2007
08.05

2007年8月5日 シリーズ夏・その8 全力疾走

らかす日誌

先ほど車に乗って外気温を見たら、36℃だった。この暑さに耐えるのは人間業ではない。とうとう、夏が本格化した。いやだなあ……。

前回の日誌によると、私は高校2年生の夏休み、自宅に籠もりっきりで「チャート式数1」に取り組んでいたはずである。だが、老化がだいぶ進んだ記憶装置を点検していたら、それと矛盾する思い出が転がっていた。

高校2年生の夏休みのある日、私は学校にいたのである。

この矛盾を統一する理論を、まだ私は見出していない。

私が通った高校は3階建てだった。3階の東の端は3年生の理科系進学クラスだ。田舎高校では秀才と呼ばれる人たちの集まるところである。

2年生の私がどうしてその教室を覗いたのか、こいつもとんと記憶にない。それは記憶にないが、その教室を覗いたことだけは確かである。そこで目にした異様な光景が私の脳裏にしっかりと刻み込まれている。

教室中の窓が開け放たれていた。北側の窓際に机がピラミッド状に積み重ねてあった。ほとんどの机がピラミッドのパーツになっているため、教室はがらんとしている。誰が、いったい何の目的で、このクソ暑いさなかに馬鹿な作業をしたのか? ピラミッドを眺め上げた。頂点とおぼしきあたりに人影があった。

「あ、大道君」

私が教室に入った時にたてた物音に気がついたのか、その人物が振り返り、私に声をかけた。見ると、生徒会の役員室などで時折顔を合わせる松本さんだった。

それほど目立つ人ではなかった。九州の片田舎にもかかわらず、彼は標準語を話した。語り口は、間延びをしているといいたくなるほどノンビリ、ゆっくりしている。焦りという言葉を知らないタイプである。クラブ活動はしない。生徒会の役員選挙に打って出ることもない。成績は上位にあるのだが、まあ、そこそこである。自分の考えを押しつけることはなく、頼まれたことは気軽に引き受ける。朴訥な、丸刈り頭の紳士である。

その松本さんが、ピラミッドの設計者兼製作者であった。

「そげなとこで、何ばしよっとですか?」

誰しもが最初に頭に浮かべる疑問をぶつけた。

「ああ、これかい? 涼しいところで勉強をしようと思ってね。ほら、もう夏休みだから、いくらノンビリ者の僕だって、少しはエンジンをかけないと、と思ってさ」

空気は、暖められると軽くなって上に昇る。教室で一番冷たい空気が存在するのは一番床に近いところである。逆に、天井に近づけば近づくほど温度は上がる。それが物理学の常識である。

松本さんは、軽々と常識を飛び越えていた。

「いやー、何となく高いところの方が風がよく通るような気がしてねえ。ハッハッハ」

 「はあ……。ところで松本さんは、どこの大学ば受けるとですか?」

「ああ、京大の理学部を狙っているんだよ。これまで遊びすぎたから、これから馬力をかけても間に合うかどうか分からないけどね。ハッハッハ」

松本さんの話は、いつもハッハッハで終わったような気がする。ハッハッハという、全く湿り気のない笑い声を聞きながら、私は3年生の成績表を思い出した。松本さんが京都大学? この人、そんないい位置にはいなかったぞ……。

「そぎゃんですか。ばってん、京都っち、難しかでしょうが。凄かですねえ」

 「うん、難易度が高いみたいだから、僕も本腰を入れて勉強しないとね。ハッハッハ」

その日私は、何故か学校でうろうろしていた。次に松本さんの姿を見たのは、それから数時間後である。

松本さんは白い短パンとスポーツシャツに着替え、グラウンドにいた。たったひとりで、グラウンドを全力疾走していた。左右の股が高く上がる。左右の腕が大きく前後に振られる。綺麗なフォームだった。200mほどの距離をこなすと、一息入れて再び全力疾走を始めた。

「ありゃー、勉強ばせないかんて言うとらしたつに、グラウンドば走りよらす。こん暑さん中であげん走り回りよったら、夜は眠なって勉強どころじゃなかろもん。ほんなこて京大に通りよらすとやろか?」

校舎の窓から自分を見ている後輩がそんな心配をしていることを、松本さんは知らない。彼の走り込みは、4度、5度と回数を重ねた。やがて夕闇が迫り始めた。

翌年3月、各大学の合格者が発表された。私が大好きだった生徒会長の高田さんは東大理1に見事に合格した。柔道部のキャプテンだった藤井さんは東京の私立大学に決まった。九州大学に進んだ人が20数人、熊本大学、西南学院大学……。

松本さんは? 松本さんは京都大学理学部の合格者名簿の中にいた

落ちのない話である。

いや、私は松本さんに刺激を受けた。3年生の夏休みから受験勉強を本格的に始め、京都大学に通った人がいる。私は2年生の夏休みから始めたのだ。志望校に通らないはずがないではないか。お前の成績では無理だという周りや先生は、松本さんの実績を知らないだけなのだ!

なのに翌年、私は見事に志望校に落ちた

こうして私は、人は平等ではない事実を思い知らされた。平等でないから人類は、平等という手の届かぬ夢を追い続ける。

18歳の時、そんな真実を知っていたら、私の人生は変わっていたかもしれないなあ……。