2009
12.03

2009年12月3日 英断?

らかす日誌

をもって、「詳細・その2」の執筆をやめる。還暦を越えた私が3歳児と遊んだ話など、どう書いても他愛もないことに過ぎないと気がついた。

「時間がたって、詳細を忘れただけじゃないの? なにせ、還暦すぎだもんね」

という揶揄の声が聞こえる。が、英断はすでに下された。そのような声を発する者には、淡々と次のように語るだけである。

瑛汰が滞在した16日間、午前中は瑛汰を外に連れ出すことに心を砕いた。なにせ、家にいるのは病気のデパートと、水も飲めぬほどのつわりの女である。家族がこの事態を乗り切るには、この2人からできるだけ長い時間瑛汰を引き離さねばならない。

あるお宅で、アナグマが檻にかかった。話を聞いた私は、そのお宅に電話をかけ、朝から瑛汰を連れてアナグマを見に行った。
地元の方々と親しくなるのも、私に科せられた職務なのである。
檻の中のアナグマを瑛汰がこわごわのぞき込んでいると、ご主人が顔を出され、自宅に請じ入れられた。物怖じすることなく上がり込んだ瑛汰は、すぐにそこが天国であることに気がつく。
ほぼ同い年のお孫さんがいたのだ。男の子だった。
ご主人との歓談に一区切りがついた。

「瑛汰、帰るよ」

私の声に、瑛汰が答えた。

「んー、もう少し。瑛汰、遊んでんの」

大人ばかりに囲まれた暮らしを続ける瑛汰には、何よりの息抜きだったらしい。

朝から桐生が岡動物園に出かけた。地元の人たちが誇りにする無料動物園を視察するのも、当然、私の仕事である。
猿がいた。ライオンがいた。キリンさんもぞうさんもいた。坂道が多い動物園で、私は息を切らしながら瑛汰と歩いた。瑛汰は平気な顔をしていった。

「ボス、だっこ」

朝から映画を見に行った。世で流行るものを知るのも、私の仕事の一部だ。瑛汰は最近、マイケル瑛汰、と自称する。見に行ったのは、当然、「This is it」である。
すでに予告編が始まっていた。瑛汰が突然、私にしがみついて泣き出した。

「瑛汰、怖い!」

スクリーンでは、「2012」の予告編が上映されていた。津波が襲い、地面が割れ、地球が最後の日を迎える(のかどうか、予告編しか見なかったのでわからないが)おどろおどろしい映像が いやだったらしい。
朝からマイケルを踊る瑛汰、意外に繊細である。良きことだ。英雄は臆病である。怖さを知らぬ鈍感な人間は、死んでも英雄にはなれない。

約2時間、マイケルさんを楽しんで外に出た。どこかのおばさんが声をかけてきた。

「小さいのに、最後までおとなしく見ていたわねえ。ホントにいい子ね」

私は答えた。

「いや、こいつがみたいというから連れてきたんで、スクリーンに集中するのは当然なんです。何しろ、こいつ、自称マイケルですから」

おばさんは、どう反応していいか、答えを探しあぐねているようだった。

市役所には2度連れて行った。この町を仕切る役所となじむのも私の仕事なのだ。瑛汰が和み材になればいいのである。

みどり市の小平鍾乳洞に出かけた。地元にどのような観光スポットがあるかチェックするのも、私の仕事、のはずである。
まったく車のいない駐車場に車を止め、鍾乳洞に向かおうと瑛汰を見ると、瞼が垂れ下がっている。抱こうとすると、

「瑛汰、眠たい……」

ドライブの心地よさに眠気を催したらしい。となれば仕方がない。目的地を目前にして、私はきびすを返した。王子様の意向にはすべて従わねばならない。

そういえば、政党事務所にも瑛汰を連れて行った。仕事をスムーズに進めるには、政治向きの人脈も築かねばならない。
瑛汰は内弁慶である。外の世界に連れて行くと、借りてきた猫のようにしおらしい。それがお姉様方に大変受ける。

