2008
01.25

2008年1月25日 宝くじ

らかす日誌

昨夕、私の携帯電話に妻から電話が来た。執務時間中の電話である。いい話であるわけがない。今度は何をしでかしてくれたのか。

「どうした? 何があった?」

と聞く私に、妻は

「それが、車が……」

と言葉を切った。やや興奮気味である。

車、か。車で悪いことといえば……、そういえば、今日は次女が来ていたな。だとすると、またぶつけたか? こすったか?

というのも、次女には前科があるからだ。「らかす日誌 ドック入り」をお読みいただければ分かるように、昨年1月、訪問先の駐車場から出ようとして、ブロック塀に左後ろドアをガリガリとこすった。

昨秋には我が家の駐車場から出ようとして、あるいは入ろうとして、ほぼ同じ場所をこすった。本人に自覚はなく、また証拠もないが、私の車を運転する人間はほかにはいない。私に覚えがない以上、この傷も次女が付けたと判断せざるを得なかった。この時はコンパウンドでこすっただけで傷はほぼ見えなくなったので事なきを得たが。

「また、ぶつけたのか?」

当然の疑問をぶつけた。

「そうじゃなくて」

という返事がきた。私は次女に、濡れ衣を着せようとしていたらしい。いずれにしても、前科者は、事件が起きた際には不利である。

上ずる妻を何とか落ち着かせて聞き出した話はこうだった。

昨日は、我が家の前の道路がアスファルト舗装される日だった。昨秋、配水管の取り替え工事があり、その後でこぼこになったままだった道路を綺麗にする工事だ。異論はない。

朝から工事が始まった。異変が起きたのは、工事が我が家の前まで進んだ時だった。アスファルトを道路に蒔くホースが何かの拍子にピョンと跳ね、吐き出し口が我が家の駐車場に向いた。

 「それで、車にコンクリートだかアスファルトだかがバーってかかって、車だけじゃなくて駐車場のシャッターとか、床のコンクリートにもかかって。それで、車は一所懸命拭いてくださったんだけど、前の方にまだ残ってって……」

妻にはコンクリートとアスファルトの区別も付かないようだが、おおむねは理解できた。

 

私の愛車がコールタールまみれになる。あまり嬉しい図ではない。だが、起きてしまったことは起きてしまったことだ。怒ってみたところで、いまさらどうなるものでもない。

私は冷静である。

「分かった。騒がなくていい。すぐにディーラーに電話をして修理を依頼しなさい。工事の現場責任者には、ディーラーに修理に出すこと、請求書はそちらに送ること、あわせて修理期間中の代車も必要になるのでその費用も請求することを伝えなさい。それで話が付けばそれでいい」

冬至は過ぎたが、まだ日暮れは早い。自宅に戻って事故にあったところを確認しようとしたが、暗くてよく分からない。そのまま、私によって濡れ衣を着せられた次女をマンションに送り、自宅に戻って朝を待った。

そして今朝。

会社に出かけようとする私を、妻が駐車場に先回りして待っていた。ひょっとしたら、この家を建てて初めてのできごとである。我が家は築24年だ。

「ここよ、ここ。ほら、分かるでしょう」

見た。分からない。私の車はダークグリーンである。だから見えにくいのか。目をくっつけた。

なるほど、いわれてみればポツポツと小さな黒い塊が付着しているようにも見える。一所懸命こすったような跡も確認できた。バンパーの左側、左のフェンダー、左のロッカーパネルの一部である。

私の愛車は、頭からコールタールをぶっかけられたのではなかったらしい。

さて、この程度の損傷が愛車に生じ、その原因が自らにあった場合はどうするだろう?

断言しても構わない。私は自分の力で何とかしようとする。ボディーにこびりついた塊を取り除く方法はないか? うっすらと表面にできている膜を取り除く方法はないか? シャンプーで洗ったり、コンパウンドで磨いてみたり、あらゆる努力を傾注する。

が、今回は私に原因はない。私は一方的な被害者である。

 「今日ディーラーが車を引き取りに来る。費用は工事会社が払うから、いくらかかってもいいので元通りにしろと言っておいてくれ」

そう言い置いて会社に向かった。

私はせこいのだろうか……。

 

午後、ディーラーに電話をした。担当は武田さんという。

「どう、車?」

 「うーん、メカに見せたけど、何かネバネバしたのがくっついてるよねえ。とりあえずこすってみるかと言ってるんだけど」

 「費用は関係ないからさ、一度塗装を全部剥ぎ取って再塗装したら?」

 「いや、再塗装すると塗装の質が落ちるんで、何とかいまの塗装が生きないかな、と思ってるんだけど」

こすっただけでコールタールが落ちるとしたら……、あんまり金はかからないなぁ。良かったような、惜しいことをしたような……。

「でも、この車、多難だよね。娘が何度もこするし、今度はコールタールまでぶっかけられるし」

 「そうねえ。ねえ、大道さん、宝くじ買わない? いまなら当たるんじゃないかな?」

 「コールタールをぶっかけられるのは当たりかな? はずれでしょう」

電話を切って考えた。コールタールが当たりかはずれかを論じるのは水掛け論である。お互いに己の主張を繰り返すだけの時間の無駄である。要は、宝くじを買ってみるまで分からないのだ。

この際、思い切って買ってみるか。ひょっとしたら……。

愛車は、週明けには我が家に戻るはずである。