2008
11.30

2008年11月30日 私と暮らした車たち・その16 ゴルフワゴンの1

らかす日誌

 「で、お前、何に乗りたいんだ?」

アコードに代わる新しい車の選定は、そのような会話で始まった。
確か長男には、残り3年の大学生活があった。つまり、3年たって就職すれば、その車は長男のものになる。どの車にするかの選択権は、最終的なオーナーである長男にある。

といいながら、私に腹案がなかったわけではない。フォルクスワーゲンのゴルフVR6である。
ゴルフはすでに3代目に入っていた。太りすぎた2代目から贅肉をそぎ落とし、私好みのポッチャリ系になっていた。初代のりりしさも取り戻していたと思う。まあ、このあたりは主観の問題だが。だから、はなっからゴルフは第一候補だった。
そしてVR6は、6気筒、2.8リッターのエンジンを積んだホットモデルだった。

そもそもゴルフとは、実用車である。贅に陥らず、華美を廃し、基本骨格にはコストをかけ、日常の用に必要なものはすべて備える。それが私の惹かれたゴルフの美学である。
だから、エンジンもそこそこの排気量だ。私の、あまり頼りにならない記憶に頼ると、日本に入ってきていたのは4気筒で2リッター未満である。スペシャルモデルであるGTIもDOHC(ダブル・オーバーヘッド・カムシャフト=高回転、高出力のエンジンらしい)こそ採用していたが、排気量は通常のゴルフと同じだった。

(余談)
私がイギリス・ロンドンを訪れた時(グルメらかす「第36回 :番外編2 ロンドン」「第38回 :番外編4 再びロンドン」「第39回 :番外編5 まだまだロンドン」をご参照下さい)、街を走るゴルフのほとんどが、GTIのエンブレムをつけていた。私は素直に思った。
「へーっ、イギリスって国内の自動車メーカーが壊滅に瀕しているのにもかかわらず、走り屋が多いんだ」
ゴルフGTIとは、そのような車である。

 その実用第一のゴルフに、突如登場したのがVR6である。フォルクスワーゲンの経営幹部が、高級感で売るベンツ、BMWの世界に憧れたのであろうか。ゴルフの歴史からすると、違和感がある車である。

だが、その違和感に惹かれた。というのも、車雑誌で、VR6の開発担当者が

「自分が乗りたい、ちょっと贅沢な車を作った。最高に楽しい車に仕上がった」

てなことをしゃべっていたからである。
物作りの原点は、売れるものを作るところにはない。自分が欲しいものを作るところにしかない。開発者が、自分が乗りたくて作った車におかしなものがあるはずがない。彼は、実用一点張りのゴルフをどんな車に変身させたのか。
私は理屈っぽくVR6に惹かれていたのである。理屈っぽいのは、後々の車選びにも尾を引く。

長男は、なかなか希望車種を切り出さなかった。私は焦れた。

「VR6はどうだ?」

「うん、それも考えているんだけど……」

我々は似たもの親子らしい。ものの考え方、評価の仕方、好みまで似ているらしい。私はクローン人間を作ったのか? それにしては俺より背は高いし、足の長さに至っては比較もしたくないほど、だが。 長男の選択肢にVR6はしっかり入っていた。

それでも、長男はしばらくは迷っていた。恐らく、対抗馬はプジョーではなかったかと推察しているが、聞いたことがないので明確ではない。
1ヶ月ほどして、やっと決めたようだ。

「やっぱりVR6にしたいんだけど」

(余談)
この決断力のなさは、就職時に遺憾なく発揮される。
「お前、就職どうするんだ?」
「うん、大学院に行こうかどうしようかと迷ってる」
そんな会話からしばらくして。
「おまえ、大学院どうした?」
「うん、早稲田に行こうかと思ってたんだけど、選考したい講座がないんでやめた」
「じゃあ、就職は?」
「本田技研、という話があったんだけど、大学院に以降稼働しようかと迷っている時期だったんで断った。友達がホンダに決まったわ」
で、就職しようと決めた時は大所に残りの席はなく、担当教授の紹介で御殿場の「ベンチャー企業」に行く。朝8時から午前1時、2時まで働かせるのに残業代は皆無、夜中何時まで働こうと、翌朝8時までに出てこない日が1日でもあれば、その付きの皆勤賞(確か1万円か2万円)はなし、という変な会社、いや人間を無視した会社だった。健気に働いていた長男も2年後、経営方針を巡って社長と喧嘩して退職。それが長男の波乱の人生の幕開けだった……。もう少し詳しい話が、「事件らかす #5  年賀のご挨拶 」にある。

