2006
06.06

2006年6月6日 日本語

らかす日誌

W君の書いた申立書に、やや生硬な日本語があった。それが爆笑のきっかけになった。

「おい、W君、君の文章は硬いなあ。この短い文章に『制作することにより』、『実施することにより』、『つくことにより』と3箇所も同じ表現がある。それに、『により』ってのがいけない。『で』にすれば柔らかくなるだろ?」

W君は帰国子女である。いや、子女と言うにはやや薹(とう)が立ちすぎた年齢との見方も職場にある。また、彼は男子である。ゆえに「女」というのも相応しくない。
ま、それはこの際どうでもいい。いずれにしても彼は幼少期から英国で育ち、20歳近くなって日本に戻ってきた。彼の母国語は英語みたいなものだ。だから、彼の日本語習得に多少なりとも役に立てばと思ってのアドバイスだった。

普通なら、

「あ、なるほど。そちらの方が軟らかい表現になりますね。わかりました、これから注意します」

といった類の返事が返ってくるはずだ。少なくとも私は、そう期待した。ところが、W君の反応は思いも寄らないものだった。

「あ、これはまだ序の口ですよ。これから本格的に馬脚を現しますから」

瞬間、言葉を失った。このコメントにどう反応していいのか、備えがなかった。黙り込む私に、これはいかんと思ったのか、普段は寡黙な彼が言葉を継いだ。

「だってね、日本語での僕の大失敗はたくさんあるんですから。しばらく前だったけど、『きみ、告げ口したのか?』と言いたかったんです。それなのに、出てきた言葉が『きみ、口づけしたのか?』。相手はキョトンとしましてね。でも僕は、こいつ、何でこんな顔をしてるんだと不思議だったんですよ。ちゃんと伝えたいことを伝えたつもりだったんだから。しばらくしてからですよ、とんでもない言い間違いをしたことに気が付いたのは」

職場に笑いが走った。笑いにほぐされて、固まっていた私の舌が活動を再開した。

 「そ、そ、そりゃあ、いわれた方は驚くわな。俺が言われたら、思わず『お前、昨日どこかで覗いていたのか? 相手の顔も見た?』とパニくってしまうわ。心臓に悪い」

「でね」

今日のW君は饒舌だった。

 「帰国してずいぶん長い間、『アッセイショウ』って言ってたんです。ほら、霞ヶ関にある中央官庁ですよ。用事があって車で行く時も、運転手さんに『アッセイショウ』に行って、っていうと、ちゃんと目的地に着く。だから、『アッセイショウ』がきちんとした日本語であることを疑いもしなかった」

「ずいぶんたってからですよ、先輩に『それはないだろ。あれはコウセイショウって読むんだ』、と言われたの。僕は納得できなかった。だって、厚いの『厚』と生活の『生』でしょ、なんでアッセイショウじゃいけないのか。タクシーの運転手さんにもちゃんと通じているじゃないかって反論しましてね」

職場の笑い声が大きくなった。

「それは、君、運転手さんが一所懸命頭の中で漢字を思い浮かべて、ああ、これは厚生省のことだって解釈して……。でも、ずいぶん教養のない客だと思っただろうなあ」

W君はだんだん調子に乗ってきた。

 「日本で、自分のことを小生(しょうせい)って言うじゃないですか。これも僕、長い間自己流で読んでいたんです」

 「えっ、なんて読んでたの?」

 「はあ、コショウ、なんですけどね。『コショウはWと申します』なんて使ってたんですよ。あ、そん時、『コショウはハウスじゃないの?』なんて言ってくれる人はいなかったなあ、ハッハッハ」

ここまで来ると、もう勢いは止まらない。職場の爆笑に押されて、W君は最後の決め技を披露した。

 「はは、こんなのもありました。舞台に乗って通訳をやっていたんです。イギリスで新しく出た絵本のプレゼンテーションでね。その本の売りの一つが色彩豊かな絵だったんです。公演していた英国人が colorful pictures と表現した。そこで僕が翻訳したのです。『色っぽい絵がたくさん使ってあります』って。場内、大受けでしてね。英国人は別に面白いことを行った記憶がないから、ああ、これは通訳の私がうまく意訳してくれたんだって、感謝のこもった目で僕を見てましたけどね」

色っぽい絵をたくさん使った子供向けの絵本。
職場中が笑い転げた。

最近、我が職場には笑い声が多い。
主観的に解説すると、職場の長たる私が善政を敷いているためである。
客観的に描写すると、職場長が緩くて遊んでばかりいるから、全員が上の目を気にせず、遠慮を忘れているためである。

いずれが真実か? だが、いずれにしても笑い声が多い職場は気持ちがいい。このペースを持続したい。