏の仕方を解説し始めた。テナーサックス、フルートの演奏も桝谷さんの趣味である。土曜日の午後は、クリスコーポレーションの事務所に仲間が集い、練習会兼合奏会を開いているとのことだった。

「サックスは木管楽器でっさかい、このマウスピースにつけたリードがふるえて音を出しますんや。リードは、ケーンという葦からできてるんですが、買ってきたままで使うと、どうも調子が良くない。それで、私はサンドペーパーで削って私にあうようにします」

(余談) 
桝谷さんと付き合うと、様々なことに詳しくなる。ならざるを得ない。 
ところが、時間がたって原稿を書きはじめると、固有名詞が頭のどこを探しても出てこない。桝谷さんによって様々な知識を詰め込まれた頭脳が過熱して自己防衛本能を発揮し、ふだん使わない知識を記憶の闇の中に葬ってしまったようだ。 
「木管楽器と金管楽器の違いは何だっけ?」 
「たしか、口にくわえるところはマウスピースといったよな」 
「リードで良かったよな」 
「リードって、何でできてるんだっけ? 竹だったかな?」 
そんな具合で、このあたりは、かなり苦労をして書いている。目に見えぬ努力を評価していただきたい。

 「へえ、そこまで手をかけるんですか」

どんなことに手を染めても、桝谷さんは桝谷さんである。一筋縄ではいかない。そこまで手をかけてテナーサックスを演奏しているアマチュアが、世の中にいったいどれくらいいるのか。
ギターやバイオリンを自分で作っている話は、そんな流れから出た。

「ギターやバイオリンを作るのも面白いんですわ」

ギターやバイオリン? そんなもの、自分で作る楽器か?
確かに、誰かが作ったからギターもバイオリンも世の中に存在する。それは確かだ。手作りのギターやバイオリンというのも売られているから、作って作れないものではないだろう。
でも、そんなものが作れるのはプロ、職人に限られるのではないか?
だから、すべて手作りしたというギターやバイオリンは高い値段が付いているのではないか?
それを、桝谷さんが作る?

桝谷さんは、他人にできて自分にできない、というものはあり得ないという思考法をとる人であることを思い知らされた。

「そんなもの、桝谷さん、あなた、作れるんですか?」

 「ギターは、もう3台ほど作りましたわ。1台だけえらく良くできたのがありましてな。コンサートホールの舞台で弾くと、ホールの一番後ろまで、音がビーンと響くんですわ」

 「素人が作って、そんなにいいものが……」

「そしたら、プロの演奏家がやってきよりましてな。どうしてもそのギターを譲ってくれ、いうんですわ。そらあ、私が持っているより、プロが弾いてくれて、多くの人に聴いてもろたほうがいいやろ、思て譲らせてもらいましたわ」

(注) 
お断りしておく。桝谷さんがギターを譲った相手をプロの演奏家としたが、プロだったか、それともセミプロだったか、この辺の記憶がいまとなっては曖昧である。

 ギターとバイオリンの作り方もうかがったような記憶がある。材料選びから始まり、形を整えて、曲げるべきところはお湯につけて柔らかくしておいて曲げる。
確か、そんなことだったと思う。だが、記憶は曖昧だ。私がギターやバイオリンを自分で作るなんてことは絶対にあり得ないと思ったため、あまり身を入れて聴いていなかったらしい。

「バイオリンの表板に穴があいてますやろ。F孔いいますんやが、この形で音が変わりますねん。自分で作るといろんなことが判って面白おまっせ」

ここで、

「そんなもん、面白いかあ?」

などと疑問を呈してはならない。なにせ、あのクリスキットを作り出した人である。職業の選択を変えていたら、あのバイオリンの名器、ストラディバリウスにまさるとも劣らないバイオリンを、世に送り出していたかもしれない。

………、できなかったかもしれない。

(余談) 
ご家族によると、模型飛行機作りも桝谷さんの趣味の1つだった。だが、どういうわけか、桝谷さんの作った模型飛行機は、いつもすぐに墜落していたそうである。 
こういう人だから、家の中にはいつも木の削り屑が舞っていて、奥様を嘆かせたそうだ。

 カメラも終生変わらぬ趣味だった。

小学校の上級生のころ、中古品とはいえ、ドイツ製のカメラを買ってもらったことから始まる。いまでは世界市場を席巻している日本製カメラは、まだ

 おもちゃみたいなみたいな物ばかり
「オーディオマニアが頼りにする本」4)

 だった。この早熟なカメラ少年は、町内の1泊旅行でスナップを撮りまくり、被写体になったご近所の方々に配っては小遣いをせしめていた。

カメラ熱が復活したのは戦後だった。
これは桝谷さんの性癖といってもいいだろう。新しい商品を買うときは、事前に徹底して資料を調べる。
この時もそうだった。雑誌の記事を何度も読み返し、ドイツ製のカメラを購入する。給料が4万円のころ、7万8000円で買ったというから、安い買い物ではない。

だが、使い始めてすぐにがっかりする。

・ ピントが甘い。 
  ・ レンズのマウントががたつく。

「おいおい、世界一の性能を誇るカメラではないんけ?!」

失望は大きかった。
が、転んでもタダでは起きないのが桝谷流だ。
桝谷さんは、ピンぼけの正体を調べにかかる。ここからは桝谷さん自身の文章を引こう。

 この解像力テストに先立って連動距離計がどのくらい正確なのかをテストしなければならない。明るい室内の壁に英字新聞(日本語だと活字の線が細かくて判定が困難)を画鋲を使って、ぴんと貼付けて、丈夫な三脚に乗せたカメラになるべく粒子の細かいフィルムを入れて撮影。新聞紙に対して斜めから撮るのである。新聞面の目立った部分に焦点を合わせて、シャッターを切る。電気露出計を使って、絞りとシャッター速度の組合せを色々変えて何枚も写したのはいうまでもない。

