2006
06.30

2006年6月30日 義父

らかす日誌

義父が呼吸困難に陥った。知ったのは、昨夜10時半頃のことだ。
職場の仲間と一杯やって10時前に帰宅していた。やや飲み足りなかった感じがして、1人ちびちび焼酎を飲んでいる最中に、隣の義父宅から連絡があった。すでに救急車は呼んだという。あわてて駆けつけた。

2階の自室でベッドに寝た義父は、呼吸が苦しそうだった。唇の色も変わっている。ありゃー。すでに86歳。

「覚悟しておいた方がいいかもしれないぞ」

我が妻殿にそう言い渡した。丈夫な人だが、何せ高齢だ。万一のことが起きても不思議ではない。

やがて救急車が到着した。2階から運びおろされた義父が救急車に収容された。義弟夫婦も乗り込んだ。救急車は直ちに脱兎の如く救急病院を目指す。はずである。なにせ、患者の生命は時間にかかっているかもしれないのだ。
なのに。

1分たった。動かない。
3分たった。動かない。
5分たった。動かない。
???

7、8分して、私は焦れた。助手席のドアを開け、中にいた救急隊員に話しかけた。

「ねえ、一刻も早く運んだ方がいいんじゃないの?」

優しくいった。だが、心の内は、何をぐずぐずしてるんだ? このままじゃ助かるものも助からないじゃないか! である。
思っても見なかった返事が返ってきた。

「いや、収容してくれる病院が見つからなくて

窓から義父の様子をのぞき込んだ。酸素マスクで口元を覆われ、そばでは血圧計がチカチカしている。上が124、下が80。まだ血圧は大丈夫か。しかし、この状態が続けば、動かない救急車の中で最悪の事態が起きることだってあり得る。
動かない救急車って……。

いや、動かないのではない。蒸し暑いよる、車内の温度管理のためにエンジンかかけっぱなしだ。運転席に座り、アクセルを踏めばいつでも走り出す。なのに、行き先が決まらないから動けないのだ。
医療機関とは、まさかの時のためにある。いま、我が家は、いまがまさかの時である。なのに、役に立とうという医療機関がない。最近は産科医の不足が取りざたされているが、やはり医療制度はどこかおかしくなっているのではないか? これほど全国に医学部を持つ大学があるのだから、医師不足ということはないはずだが。

救急車が動き出すまで、主観的には1時間も待ったような気がした。現実には10分程度だったかもしれないが。
自宅に戻り、12時ぐらいまでは病院からの連絡を待った。が、ふと気が付いた。緊急の連絡が入るかもしれない。病院まで車で駆けつけることになるかもしれない。だったら寝ておかなければ。体内に入れてしまったアルコールの影響を消すためである。

目が覚めたら朝だった。犬の散歩に出かける前に、妻殿に義父の様子を聞いた。午前3時頃連絡があり、とりあえず落ち着いているという。
散歩を終え、朝食を済ませて、妻殿と病院に向かった。その後の経過を聞き、必要なら入院の手続きをするためだ。

担当医によると、病名は敗血症。血液の中に細菌が入って引き起こす症状である。検査の結果、一時は白血球が通常の10分の1程度にまで下がり、熱が40度あった。血圧は、最悪期には上が80強しかなかった。意識がなくなってもおかしくない数値である。義父の意識はしっかりしていたそうだが。なかなかにしぶとい
抗生物質と栄養剤の投与で朝には熱も下がり、白血球吸うも平常値に戻ったそうだ。まあ、一安心である。

今回の教訓:老人が1人で寝るのは怖い。前日あたらりから食欲がなかったことは同居している義弟も知っていたが、熱があることは誰も知らなかった。おまけに、義父が苦しんでいるのを知ったのはずいぶん時間がたってからだった。

 今回の指導項目:義父が1人で寝るのなら、緊急呼び出し用のベルを設置すること。スイッチを押しさえすれば非常事態が同居家族に伝わるようにするのが狙いである。
もっとも、最近の義父は認知症が進んでいる。苦しくなったら非常ベルのスイッチを押すことを記憶してくれればいいのだが……。

ダメな場合は、また何か考えなければならないなあ。