2007
09.10

2007年9月10日 生きる

らかす日誌

廉恥、という言葉は、もはや死に絶えたのだろうか?

昨夜、テレビ朝日のドラマ「生きる」を見た。黒澤明監督の最高傑作の1本をリメイクである。原作は「シネマらかす#67 生きる― ああ、戦後民主主義」で取り上げた。愛着のある原稿ではありながら、いまでも、黒澤作品への冒涜だったかも知れない、との思いがある。
だけどまあ、これほどの暴挙ではなかったはずだ。

10時近くまではWOWOWを見ていた。「ユナイテッド93」。2001年9月11日の同時多発テロでハイジャックされたユナイテッド航空93便では何が起きていたのか? 渦中にあった乗客たちと電話で話した家族、知人らに取材して再現したドキュメントタッチのドラマである。なかなか迫力のある映像だったが、それは今回の主題ではない。
「ユナイテッド93」が終わり、何の気なしにザッピングをしていた。その時飛び込んできたのが、「生きる」だった。そういえば、どこかが黒澤作品のリメイクに取り組んでいるって、何かに書いてあったな。

見始めた時、「生きる」はすでに半分終わり、自分の余命が幾ばくもないことを知った主人公の渡辺が遊び回るシーンの最後だった。原作では、酒場で知り合った小説家が相手なのだが、このリメイクでは車のディーラーである。まあ、この程度の変更は許されてしかるべきである。

小田切サチ(原作ではみき)が現れた。市役所で渡辺の下にいる女の子だ。役所を辞める。判子をください。
このあたりから、私の中で違和感が急速に膨れあがった。

原作の小田切は貧しかった。役所を辞めるのも、実入りのいい町工場に勤めるためだ。判子をもらいに渡辺の家に上がり込んだので、彼女の靴下に穴が開いていることに渡辺が気付く。哀れに思って靴下を買い与えると、彼女は嬉しさのあまり渡辺に腕をからめてくる。この女の子は貧しさの極みにいるのに、何故こんなに天真爛漫でいられるのか? 渡辺が小田切に惹かれたのは、若い女性の肌触り、甘い香りに魅せられただけではない。

ところが、リメイクに登場するサチはちっとも貧しくない。それはそうである。いま市役所に勤めている女子職員が貧しいはずがない。靴下に穴が開いているはずもないから渡辺の家に上がり込むシーンはカット。もちろん、靴下だって買ってもらう必要がない。そして彼女は安定した役所勤めをやめ、なんと派遣社員として町工場に勤め始めるという。そんな選択って、ありか?

それからの渡辺は彼女と遊び呆け始める。でも、何故だろう? 同情したわけではない。同情しなければならない事情が彼女にないからだ。ミステリーを感じたわけでもない。単なるアホ娘にミステリーゾーンは存在しない。なのに、渡辺はストーカーまがいの行動にまで出る。おいおい、それって単なる老いらくのイッパツやりたい病だって。
そんな女が、そんな関係が、死期の迫った男を一変させることができるか?

一変した渡辺が取り組むのは、原作と同じ公園作りである。これにもギョッとした。このリメイクの制作スタッフ、頭が付いているのか?
時代が違う。原作は1952年にできた。日本は貧しかった。地方財政も貧しかった。その時代、公園1つ作ることは大変だった。戦後日本の経済がやや安定し、泥棒がお金を盗むようになったのは、その2、3年前のことなのだ(「旅らかす11 中欧編 XI : 帰国」をご参照ください)。
だが、2007年のいま、公園を作ることがそれほど大変なことだろうか? 街の緑化、公園の整備が自治体の首長選の公約として流行したのは一昔以上前のことだと記憶する。いま、公園作りが、自分の生きた証になりうるか?

リメイクとは、単に時代を移し替えて同じ話を作れば済むという没知性的な作業ではない。死期を悟った渡辺が自分の生きた証としてする仕事は、1952年には公園作りで十分通用した。だが、2007年には、

「何で公園なの?」

という違和感しか生み出さない。

降りしきる雪の中、自分の作った公園のブランコに揺られながら、渡辺が「ゴンドラの唄」を歌う印象的なシーンをスタジオのセットで撮影するのは構わない。志村喬の鬼気迫る演技に松本幸四郎がどこまで迫ることができたかは別の問題である。日本のテレビドラマの制作には予算の制約があることは周知の事実だ。
しかし、リメイクの制作陣はふんだんにはカネを使えなかっただけでなく、いや、それ以上に頭脳を使えなかった。

原作は何故感動を呼んだのか。その根底はどこにあるのか。その感動を2007年の世で復活させるには、原作のどこを残し、どこを改変するのか。
彼らにそんな発想の欠片ぐらいはあっただろうか? 1952年だから切実感のあったそれぞれのエピソードを、そのまま現代に移して表面的に辻褄を合わせる。以上、リメイク作品の一丁上がり!

こんなに軽々しく作られた豆腐を口に入れては、私はお腹を壊す。このリメイクの制作スタッフは、よほど丈夫な胃腸をお持ちなのに違いない。