2007
05.23

2007年5月23日 平岩外四さん

らかす日誌

平岩外四さんが昨日亡くなった。奇しくも、昨日は私の誕生日である。

朝刊でそれを知り、1人冥福を祈った。

いつものように、我がホームページへのアクセスをチェックした。アクセスが急に増えていた。検索語を見て納得した。

平岩さんである。「シネマらかす23:青い戦慄 - こんな台詞で決めてみたい!」で、平岩さんに触れていたからだ。このページに61人の方がアクセスし、全体を押し上げた。

唐突だが、お読みいただいた方々に謝罪をしなければならない。「シネマらかす23:青い戦慄 - こんな台詞で決めてみたい!」の平岩さん関連の記述の一部に、実は意図的な誤りがある。

都内のレストランでお見かけしたというのは嘘です。実はご一緒していました。いろいろお話を伺って強く記憶に刻み込まれていたので、あの映画で平岩さんを思い出したのです。意図的に間違った記述をしたのは、まさかないと思いますが、平岩さんにご迷惑をかけることを恐れたのです。

ごめんなさい。

(余談)
最近、訂正が多いな、この日誌。

 お詫びかたがた、平岩さんにうかがった、とっておきの話しをご披露する。故人となられたので、ご迷惑をかけることもないはずだ。

今朝の日経新聞のコラム「春秋」によると、平岩さんは3万冊の蔵書を持つ読書家だった。それを目にして思い出した。

晩年の平岩さんは、かなり目が悪かった。ご高齢だったから、仕方がないことである。

目が悪いので、読書をするのに天眼鏡が必要だった。それでも読書は続けておられ、毎月の読書量は100冊近くに上っていた。会社のデスクの上には、いつも15、6冊の未読の本が積み上がっていた。

ある時、ふと疑問がわいた。天眼鏡が必要な人が、毎月100冊近い本を読むって、できるか? 自宅で、天眼鏡で本を読んでみた。使わない時に比べて、速度は半分以下に落ちる。寝っ転がって読むわけにはいかないので、読書に当てる時間も減る。おかしい。

疑問がわけば、答えを求めるのは人の常である。私も人の端くれである。他の人とやや違うのは、分からないことは臆面もなく問いただすことだ。

「平岩さん、天眼鏡で本を読むのはずいぶん時間がかかるでしょう? どうやったら、毎月大量の本が読めるのですか?」

「ああ、簡単なことです。本を手にしたら、まず最初の10数ページを読みます。次に、最後の10数ページを読みます。ほとんどの本は、それで内容が分かります。分かったら、その本は読んだことにして、次に移ります。少ないのですが、それだけでは分からない本があります。その中から面白そうだという本だけ、最初から最後まで読みます。100冊ぐらいすぐですよ」

終生、読書を愛してやまなかった人の、自分の体にあわせた見事な読書術である。

にしても、だ。2、30ページで内容がすべて分かる本って、ねえ。しかも、それがほとんどだとは、なんか、情けなくないか? いくら相手が平岩さんだとしても。

そう言えば、平岩さんに本をプレゼントした記憶もある。お話ししていて、

「その本はまだ読んでいませんが、面白そうですねえ」

とおっしゃっていただいた本だ。さて、何をさし上げたのか、いま必死で思い出そうとしてるのだが、どうしても出てこない。

夜と女と毛沢東(吉本 隆明, 辺見 庸、文藝春秋刊)

だったか、

豆腐屋の四季(松下 竜一 著、講談社文庫)

だったか……。

平岩さんが、さし上げた本を通読されたのか、最初と最後の10数ページずつを読んで読んだことにされたのかは聞き漏らした。どっちだったのだろう? 悔しいことに、お伺いする機会が永遠になくなった。

平岩外四さん、やすらかにお眠りください。