2008
12.11

2008年12月11日 私と暮らした車たち・その18 ベンツC200の1

らかす日誌

憧れていた車があった。メルセデス・ベンツである。

まだフォルクスワーゲンビートルに乗っていた名古屋時代、ベンツの450SLEという高級車に試乗したことがある。友人に誘われて出かけ、東名高速でハンドルを握った。格が違った。世界最高の車という定評が嘘でないことを実感した。

すべての動きがスムーズなのである。
アクセルを踏むとスムーズに発進する。さらに踏み込む。スムーズに加速してたちまち時速100kmを越える。体がシートに押しつけられるような荒々しさはどこにもない。エンジンからがさつな騒音が聞こえることもない。
ブレーキを踏むとスムーズに減速する。タイヤを真綿で締め付けているような繊細な減速である。さらに踏むと、スムーズに止まる。
ハンドルを切ると、スムーズに曲がる。思った通りに車が向きを変える。運転の腕前が3ランクほど上がったような心地よさだ。
すべての動きがスムーズなのである。思わず、

「これは絹ごし豆腐、いや、絹目の走りだ」

と呟いた。だが、車内は実に質素だった。チャラチャラした装飾を排し、車本来の機能に徹する。その哲学も好ましかった。

私の記憶だと、450SLEは当時、ベンツの最高級車だった。価格は1000万円をはるかに越える。こんな車を買える人もいる。私のように逆立ちしても買えない人間もいる。たぶん、私は多数派の一員である。
憧れた。憧れるだけなら金はかからない。

ベンツには様々な逸話がある。

ドイツのベンツ工場には、顧客用の部屋が用意されている。そこでは、先ほどから定年退職したらしき初老の夫と妻が待つ。決して豊かな風貌ではない。
やがて工場から1台のベンツがしずしずと現れた。ラインオフしたばかりの、ぴっかぴっかの新車だ。夫妻が予約していた車である。
部屋の前で止まったベンツから降り立ったドライバーが、キーを初老の夫に渡した。満面に笑みを浮かべた夫は助手席に妻を誘い、静かにドアを閉じると、自分は運転席に座った。待ちきれなかったようにエンジンを始動した夫は先ほどのドライバーに手を振り、生き生きとした表情でアクセルを踏み込んだ。これから自宅まで、長距離のドライブである。
退職金の大半を注ぎ込んだのかも知れない。コツコツと築き上げてきた蓄えを取り崩したのかも知れない。長い年月働き続けた自分へのご褒美なのである。彼らはこれから10年、20年と、このベンツとともに老後を楽しむ……。

誰に聞かされたのか記憶にない。だが、ほのぼのとしたいい話で、いまでも記憶にしっかりとどまり続ける。
さて、こんなストーリーを持つ国産車があるだろうか? レクサスはストーリーを持つ車になれるだろうか?

とはいえ、とても手が届かない車だよなあ。コツコツ貯金するなんてタイプじゃないしなあ。やっぱり、憧れることしかできそうないなあ。

と諦めざるを得ない貧乏人、一般大衆にベンツが目を向けたのは1982年である。この年、一番小さなベンツが登場した。
「小ベンツ」とも呼ばれた190Eである。

ベンツにはそれまで、SクラスとEクラスしかなかった。Sは運転手付きで乗る車、Eは自分でハンドルを握るベンツ、というのが大まかな性格分けである。もちろん、Sのハンドルを自分で握っても法律を犯すわけではないし、誰も文句はいわない。だが、己の外見が貧相であれば、運転手にしか見えないことを覚悟しなければならない。

それに比べて190Eは二回りほどコンパクトだった。だが、いかにもベンツらしいかっちりしたデザインを持つ。これもベンツなのである。そして、何よりもベンツだったのは価格である。1985年に輸入が始まった190Eは535万円もした。いくら小さくなっても、ベンツはベンツなのである。

これも憧れのままとどまるしかなかった。どれほど惚れても高嶺の花である。心底惚れたら困るので、試乗にも行かなかった。高嶺の花は遠くから見ているしかない。
そのうち490万円に下がった。だが、高値の花であることに変わりはない。ヤナセのショーウインドウに飾られた190Eが、深窓の令嬢に見えた。

