2007
02.01

2007年2月1日 そんなにいけないこと?

らかす日誌

 1人のオヤジがめった打ちにされている。女性を「産む機械」と口走ってしまった柳沢厚労相である。

野党は足並みを揃えて辞任を求める。新聞は識者と呼ばれるらしい人たちの談話を集めて柳沢発言の問題点をあげつらう。ついには自民党の中からも辞任要求が出始めた。柳沢厚労相、四面楚歌の状態である。
でも、そこまでいじめられても仕方がない、そんなにいけない発言か?

今朝の朝日新聞に、問題発言部分が掲載されていた。ここに転記する。

 では、人口の状況はどうか。平成17年の国勢調査を受けて、18年に年金の人口推計をやるわけです。(中略)特に、2030年に例えば30歳になる人を考えると、今、7,8歳になっていなきゃいけない。生まれちゃってるんですよ、もう。
 あとは、「産む機械」って言っちゃなんだけど、装置の数が決まっちゃったってことになると、機械って言っちゃ申し訳ないんだけど、機械って言ってごめんなさいね。あとは産む役目の人が、一人頭でがんばってもらうしかない。2030年はもう勝負は決まっているとよく役人に言われる。

どうやら発言は、出生率の低下が年金財政に与える悪影響を巡ってのものらしい。年金を負担する時代を終えて使うだけの時代を迎える高齢者の数は決まっている。それに対して、年金を負担する世代の数が減れば、どうしたって年金財政は窮迫する。だから、子供の数を増やさなければならない。
ところが、2030年に子供を産む年代になる女性はすでに生まれている。数が少なく、少子化が問題となっている世代だが、これから増やすわけにはいかない。だから、彼女たちが1人当たり2人の子供を産むぐらいでは、年金消費世代と年金負担世代のバランスが崩れて年金財政が危機に陥る。彼女たちには3人、4人の子だくさんお母さんになってもらうしかない。

発言の趣旨はこれだけである。政策としての是非はともかく、算数の計算としてはつじつまが合っている。
だが、糾弾されているのは政策ではない。ただ1点、女性を機械に例えたことである。

そんなにいけないことか?

柳沢厚労相の意図は、おそらく話を分かりやすくすることだった。子供がもっとたくさん生まれないと年金財政は大変である。それを分かりやすくするために、出産を生産装置に例えた。
年間の生産目標が100万個の場合、1000台の機械があれば1台当たり1000個生産すればいい。500台の生産装置しかない場合は1台当たり2000この生産が必要になる。100台しかなければ1万個である。
そんな話をしたかったのだ。
この例えで話が分かりやすくなったかどうかには疑問がある。あえてたとえ話を持ち出さなくても、もともとが簡単な話なのだから。だが、柳沢厚労相はそちらの方がより多くの聴衆に理解を得られるはずだと考えた。こうして

「産む機械」

発言が飛び出した。褒められたことではない。でも、

そんなにいけないことか?

人を機械に例えることはよくある。
彼の頭脳はコンピュータ並みに正確だ、というのは褒め言葉である。

 「いや、俺の場合はさ、CPU(中央演算装置)は優秀なんだけど、長年使ってきたハードディスクが痛んできたみたいで、なかなか読み取りができないのよ」

というのは、デジキャス時代からの友、H氏が、固有名詞を思い出せない時に使ういいわけである。

万力のような手がある。
時計のように正確な生活習慣を持つ人がいる。

機械だけではない。
カモシカのような脚。
餅肌の女性。
並みの……。

(余談)
あなた、馬並みね、とは、言われてみたいが……。

 人の体は様々なものに例えられる。例えられて嬉しいものもある。腹がたつものもある。柳沢厚労相の例えは、腹がたつ方であろう。

だが、その発言に注目を集めすぎたために、たくさんのものが見えなくなった。年金の未来はどうすればいいのか。異様に下がった出生率は、誰の責任なのか。出生率は引き上げるのが望ましいとしたら、どのような手だてがあるのか。
それらの方が、柳沢厚労相発言が不適切であったかどうかより遙かに大事な問題である。

「だけど、厚生労働大臣の発言としてはまずいでしょ」

という見方も聞いた。
私は、立場によって使って言い言葉と使ってはいけない言葉があるという説は採らない。立場によって言葉を使い分けては議論が不毛になる。柳沢氏が国土交通大臣で同じ発言をしたら問題はなかったのか?
問題は、発言の片言隻句をとらえてあげつらうメディアと、政争の具として弄ぶ政治業界人にあるのではないか?
国民は、本当にそれほど怒っているのかな?

柳沢厚労相が辞任するまでは審議を拒否するという民主党。国会にはこれ以上大切な問題はないらしい。
辞任要求陣営にはせ参じた参院自民党。参議院選挙への悪影響を排除したいという思惑だけである。

つまらないことにこだわる。あるいは、大事件になってしまったつまらないことを自陣営に有利に利用しようと走り回る。

つまらないことがこれほどより集まると、見ているこちらも、なんとつまらない世の中か、と嘆かざるを得ないのである。