 当時は未曽有の円高だった。1ドルが80円前後までいった。いまの95円なんて、まだまだ円安である、と思えるほどの円高だった。まあねえ、アメリカの覇権が終末を迎えているんだから、将来は70円、60円もありだとは思うけど。
円高を利用した商売の花が開いた。そのひとつが、外車の並行輸入代行だった。外車を安く買いたい人に、輸入手続きをすべて代行します、という商売だ。マージンは5%だったか、10%だったか。

外国から車を輸入するのは簡単ではない。国によって規制が違うからだ。中でも、当時排ガス規制はバラバラで、外国から持ってきた車は日本の規制に合うように改造しなければならない。そのコストがバカにならなかった。改造期間中は日本国土の土は踏めず、確か保税倉庫に置かねばならない。改造後は検査も受けなければならない。これもコストになる。そんなこんなで、普通なら、車の並行輸入は割に合わない。
だが、そこは未曽有の円高の時代である。ぼんやりした記憶だが、アメリカで2万3000ドルで売られていた車が、日本では400万円前後した。1ドル=80円なら、2万3000ドルは184万円である。輸送費や改造費、保税倉庫に金をかけても十分釣りが来る。そんな時代である。
主に雑誌の情報を頼りに(当時は、インターネットはそれほど普及していなかった)、車の輸入代行業者を捜した。この円高時代、VR6はいったいいくらで買えるのか? 日本では340万円ほどした車である。
あちこち電話をした。ある業者がいった。

「まあ、その時の為替相場にもよりますが、240万円前後で大丈夫だと思います」

日本のディーラーで買うより100万円も安い。だったら、並行輸入でVR6を買うしかない。私と長男の間では、ほとんど決まりかけていた。 そのころ登場したのである。ゴルフワゴンが。ゴルフが、3代目になってはじめてワゴンをバリュエーションに加えたのである。

「お父さん」

と長男がやってきた。

「ゴルフワゴンもいいと思うんだけど」

この親子はどうしてこれほどまでに似るのだろう。実は私もゴルフワゴンに激しく心を動かされていた。
2ボックスであるゴルフの泣き所は、荷室が狭いことである。荷物があまり積めない。だが後ろを少し伸ばしてワゴンにしてしまえば、その欠点もなくなる。それを実現したゴルフワゴンは、これぞ実用性の固まり、といいたくなる無骨なスタイルだった。だが、機能美の鏡だった。
しかも、ボディーカラーに深いグリーンがあった。普通のゴルフでは映えないこの色が、ワゴンになったゴルフには

「この色しかないだろう」

といいたくなるほどピッタリ合っていた。

「で、色は?」

と私は長男に聞いた。

「濃いグリーンに決まってるじゃん」

色の好みまで親子で一緒とは、いやはや、恐れ入ったことである。

次の日から、ゴルフワゴンを並行輸入できないか調べはじめた。日本では288万円の価格が付いていた。だったら、並行輸入すれば200万円以下で買えるのではないか?
先を急ごう。並行輸入はできなかった。ゴルフワゴンはアメリカでは売られていなかったからだ。ドル地域との取引でなければ円高は生きない。

「なんだけど、どうする? VR6の方が安いぜ」

という私のレポートを聞いて、息子はまた考え込んだ。ホントに決断のできない男だ。言いたかないが、これも俺に似た?
1週間ほどたっただろうか。

「お父さん」

と息子がやってきた。

「やっぱりワゴンにするわ。俺、スキーに行くじゃん。友達も乗っけていくからさ、やっぱ、荷物がたくさん積めないと困るんだわ」

横浜のフォルクスワーゲンのディーラーに、左のドア2枚がへこんだアコードに乗って長男と出かけた。知人が

「俺が話しておくよ」

と紹介してくれたディーラーだった。こちらの希望を淡々と述べた。知人に紹介されたことも話した。出てきた見積もりは、25万円引きだった。即決した。持つべきものは人脈である。

アコードは下取りには出さなかった。そのころ、長男の知り合い(だったと記憶する。長男よ、事実誤認があれば指摘せよ!)が、私のアコードを欲しいといっていたからだ。確か20万円で譲った。でも、あれだけエンジンの調子が悪く、ドアが2枚も凹んだ5年落ちのアコードで、20万円ももらってよかったのかねえ。
ま、ちゃんと説明したし、その後クレームも来なかったから、問題はなかったと思うけど。

車の引き取りには長男が行った。このごろはディーラーも何かと気を遣う。店頭で、真新しい濃緑のゴルフワゴンの前に立った長男の写真を撮り、プラスチックの洒落た額に入れてくれた。
その額は、ずっと長男の机の上、本棚の空きスペースに飾ってあった。
ん? あの額、いまどこにあるんだろ? 車ももうないし、あの額もなくなったのかな?
こうして、深い緑に身を包んだゴルフワゴンが我が家の仲間入りした。