2008
11.02

2008年11月2日 私と暮らした車たち・その6 フォルクスワーゲンビートルの2

らかす日誌

美人は3日見たら飽きる。ブスは3日見たら慣れる。
という。
である。
3日たっても、美人は美人のままである。20年たったら分からないが。
3日たってもブスはブスのままである。20年たったら……、考えたくない

だが、津市で

「何か座りにくいな」

と感じたビートルのシートは、3日もしないうちに体にしっとりとなじんだ。慣れたのである。そして、なるほど、楽だ。何時間運転を続けてもほとんど疲れを感じない。さすがに3時間を超えると、お尻と太股のあたりがムズムズしてくるが、カリーナに乗っていた時のような疲労感はない。これなら、岐阜と東京を1日にして往復することもできるはずである。

1週間もすると、私はすっかりビートル党になった。これは、私がビートルズの一員になりたかったこと(詳しくは、「シネマらかす #1:LET IT BE - 5人目になりきった」をお読みいただきたい)とは何の関係もない。

岐阜県下を走り回った。「グルメらかす 第8回 山里の味」には、徳山村に遊びに行った時の写真を掲載している。「グルメらかす 第9回 :漬け物ステーキ」に書いた高山行きも、ビートルに乗って飛騨川沿いに走った。どこに行くのもビートルと一緒。我が愛車の助手席に乗った人々は、異口同音に、

「いいね、これ。楽しいわ」

といった。だからといって、私がこの車に投じた95万円の一部を自分に持たせて欲しいという人は1人も現れなかったが。

ついには、私が乗っているビートルを見て、

「俺もビートルに乗りたい」

と言い出す上司が現れた。

「僕はさ、車を手放してずいぶんたつし、もう車に載ることはないだろうと思っていたけど、君の車を見ていたらまた欲しくなって」

あの自動車整備工場を紹介した。上司は1300ccの黄色い中古車を買った。そういえば、「黄色いワーゲン」という曲もあったが、上司は無粋な人だったから、それとは関係ないはずだ。
彼の車にはクーラーがついていなかった。私は、

「勝った!」

と思った。人間とは、実にくだらないことで勝利感を味わうものである。敗北感も、実は同じかも知れないが。

ビートルを連れて、名古屋に転勤した。1年後のことである。買い物に、遊びに、ビートルは欠かせない足であった。

「大道さんって、女の子が好きな車を選ぶのね」

テニスに行くのに乗っけてやった女の子にいわれたこともある。そうなのか? そんなつもりで選んだのではないが。そうか、君はビートルが好きなのか。いや、ひょっとして、私のことが好きなわけ?
と私の頭は回転したが、口には出さなかった。あの女の子が好きだったのはどっちなんだろう?

年末だった。正月休みを妻の実家、横浜で過ごそうと、私が運転するフォルクスワーゲンビートルは、東名高速道ををひた走っていた。
仕事を終えてすぐ名古屋を出発した。私は食事をとる時間もなかったので、妻に握り飯を作らせておいた。そろそろお腹が減り、片手に握った握り飯を口に運びながらの運転である。夜の10時頃だっただろうか。

私の運転するビートルは、日本坂トンネルにさしかかった。前を行くスカイラインに速度を合わせて追い越し車線を走りながら、トンネルに入った。右手には握り飯がある。
前を行くスカイラインが、すっと左に寄り、走行車線に入った。

「おいおい、トンネルの中って、車線変更禁止じゃなかったか?」

交通法規を遵守するのは、交通安全の大前提ではないか。お前には常識がないのか? 交通の安全を守ろうという意識は皆無なのか?

心の中で毒づきながら、ふとバックミラーを見た。くるくる回る赤いランプを屋根につけた車が後ろから迫ってくる。

「ん?」

そう思った時だった。拡声器の声が聞こえた。

「そこに行く青いフォルクスワーゲンビートル、左に寄りなさい」

えっ、俺のこと? ということは……。あわてて速度計を見た。いかん。130km出てる!
ビートルを左に寄せ、走行車線に入った。拡声器で私に呼びかけて車が私を追い越し、やがて走行車線に入ってきた。

「トンネルの中では止まれないので、ついてきなさい」

見ると、白と黒のツートンカラーだ。全く趣味の悪い色づかいである。こんなださい車に仕事で乗る警察官の色彩感覚って、どうなってるんだろう?
と考えるゆとりもなかった。

「やばい。スピード違反で捕まったらしい」

横に座る妻に話しかけた。

「だからゆっくり行けっていったじゃない」

ゆっくり行けとは一度もいわなかった妻が、勝ち誇ったようにそういった。ハンドルを持たないヤツは気楽である。

トンネルを出た。高速道路が直線になり、見通しがきくところまで来ると、前を行くパトカーがハザードランプを点滅させ、ブレーキランプを光らせた。ここで止まれということらしい。ほかにとる術はない。私も車を止めた。

