2009
03.10

2009年3月10日 体力勝負

らかす日誌

体験された方ならご存じであろう。転勤とは体力勝負である。
いや、転居に伴う荷造りや搬送、荷解きの話ではない。あれもかなり体力を使うが、私が書きたいのは、体力の中でも局部的なもの、送別会を乗り切るための体力である。肝臓だ。

とうとう、今週から送別会ラッシュが始まった。

先週は送別会2件に、歓迎会(友人が、金沢から東京に転勤してきた)1回だから、まあまあこなせる回数である。

この3回の宴会をこなし、土日は、1人で四日市に行った。啓樹のお遊戯会である。2週間ほど前、はがきが届いた。

「ぼす おゆうぎかいにきてください けいじゅ」

とたどたどしい文字で綴ってあった。ほう、4歳になったばかりで、もうひらがなが書けるのか。「て」が鏡文字になってひっくり返っていたのはご愛敬である。

「こんな時期に、行かなくてもいいわよ」

と妻は冷たかったが、このご招待をすげなく断る冷たさを私は持ち合わせていない。そうか、そんなにボスに来て欲しいか。
即座に、四日市行きを決めた。

1週間ほど前、啓樹から電話がかかった。

 「ボス、啓樹は我慢できるから、忙しかったら来なくていいよ」

私が月末の転居を控えているため、恐らく、長女が気を使っていわせたのであろう。が、土日に送別会はない。

「大丈夫。ボスは行くからな」

というやりとりがあっての四日市行きであった。妻は同行を拒否したため、1人でBMWをかけって往復した。エレキギターを持参して啓樹とセッションをしたのはいうまでもない。ま、ドレミの練習をしただけだが。
土曜日、啓樹が欲しいというレゴを買ってバイクを組み立て、日曜日は啓樹お気に入りの蕎麦屋で早めの昼食を済まし、正午にお遊戯会の会場へ。

「怒鳴ってるだけジャン。リズムもバラバラだし。まあ、幼稚園児の音楽レベルはこの程度のものだよな。絶対音感に近いものを持っている啓樹が可哀想」

と呟きながらカメラのシャッターを押し、啓樹が出演しない時はロビーで読書し、終演まで付き合って午後4時20分に四日市を発った。横浜の自宅に着いたのは8時半だから、まずまずの走りである。

この、往復800kmのドライブが、我が肝臓にとっては、当面最後の安息時間であった。

昨日は職場の部長会の送別会である。送られたのは私を含めて5人。門前仲町の洋食屋が会場で、ま、たいしたことがない割に大げさな解説が付いた料理を食べつつ、でワインをしたたかに飲んだ。酔っぱらってみせるのは送られる者の義務である。おかげで自宅に着くなりバタン、キューであった。

本日昼は、同期の1人と昼食の約束があった。2人でメシを食うのかと思いつつ待ち合わせ場所に行くと、5人もいた。全員、同期の仲間である。昼食を約束した相手が仕組んでくれたらしい。6人で少量のビールを飲みつつ、中華料理を食った。

本日夜は、浅草の今半へ行く。午後7時開演で、デジキャス時代の仲間が集ってくれる。当然、酒盛りとなる。

ここまでは、早くから分かっていたスケジュールだった。昨日の昼までは、私の予定表にはこのあと、12日、13日、23日の宴会予定が入っていただけだった。

「えーっ、俺、定年前に転勤するのに、送別会がちょっと少ないんじゃない?」

と思わぬこともなかったが、まあ、私はその程度の人徳しか持ち合わせていなかったのだと思いなすしかない。確かに、たいしたことはしてこなかったからなぁ。

ところが、である。昨夕から今日にかけてデートの申込みが殺到した。今週、来週の夜はすべて埋まり、25日も予定が入った。後輩、同僚、先輩、それにデジキャスで一緒だったH氏と、顔ぶれは豪華である。お断りできる相手は1人もいない。断りたい相手もいない。おかげで、ウイークデーだけでいえば10連ちゃんの宴会である。かつ飲み、かつ食い、かつ話す。中でも、問題は「かつ飲み」である。よき仲間に差し出された杯を飲み干さない勇気を持ち合わせていない私である。私が、
おい、肝臓は持ちこたえるか?

直近の転勤は15年前だった。送別の宴の連ちゃんが3週間ほど続いたような記憶がある。それが苦でなく、大いに楽しんだ。肝臓の心配もしなかった。
あれから15年。私も決して若くはない。
長年酷使し続けた肝臓は、今回も何とか耐えきってくれるだろうか?

ここは、我が肝臓の超肝臓的な働きを期待するしかない。