2009
05.22

2009年5月22日 特別ではない日

らかす日誌

本日、晴れて定年を迎えた。同時に還暦である。
ふむ、私も長く生きたものだ。

数日前、長男が

「何もできないけど、とりあえず酒を送ったから」

と電話をよこした。受けたのは妻である。私は、その報告を聞いたに過ぎない。

いや、俺が欲しいのはよ、酒なんかではなくて、リクライニングチェアなんだよね。座り心地がよくて、テレビを見ながらそのまま眠り込める椅子で、しかも目覚めたときに腰が痛くない椅子が欲しいのだよ。うん、デンマーク製で、20万円ぐらいするかなあ。

とは、前々からいってあった。なのに、息子の事前連絡は、酒、であった。

今日、荷物が2つ届いた。1つは、長男がいっていた酒である。
封を開く。何も書いてない箱が現れる。箱のふたを開ける。濃緑色の720ml瓶が現れる。薄茶色のラベルが貼られており。

「古久蔵貯蔵保証書」

とある。さらに目を滑らせると、

「古久」

とプリントしてあり、そのあとに手書きとおぼしき文字で

「与作」

とあった。どうやら、これがこの酒の銘柄らしい。
さらに、

「貯蔵容器」

とプリントがあり、そのあとに

「4167」号

とある。なんだかごたいそうである。
蔵入年月は

「H15年1月」

ん? 6年も寝かせた酒か? いや、酒にしてはアルコール度数が42度とある。??。目をさらに下に這わせると、

「福岡県特産焼酎組合」

そうか、長男は我がふるさとの焼酎、古酒を送ってくれたのか。でもなあ、福岡って、焼酎より酒なんだよなあ。
まあ、頂いたものはありがたくいただくが。

もう一つの荷物をひもといた。差出人は、四日市に住む長女の長男、啓樹である。
箱が2つ出てきた。1つをあけて、思わずニヤリとした。中身は、赤フンである。バーバリーの真っ赤なボクサーショーツが出てきた。
還暦には赤いちゃんちゃんこを着る。日本の伝統である。が、ちゃんちゃんこはいまの暮らしに馴染まない。だから、赤い座布団にしたり、赤いベストにしたり、あちこちで様々な工夫がなされていることは知っている。だが、赤いボクサーショーツとは……。

啓樹、これをはいた姿を誰に見せたらいいんだろうねえ。ボスには当面、そんな予定は入っていないのだが。ボスを迷わせるようなものを送ってくれるな。

 「おい、長男からは酒、というか焼酎、啓樹、というか長女からは下着が届いたが、次女からは何も来ないな」

妻に問いかけた。すぐさま答えが返ってきた。

「何いってんのよ、お父さん。兄妹3人の連名でお酒を送ってきたのよ」

 「……」

どうやら子供たちにとって、私の還暦、定年は焼酎1本の価値しかないらしい……。

 

まあ、いい。だって、本人がその気になっていない。

定年、といったところで、ありがたい会社のおかげで、今日も昨日と同じように働いた。若いヤツにケツを蹴飛ばされるように働いた。本日からは月収16万円の身の上ではあるにもかかわらず、高給を食んでいた頃とと同じように働いた。
還暦、といったところで、昨日の私と今日の私に明確な違いがあるわけではない。59歳最後の日と、60歳最初の日にどれだけの違いがあろう。現実には、昨日は目覚めたときに体内にアルコールが残っていなかったのに、今朝は大量のアルコールが分解されないまま、我が体内に居座っていたことぐらいである。ま、昨夜、焼き鳥にかぶりつきながら、30代の若者と盛り上がった後遺症ではあるが。

私は記念日が嫌い、というより、記念日なんて意識しない精神構造の持ち主なのだ。元日? 昨日の続きじゃん。一日寝ただけで、どうしてすべてが改まるのか値? 誕生日? 昨日と何が違う? 結婚記念日? 恥ずかしいことは早く忘れようようよ。

人生は流れるように過ぎ去る。その流れのあちこちに、目印をつけようがつけまいが、流れはちっとも変わらない。だったら流れに身を任せればいい。流れに乗るのを楽しめばいい。目印なんて、せっかくの風景を台無しにする看板みたいなものである。
赤壁に、トヨタやホンダの大看板が出ていて楽しいか?

だから、今日の一日を祝ってもらう必要はない。いいのだ、焼酎1本と赤いボクサーショーツで。これほど私に似合った還暦の祝いもないのである。

だが、子供たちよ。私にはこだわりの日がある。私が働くことを断念する日だ。明日からは毎日が日曜日でもいいか、と観念する日だ。

いいか、子供たち。その日には極上のリクライニングチェアが欲しい。

「最期の呼吸はこの椅子に座って、がいいな」

と思えるほどの代物が欲しい。
皆の者、その日の備えて、今日から貯金を始めるべし!

今日は祝ってくれてありがとう。