2005
09.30

とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第5回 :たこ焼き先生 II

音らかす

桝谷さんは淡路島の洲本商業高校を出た。終戦間際のことである。まもなく「第2乙種合格」で戦争に駆り出される。幸い1年たらずで戦争が終わり、故郷に戻った。だが、慣れ親しんだ自宅は灰燼に帰していた。あれほど大事にしていた電蓄レコードも、すべて灰になってしまっていた。

(余談)
火災保険には入っていたのかな?

いや、電蓄、レコードどころの話ではない。純日本料理屋の店舗がなくなったということは、収入の道が閉ざされたことを意味した。

まず下宿を探した。次に桝谷さんは米軍の通訳を始めた。

「これ以外に、私の性にあった職業がなかったんですわ」

戦争中は「敵性言語」と呼ばれた英語だが、桝谷さんは通訳程度の英語には不自由しなかった。カレントトピックスの英語放送をラジオで聴いていたお父さんに教え込まれていたからだ。中学生のころから「風とともに去りぬ」を英語で読んでいた。

(余談)
芸は身を助く。
私のような者を無芸大食と呼ぶ。
それにしても、あと5,6キロ、体重が減ってくれないかなあ……。

もっと英語に磨きをかけようと1950年、神戸市内でメソジスト教会が経営するパルモア学院に入る。パルモア学院は厳しい教育で有名で、進級、卒業が難しいといわれるが、入学時の成績がよかったため、最初から2年生のクラスに入れられた。おかげで、通常は4年かかるところを3年で卒業した。みっちりと英語を学んだことはいうまでもない。

(余談)
私は、敵性言語ではなくなった英語を、中学から10年間も学んだことになっているのだが……。
パルモア学院に通うか?

ここでキリスト教に出会い、終生をともにした奥様とも知り合った。2人は在学中に洗礼を受ける。クリスコーポレーションのクリスは、桝谷さんのクリスチャンネーム、クリストファーからとった。
卒業すると、身につけた英語を生かすべく、神戸市内の貿易商社に就職した。

一方で、中学、高校とサッカー部に入って汗を流した。

「20歳まで生きられるかどうか」

といわれるほど弱かった体は、背丈こそ伸びなかったものの、見る見る丈夫になった。

(余談)
私は高校時代、柔道部に所属し、体が横に大きくなった。
柔道部を選んだのは、特別な理由があったわけではない。「ヒョロヒョロ」の解消に、運動クラブに入ろうとは思ったが、さて、入るとなると自分の能力にお伺いを立てなければならない。
野球? あの速いボールにバットをあてる自信はない。
バスケット? 走り続けるのはしんどいではないか。
バレーボール? 突き指しそう。
テニス? 女の子の前で恥をさらすのはなあ……
陸上競技? 何が面白くて飛んだり走ったりしなければならないのか?
剣道? 尖ったものを見つめるのは恐い!
と、次々と消えた。柔道しか残らなかった。
「柔道って、取っ組み合いをしてるだけではないか」
認識が甘かったことは、すぐに明らかになった。だって、投げつけられて、首を絞められて、関節をとられて……。
痛かった! 苦しかった!

桝谷さんの前半生を概観した。ここまで桝谷さんは、

「電気はさわるとピリッと来ること以外、何も知りませんでしたんや」

という普通の人でしかない。
後にクリスキットという優れたアンプを設計する萌芽なんてどこにも見えない。
オーディオアンプの設計、製作に必要な電気理論、回路理論、交流理論などを身につける教育はまったく受けていない。せいぜい、物理の時間にオームの法則など、電気理論のイロハのイをかじった程度でしかない。
単純に言おう。この時点の桝谷さんは、アンプの設計、製作については、私やあなたと同じ、全くのど素人だった。

(余談)
いや、私でも、電気器具はコンセントにつながないと動かないことぐらいは知っている。
そういえば、通電している電気コードをニッパーで切断してしまったことがある。バチッという音とともに、ブレーカーが落ちた。ニッパーが吹っ飛んだ。拾い上げると、刃の一部が欠けて、欠けた部分は焦げて黒ずんでいた。
注意しないと、電気は恐い。

考えてみれば、たこ焼き先生は大胆である。というより、無謀である。

これからオーディオアンプの設計、製作の基礎理論を教え込もうとしている相手が、電気の基礎を理解しているのか、これから施そうという教育に耐えるだけの理解力を持っているのかどうかを確認することもなく、

「オーディオアンプを作ることができるまで付き合う」

と宣言してしまったのだ。

(余談)
この技術部長さんが相手をしたのが私であったら、無駄な時間を壮大に積み重ねることにしかならなかったことは疑いない。
期末試験に限らず、何事も下調べは十分に行わねばならない。

桝谷さんは、たこ焼き先生に輪をかけて大胆である。無謀である。破れかぶれである。
電気はさわるとピリッと来る、がスタート地点だ。
目標地点は、大学の理科系を出たメーカーの技術者が、時間をかけて設計、開発をし、世界中の同業他社と競い合って育ててきたアンプを凌駕するアンプを作り出すことである。

こうした状況に直面した人間の態度は、3つに分かれる。

(1)  はなから諦める。
(2) 目標地点にたどり着く確率は、限りなくゼロに近い。しかし、だめ元で進んでみよう。
(3) 他人にやれることが、自分にできないわけがない。他人がつくっているものより優れたものを作り出してやる。

桝谷さんは (3) だった。

(余談)
私は間違いなく (1) である。

「判りました。そこまでいうてもらえるんなら、やってみますわ。お付き合い、よろしゅうお願いしま」

大胆で、無謀で、破れかぶれの、2人の、不思議な勉強会が始まった。勉強会はいつも、2人でたこ焼きを食べながら進めた。

「そやで、たこ焼き先生、いいまんねん」

(余談)
クリスキットのアンプにスイッチを入れて2時間ほどすると、何故かたこ焼きが食べたくなってくるのはそのためである…………???

この勉強会がどの程度の頻度で、何年ぐらい続いたのか、残念ながら聞き漏らした。

「アンプの回路は、大きく3つに分かれます。レコードには低音は圧縮して、高音は拡大して録音されています。これを元の形に変えるため、イコライザーという回路が必要です。次ぎに、入力信号をパワーアンプに渡せるまでに増幅するフラットアンプが来ます。最後が、スピーカーを駆動するまでに増幅するパワーアンプです」

おそらく、こんなレクチャーから勉強会は始まった。ま、素人にはどうでもいい、というより、はっきり言ってよく判らないことばかりである。
でも、桝谷さんは、一つ一つに食いついていったに違いない。

「低音は圧縮して、高音は拡大してって、あんた、なんでそんな面倒なことをしますねん?」

「元の形に変えるって、そんなことができますんかいな?」

「フラットアンプから出てきた信号でスピーカーは鳴りませんのかいな?」

たこ焼き先生は、こうした初歩の初歩の質問に、一つ一つ丁寧に答えてくれたのだろう。

何事でもそうだが、他人に説明して理解してもらうには、自分に完全な知識が備わっていなければならない。知識が完全でないと、かみ砕いて教えることができない。かみ砕けなければ、素人相手に物事を教えるのは不可能である。一知半解では、師になることはできない

(余談)
私は、小学生相手なら、先生になれる。
中学生相手なら、がんばれば先生になれるだろう。
高校生が出てくると、どうやっても先生になれるはずがない。

たこ焼き先生は大変な先生であった。