2006
11.22

2006年11月22日 息子の結婚

らかす日誌

息子が、19日(日)に結婚した。
このところ、新しい原稿を全くアップしなかった、いやできなかったのは、私も何となくせわしない日々を送ったからだ。

お詫びかたがた、当日、私が行った挨拶の原稿をお目にかける。
もちろん、当日は相当の酒を飲み、挨拶をする時にはかなり酔っていた。従って、この原稿の通りにはしゃべることができなかった。が、まあ、おおむね、このような趣旨の話はした。その程度のものだと思ってお読み頂きたい。

ひな壇に並んでおります2人は本日、知人、ご友人の方々からたくさん祝いのお言葉をいただきました。2人に代わり、厚くお礼申し上げます。

ただ、ここで座って聞いておりますと、この結婚、なにやら、大人になりきれない欠点だらけの我が息子と、全く欠点のない美しい姫君との、いわばあってはならない組み合わせのような気がして参りました。私は新郎の父親であります。製作責任者として新婦、それに新婦のご親族の方々になにやら申し訳ない気がして参りました。

私どもは、この結婚を心から歓迎しております。A子君はお言葉にありました通り、聡明で美しい女性であることはご覧になった通りです。
それだけに、A子君のご親族の皆さん、お知り合いの皆さん、この男でよかったのでしょうか?
新郎の父親として少しばかり申し開きをしたくなりました。

息子は幼稚園は岐阜で2つ、名古屋で2つ、小学校は名古屋、浦安、鶴見、札幌で通いました。小学校4年生まで、夜中に愛しの息子と添い寝している私のお腹の当たりがじんわりと温かくなる快感 ― お分かりになりますね ― を何度も味わいました。
味わいながら喜びました。この子は昭和の坂本龍馬になる。世の中を変える男になる。ご存じのように、近代日本を切り開いた龍馬は、15,6まで寝小便をしておりました。
そういえば、大学にはいると間もなく、彼はバイクで土佐までツーリングし、坂本龍馬像を見てきたそうです。本人も龍馬に親しみを感じて生きてきたのに違いありません。

高校2年、飲酒で停学(「グルメに行くばい!第25回 :蒸しもやし」をご参照ください)。
なかなか真似のできない豪快な生き方ではないですか。ルールを破ってみせるのは若者の特権です。
3年生では見事ほとんどの大学に落ち、一浪で早稲田理工学部を目指すも討ち死に。
挫折のない人生は、クリープを入れないコーヒーです。挫折を知らない人間は本当の優しさを知りません。

行きつけの飲み屋、「小菊」で、彼の友人数人を交えて酒を飲んだ時でした。

「俺さあ、早実受けたんだわ。落ちたんだけど、点数見たら合格最低点に3点足りなかったんだ。びっくりしたのはさあ、数学が6点なんだよ。笑ったね」 

これは、息子の発言であります。思わず聞いてしまいました。

「おまえ、それ、数学って10点満点? それとも20点満点?」 

思いもせぬ答えが返ってきました。

「もちろん、100点満点だよ」 

数学が6点しか取れないのに合格最低点にあと3点と迫るのは、ほとんど天才の技であります。
ま、一般的には数学で6点しか取れないバカと評価されるでしょうが。

大学4年生。大学院か就職かで迷っていました。そのころ、本田技研への就職のチャンスが回ってきました。ところが彼は断るのです。代わりに、友人がホンダに入りました。で、大学院を諦めたころには大手企業の採用は終わっており、教授の薦めで御殿場にあるベンチャー企業に入りました。
自分に巡ってきたチャンスを友に譲る。これほど心の広い生き方があるでしょうか? 決して、チャンスのつかみ方がわかっていないアホとは呼んでいただきたくない。
ところが、ペーペーにもかかわらず経営方針をめぐって社長と大喧嘩、退職してモトローラの携帯電話部門に入ります。それなのに、1年ほどでモトローラは日本での携帯電話事業から撤退し、携帯電話部門をリストラします。失業者です。追い掛けるようにITバブルの崩壊が来ました。中途採用を取りやめる企業が相次ぎ、やっと滑り込んだのは、医療器具のベンチャー企業。1年後、この会社は倒産します。再び失業者です。
有為転変のある人生は豊かです。ただ、本人と親の心臓に悪いだけです。