 これが、桝谷スタイルである。

結果は、いやな予感が的中した。ピントが甘い。しかも、前ピン、つまりファインダーを覗いて焦点を合わせても、実際に焦点が合うのはそこよりずっと手前なのだ。くっきりと写したいところはぼけて、ぼけてもいいところがくっきり写る。これではまともに写真が撮れるはずはない。

(余談) 
カメラ好きは、こうしたカメラの性格を「レンズの味」と呼んで評価することが多い。しかし、味も桝谷流に分析してみると、機械精度の問題だったことになる。味も素っ気もない話だが。

 ドイツ製。ブランド物。自分で選んだはずの実力No.1機種。その意外な実力に、桝谷さんは唖然とした。

それで懲りれば傷は少なかった。懲りなかったから傷を大きくした。
ドイツには、もう一つビッグブランドのカメラがあった。それを買ってしまったのだ。

同じテストをした。結果は50歩100歩だった。つまり、まともではなかった。おまけに、フィルムは入れにくい、ファインダーは見にくい、焦点あわせがしにくい、総じて使い勝手が前の機種より悪かった。
踏んだり蹴ったりとは、このようなことをいう。

5,6年して、生まれて初めてヨーロッパに出張した。またとない機会だからまともな写真を撮りたいと、行きつけのカメラ屋に相談し、また文献を調べた。これなら安心できそうだという機種を選び、2日間だけ借り出した。
その結果、呆れ果てたドイツ製の2機種に比べると、

 レンズの切れ込みがまるっきり違う。四つ切りに伸ばしたら、仕上がりによってはローライコードの6×6仕上がりと区別が付かないほどの鮮明さである。

 早速、前の2台を下取りに出し、このカメラを買った。
買ったのは、おもちゃしか作っていないと思っていた日本メーカーの製品だった。

キヤノンVI-L  という。
桝谷さんは、この瞬間から舶来ブランド信仰から解き放たれた。

1985年、カメラフレンズ神戸という写真の会を作り、終生会長を務めた。撮影旅行にもずいぶん出かけた。

「今度長野まで撮影旅行に行きますのや」

という電話を何度もいただいた。台湾まで足を伸ばしたこともある。

「写真はですな、真っ直ぐの線だけでまとめると奥行きがなくなるんですわ。どこかに斜めの線が入っとったほうが、こう、全体にまとまります」

あまり絵心のない私に向かって、そんな講義をしていただいたこともある。
私が、

「そんな話を聞いたことがあったな」

と思い出すのは、いつもシャッターを切った後であるのだが。

こんな趣味を持ったオヤジが、クリスキットを作り出した。
いや、こんな趣味を持ったオヤジだからこそ、クリスキットを作り出すことができた。

幸せな人生だったのだろうと思う。

私事になるが、人様から「ご趣味は」と聞かれたとき、こんな答え方をしようと考えたことがある。

「まず、音楽鑑賞です。私が最初に自分で買ったレコードは『史上最大の作戦マーチ』で、はまったのはビートルズ。あとはジャズに行き、クラシックに広がり、岡林信康、頭脳警察、はっぴいえんど、なんてとこにも手を出しまして。オーディオも趣味といえば趣味ですね。でも、クリスキットにしてからは全く気にならなくなったので、いまでも趣味と呼べるかどうか……。次に読書でしょう。一番好きなのは夏目漱石で、いま読んでいるのは野坂昭如と司馬遼太郎です。それから……」

といいながら、左手の親指から折っていく。

・日曜大工:オーディオラックからスピーカーボックス、本棚は言うに及ばず。札幌にいたときは、子供の折り畳み式勉強机まで作った。

・映画鑑賞:勿論、デジタルビデオデッキで録画した古今東西の名画を、ハイビジョンテレビで楽しむのである。

・スキー:スキー入門」でも書いたように、札幌で生まれて初めて体験、はまった。最近はご無沙汰。

・テニス:名古屋時代に悪友に誘われて始めた。中断中。

・柔道:高校でクラブ活動をやった延長線。でも、男同士が汗をかきながら取っ組み合うのは、何かなあ……、と今は思う。

・料理:単身赴任で覚えた。判らなくなると、例のスペイン料理のシェフ「カルロス」に電話で問い合わせ、プロの業を学んだ。自分では、かなりの物だと思っている。

・ドライブ:あのような事故(「緊急レポート2:アンドレ、事故に遭遇」を参照してください)に巻き込まれながらも、やっぱりハンドルを持つのは楽しい。

これで計10個。この時、両手の指はすべて折り曲げられている。

 「それから」

と言いながら、右手の小指を立ててニッコリ笑う。

………………………

判りました? 私なりのジョークのつもりなのですが。

(余談) 
この話術の困る点:趣味をこれ以上増やせない。増えると、最後に小指が立たなくなるのである。

 でも最近は、私に向かって

「趣味は何?」

と聞いてくる人がいなくなった。
私に個人的な関心を寄せる人が、世の中から死滅したらしい。

寂しい。