2007
02.07

2007年2月7日 悪貨は良貨を駆逐する

らかす日誌

まとめて、岡林信康を聞いた。何年ぶりのことだろう。聞いて思った。
いいものはいい。誰がなんと言おうと、岡林はいい

先週、30数年ぶりで飲んだ旧友から、岡林のVD-Rが6枚、今日会社に届いた。テレビ局に勤める彼と、かつて共通のカリスマだった岡林の話で盛り上がったのが引き金である。

「これ、聞いたことある?」

という質問に、素直に

「ない」

と答え続けたら、送ってくれた。 NHKでのライブなど、普通では手に入らないものばかりだ。もっとも、岡林さんのCDはほとんどが入手困難になっているのだが。

夕食の傍ら、妻と聞いた。1~2枚のつもりが、とうとう全部聞いた。聞きながら、思わず歌った。妻も歌っていた。思わぬ合唱となった。

チューリップのアップリケ
 山谷ブルース
 流れ者の歌
 ガイコツの歌
 26番目の秋

どれも懐かしく、心にしみいる。
岡林さんの魅力は数々ある。透き通って、すっと胸に入ってくる声。どこか懐かしいメロディ。見事な演奏を聴かせるバック。だが、最大の魅力は詩である。

 君に捧げるラブソング

 悲しみにうなだれる君を前にして
 そうさ何もできないでいるのがとてもつらい 
 せめて君のために唄を書きたいけど
 もどかしい思いは うまく唄にならない
 いま書きとめたい唄 
 君に捧げるラブソング

 君の傷みの深さはわかるはずもない
 何かふたり遠くなる目の前にいるというのに
 そうさぼくはぼく君になれはしない
 ひとり戦うのを ただみつめているだけ
 いま書きとめたい唄
 君に捧げる ラブソング

 ふたりはためされてるの君は僕のなに?
 これで壊れてゆくなら僕は君のなにだった?
 何もできはしないそんなもどかしさを
 逃れずに歩むさそれがせめてものあかし
 いま書きとめたい唄
 君に捧げるラブソング

岡林さんは、天性の詩人である。数少ない言葉で、素敵な、深い世界を描き出す。私は逆立ちしてもこれだけの言葉の連なりは作り出し得ない。ただただ脱帽する。

かつて彼は、フォークの神様と言われた。私と妻にとっては、いまだに神様である。でも、世間からはほとんど忘れ去られてしまった。amazon.co.jpで見てみたら、我が家にあるCDに1万2800円の価格がついていた。このCDが店頭から消え去ったからである。

彼は路線を間違ったかも知れない。学園闘争の時代が終わって若者が冷め、日本がどんどん豊かになって、もてはやされる音楽が大きく変わった。彼はそれまでの反体制一辺倒から踏み出し、自分の暮らしを掘り下げ、アジアの音楽を掘り下げた。私小説的な曲が増え、民謡、演歌、そして韓国のリズムであるサムサノリを取り入れた。彼の原点探しの旅だったのかも知れない。だが、軽薄さを増した大衆は彼を離れた。

だが、私はずっと岡林さんの曲を心のどこかで聞きながら齢を重ねてきた。

 みのり

 みのり ちいさな瞳で
 お空のお星様 お月様を
 僕もおまえを胸に抱き
 いっしょに見上げてる 夜の空
 みのりちゃんの おばあちゃんが
 遠いところへ 行ったのは
 ちょうど去年の 今頃
 ちょうど去年の 今頃だよ

 みのり あの星も月も
 僕らをじっと見ているようだね
 おうちの中では 母さんと大介くんが
 もうねんねだよ
 みのりちゃんの おばあちゃんは
 大介くんには 出会えずに
 かわいい寝顔も見ないまま
 たったひとりで 行ったんだよ

 みのり
 僕が出会えぬ人と
 僕が見ることのできないものを
 いつかおまえは 見るだろう
 いつかおまえは 出会うだろう
 あの星は お月様は
 いろんなものを 見たろうね
 みのり
 僕のお母さんが 遠くへ行ってから 一年が…

私の次女は「みのり」という。彼女が生まれたとき、雑草のようにたくましく生きる人間になってほしいと思った。様々な名前を考えて、考えあぐねたとき、たまたまこの曲を聴いた。言葉の響き、草花の春のイメージ、この曲に込められた我が子への愛おしさ、自分の母への思いが私の願いと重なった。私は岡林さんの長女の名前をいただいた。

岡林さんの世界をもっと楽しみたい。彼と一緒に年を取っていきたい。だが、彼のコンサートはほとんど目にしない。雑誌によると、時折、大衆酒場に乱入して突然のコンサートをやったりするらしい。だが、私の行く酒場には、まだ乱入してくれない。おかげで、彼の音楽にはなかなか接することができなくなった。寂しい。

悪貨は良貨を駆逐する

歌も歌えないガキが舞台ではね回るだけで数万人を集め、つまらない昔の歌い手が、嬬恋に3万人以上の人を集める。その陰で、心をふるわせる歌を作り続け、歌い続けている歌手が消え去りかかる。

悪貨は良貨を駆逐する。

私は心から叫びたい。
岡林、Come Back!