 「大ちゃん、俺、ベンツを買ってさ。190Eの中古だよ」

野村證券に勤める知人が話し出した。

「ブルーバードに乗ってたんだけどね、10年以上たってガタガタになったんで、女房と話して、今度は外車に乗ってみようか、ってことになってさ。外車となるとベンツだよね。でも、買えるのは190Eの中古が上限っていうことでさ」

ははー、ベンツね。羨ましいなあ。

「話は聞いてたんだけど、やっぱりいい車だね。ブルーバードん時は、運転するのが面倒くさくて女房と車で出かけるなんてほとんどなかったんだけど、190Eが来たら、何か乗りたくなるんだよね。先週の日曜日もさ、朝11時ぐらいになって突然ドライブしたくなって、深大寺まで2人で行ってきたよ。深大寺蕎麦を食ってきただけだけどね。今度の日曜日も、どっかに出かけるんじゃないのかなあ」

ふむふむ。やはり190Eとはなかなかいい車らしい。何の用もないのに運転したくなる車、か。

「俺が買ったのは中古だけど、新車価格があと100万円下がって300万円台になったら、トヨタも日産も大変だよ。だって、190Eの方がずっといい車だもんなあ。国産車じゃ太刀打ちできないぜ」

私の脳裏にベンツ神話が1つ増えたことはいうまでもない。

そんなことがあって、私に1つの口癖ができた。

「うちの子どもが全員社会人になったら、毎年ベンツが1台ずつ買える」

当時、長男は私立大学の工学部、長女は国立音楽大学、次女は私立の女子校に通っていた。唖然としたのは授業料の高さである。長男が年間120万円、長女が170万円、次女が60万円。これだけで350万円に上る。これに、定期代や教科書代が積み重なる。夏、冬のボーナスを全額学校に納めても、まだ足りない。毎月の出費を削り、学費ローンを組み……。

「おいおい、俺の大学の授業料は月1000円、年間でも1万2000円だったぞ!」

と叫んだところで、我が家のできの悪いガキどもは、

「国立? ダサーい!」

と口を揃える。ために我が家は学費倒産の瀬戸際にあった。3人の子どもに、1日でも早く社会人になって欲しかった。

いまでは、全員が社会人になり、それぞれ家庭を持った。で、毎年ベンツを買い換えているかって?
どこで計算を間違えたのか、毎年国産車を買う金すら残らない。そういえば、卒業してしばらくはローンの支払いが続いたし、やっと終わったかと思えば、やれ結婚だ、出産だとお金が出て行ったし。
我が家は、とことん金とは縁のない暮らしが続く。

話がわき道ばかりになった。本筋に戻そう。
次の車選びについての前回の末尾はこうであった。

「おい、我が家に車がないというわけにもいかんだろう。次の土曜日に車を見に行くか」

 妻の声をかけたのは2月に入ってからだった。
 さて、私が見に行った車は何だったのか。それは次回にご報告する。

今回はこれを受けての話である。ここから本筋に入る。

1998年のことだった。私には見てみたい車があった。ベンツ190Eである。証券会社に勤める知人が中古で買い、心から惚れ込んだ車である。

「そうだよ。中古なら、ベンツが買えるかも知れない。ベンツなら190Eだよ」

190Eの輸入は1993年で終了していた。後継車はベンツCクラスである。これも評価の高い車だったが、私はコンパクトに引き締まった190Eが好きだった。それに、一番新しくても5年落ちになる190Eは安いんじゃないか?
長男は間もなく卒業してくれるとはいえ、長女はまだ大学生、間もなく次女も大学生になる。これから学資ローンの支払いも始まる。安さ、は絶対条件だった。アコード、ゴルフワゴンと2台続けて新車に乗った。できれば次も新車にしたいが、財政が許さない。ましてや、ベンツの新車なんて……。

我々はワーゲンゴルフに乗り、国道15号線を横浜方面に向かった。首都高速東神奈川インタの少し先の右側に、ベンツを扱っている店があったはずだ。
20分ほど走ると、シュテルン横浜東(いまホームページを検索するとメルセデス・ベンツ横浜東、になっている。変わったのか?)が見えてきた。

私は生まれて初めて、恐る恐るベンツのディーラーに足を踏み込んだ。