パトカーから男が降りてくる。ビートルの横に立つと、窓を開けろという。仕方なく開けた。

「ずいぶん速く走ってましたね。済みませんが、パトカーまで来ていただけますか」

国家権力とは、究極の暴力装置である。権力を持たぬものがこれに立ち向かうには数を頼むしかないことは、多くの革命家が異口同音に語っていることである。数が頼めない、たった1人だけの状況では、国家権力に逆らう手段はない。
と諦めて、前に止まるパトカーに乗った。

「私らね、高速道路の脇で待機してたんですぅ。そしたら、凄いスピードでスカイラインが走っていった。これは無謀運転だ、と追いかけようとしたら、何と、たいしてスピードが出るはずのないビートルが、同じスピードで続いているじゃないですか。びっくりしましたよ」

悪名高きヒトラーがポルシェ博士に命じて開発したビートルをバカにしてはいけない。そりゃあ上り坂では、「旅らかす 中欧編 III : なぜか、ワーゲン」で書いたように、100kmの時速を維持するのもままならない車である。しかし、上り坂でなければ、130kmでも140kmでも平気で出せるのだ。見くびるでない!

とは口が裂けてもいえなかった。仕方なく、黙ってた。

「でも、私たちが待機していたの、気が付きませんでした?」

バカな質問をするものだ。気が付いていたら、私はこうして、東名高速道路の路肩にワーゲンを止め、家族をその中に残したままパトカーに乗っていたりはしない。

「これが、旦那さんが出していたスピードです。目盛りを読んでくれますか?」

警察官の1人がそういった。指を指された方を見ると、タコメーターのような機材があり、円形の文字盤の上で、90と100の間で針が止まっている。

「ははー、約100kmというところですか」

見たままを答えた。警察官がいった。

「約、ではいけません。もっとよく見て下さい」

そうか、警察という組織は厳密さを重視するのか。
今度は注意を集中して計器を見た。

「95kmですかね」

ん? 何か気に触ることをいったか? お巡りさんの顔が厳しいぞ?

「旦那さん、トンネルの中の制限速度を知ってますか? 70kmなんですよ。25km以上のスピード違反は無謀運転で即免停です。本当に95kmでいいんですか?」

鈍い私も、やっと意味がつかめた。そうか、そういうことか!

「よく見たら、94kmですね」

 「そう、94km。確かに94kmです、それでよかったら、これから事務所まで来て下さい。書類にサインしていただきますから」

いやー、参った。いや、速度違反で捕まったことに参ったのではない。粋な捕まえ方に参ったのである。

先に書いたように、私が運転するビートルは、時速130km程度で走っていた。「凄いスピード」で走っていたスカイラインに速度を合わせていたのだから、その程度は出ている。前の車と同じ速度で走る。これは、高速道路を走る時の私のスタイルなのだ。これが、一番渋滞を起こさない走り方である。
もっとも、とろとろ走っている車が前にいれば、機会を見て追い越すのも私の流儀ではあるが。

話がわき道にそれた。それなのに、無謀運転にならないギリギリの94kmで機器を止める。粋な計らいである。よくぞこんな止め方ができたものだと感心する仕上がりである。そうとう訓練を積んでいるに違いない。
ここまで粋にやられては、頭を下げるしかない。速度制限にとらわれない高速運転と、危険な無謀運転は違うという運転哲学の持ち主である私でも、ここは黙って引き下がるしかない。

静岡県警高速道路交通警察隊の事務所まで同行を命じられた。そこで書類にサインをし、指紋を採られた。

放免された私は再び高速道路に乗り、一路横浜を目指した。子供たちは、ずいぶん早くからリヤシートで寝込んでいる。助手席で目を覚ましている妻はご機嫌斜めだった。

「罰金、いくらとられるの? えっ、3万円? どうやって払うのよ!」

怒気をはらんだ妻の小言も、あまり気にならなかった。静岡県警の捕まえ方が粋だったからである。どうやら、女子供には、というものが分からないらしい。
速度違反で捕まって、私のように清々しい気分になった人が果たしてほかにいるかどうか。
ものは試し。どうです? 一度東名高速で静岡県警に捕まってみませんか?

そこから横浜まで、私が最高速度を遵守して走ったかどうか、記憶は曖昧である。だが、上り坂でなければ、我が愛するビートルは平気で130km、140kmの速度を出せたことは、捕まる前も後も一緒である。
しかも、静岡県警高速道路交通警察隊の事務所ですっかり時間を食ってしまって、横浜に付く予定時間がすっかり狂った。
リヤシートで寝ている子供たちを早く布団で寝かせてあげたい。子供を愛することにかけては人後に落ちない父親である私は、そんなことを念じながらビートルのハンドルを握り、アクセルに右足を乗せていたことだけは確かである。