えっ、頂いた言葉への反論になっていない? だとすれば、うーん、まあ、そんな男なのでしょう。親の目には、ほかの若者より遙かにまともに映るのですが。

捨てる神あれば拾う神あり。求職活動に奔走する彼に、幸い、4つの会社から招きがありました。その中から選んだのが、現在の会社です。そこにA子君がいました。2人はお互いに一目惚れであったようです。きっかけは、飲み会の席でA子君が議論、というよりも口論をふっかけたこといいますから、ま、何というか……。

話は変わります。浄土真宗の開祖親鸞さんは、こんな趣旨のことをおっしゃっています(このサイトでは、「シネマらかす #55 : ラン・ローラ・ラン - 必然の契機」をご参照ください)。

人の生涯は3つの要素で決まる。必然的なもの、偶然に起きること、それに、自分で選び取ったことである。
いまの人は、自分の選択を最も重視します。自分で友を選び、自分で恋人選び、自分で学校を選び、自分で職業を選ぶ。うまくいけば満足し、思うようにいかなければ、人生を悔いて送る。
だけど、よくよく考えてみれば偶然に起きることや、自分で選び取ったものはたいしたことではない。例えば、人間は、誰かを殺したいと思っても必然の契機がなければ殺さない。逆に、必然の契機があれば、殺したくないと思っても100人も1000人も殺す。人間とは不確かな存在である。

人間は生きているのではなく、生かされているのだ、とでも申しましょうか。いずれにしても、生かされて別々の人生を歩いてきた2人が交点を作る。これも必然の契機であり、2人はこの日のために、これまでの人生を送ってきたのです。我が息子でいえば、寝小便も、停学も、大学不合格も、失業も。

ここにお集まり頂いた方々は、様々な形で2人の人生を作って頂いた方ばかりです。皆さんのおかげで2人は、いまあそこに、並んで立っています。ありがとうございました。

ところで、私、最近映画をよく見ます。最近見た古い映画に、素晴らしい言葉がありました。

Remember, no man is a failure who has friends.

友人がいる人生は素敵だ、とでも訳しましょうか。「素晴らしき哉、人生! It’s a wonderful life」という映画です。事業が破綻に瀕し、自殺しようとした主人公が、天使の力で自分のいない世の中に入り込む。自分がいない世の中は何と酷いことか。不幸な人が何と多いことか。そうか、自分の人生は無価値ではなかった。光り輝いていた。素晴らしい人生なんだ。と、生きる勇気を取り戻す。見ていて心が温ったかくなります。

本日の主役である2人は、この会場を眺め渡しても、たくさんの友人を持っているようです。2次会には、この会場に入りきれなかった友人たちが、さらにたくさん来てくれるそうです。

No man is a failure who has friends.

私たちはいまここに立ち、会場を眺めて、安心して2人の巣立ちを喜んでいます。

最後に皆さんにお願いしたい。どうか、これからも2人の友人であってください。バカをしてもいい。喧嘩をしてもいい。一緒に酔いつぶれても構わない。何でもいい。友人でいてやってください。
それが2人の人生を豊かにし、皆さんの人生をかけがえのないものにします。

本日のご臨席を心から感謝して挨拶といたします。

この挨拶が受けたのか、受けなかったのか。それは私の知るところではない。
ただ、これだけの原稿を書くのに、ほぼ2週間かかった。基本コンセプトを考え、添削し、妻に目を通してもらい、再び添削して、仕上げた。
酔って、この通りに話せなかったのが、返す返すも残念である。