「瑛汰君、これ食べない?」

次々とクッキーが出てきた。この日、瑛汰は私より遙かにもてた。

日曜日には、太田市のぐんまこどもの国に2人でいった。休みなんだから、どこに行こうと私の勝手である。

「ババがおにぎり作ってあげるからね」

といっていたババ=妻、は当日、すっかり前言を忘却した。私の車に乗ったとき、瑛汰も私も食べ物は何ももっていなかった。まあ、いいか。

サイクルモノレールで下半身の、かなり強い運動をして脈拍を上げ、高血圧対策(高血圧には脈拍が上がる強めの運動をして無理矢理血液を循環させるのがいいらしい)をすませたあと、土日しか営業していないボブスレーに2回乗った。
ステンレス製の曲がりくねった滑り台を、合成樹脂のボートが疾駆する。予想通り、瑛汰はかなりお気に召した様子である。

子供の国にある食道で、天ぷらうどん、天ぷらそば、たこ焼き、デザートにソフトクリーム、という食事をしているとき、妻から電話が来た。

「まだ帰ってこないの? お昼、どうするのよ!」

おにぎりを作ると約束した事実を忘れただけでもいかがなことかと思っていたのに、不思議なクレームの付け方である。朝からここに来たら、子供は遊びに夢中になって昼食には戻れない、と一時は考えたからおにぎりを約束したのではなかったのか? おにぎりを持たせてもらえなかった2人は食堂のまずい食い物を食べるしかないとは思わないのか?

「もう食ってる」

私は、言葉少なに答えて電話を切った。

 

連日、このような催しが行われた。瑛汰は心ゆくまで私と2人の時間を堪能した。さすがに午後からは、私1人で外に出る日が多かったが……。

んーん、これで計算合うかな? 瑛汰とのすべての時間を記せたかな? ま、計算が合わないところは還暦ということでご寛恕いただくことにする。

 

無礼な者どもへの説明に、思いの外行数をとられた。で、である。本日のテーマは、私と瑛汰の蜜月ではない。

このごろ、新聞・テレビとは馬鹿が作って利口が読む・見るものではないかとの感を強くしている。鳩山献金疑惑である。マスメディアはことあるごとに鳩山献金疑惑を大きく取り上げる。私には、そんなメディアが阿呆に見えて仕方がない。

ずっと長い間、政治献金の問題は、献金を通じてできあがる政治と企業のなれ合いにあると思ってきた。企業はある思惑をもって献金する。お金をいただいた政治家は、その思惑にお返しをせざるを得ない。かくして政治家が企業の代理店となり、国の利益を追求すべき政治が、一部の利益に引きずられて歪んでしまう。だから、政治献金には厳しい目を向けねばならない。

さて、鳩山献金疑惑は、そのような道筋で政治が歪められる恐れはあるか? ない。自分の個人資産が政治献金に繰り入れられたり、子供を支えたい母親が、自分の資産からお金を子供の政治資金に回しただけである。確かに巨額だが、金額の多寡はことの本質とは何の関係もない。

突き放してみれば、個人、あるいは家族の資産を政治に注ぎ込むファミリーの姿が見えるだけである。これって、何か問題ですか?

先週末、後輩が4人遊びに来た。酒を飲みながらそんな話をした。3人は私の意見に同意した。が、1人は私にくってかかった。

 「あなたは民主主義がわかっていない。民主主義とは資産があろうとなかろうと政治に参画できるシステムなのです。あなたがいってるようにすると、金のないヤツは政治家になるなということになる。それでは、金持ちが政治を支配する時代に戻ってしまうじゃないですか」

この人、学業の優等生かもしれないが、世の中の優等生ではない。

「あのね、お金のない人が政治家になった悲劇は、この桐生市にたくさんあるんだよ。桐生市の市会議員の大半は、議員としての歳費しか収入がない。つまり、議員を辞めたら食っていけないんだ。するとどうなる? 選挙で当選することだけが目的になるよね。落ちたら食えないんだから。奴ら、選挙資金だって自前では用意できないんだぜ。次の選挙に通ることしか頭にない連中がやる政治に希望がもてる? それより、選挙に落ちても暮らしの心配をしなくてすむ連中の方が信用できるのではないの?」

私だって、一定額以上の税金を納めなければ政治的な権利がいっさい認められない時代より、いまの方がましだとは思う。だが、ましになった時代も、その時代としての問題を抱え込んで動いているのである。金科玉条のように戦後民主主義を奉っていては、現実に置いてけぼりを食う。

私財のほとんどを政治に注ぎ込み、政治から引退したときには山も田畑もなくなって苫屋しか残っていなかった、という政治家は誰だっけ?
いまの鳩山首相は、その政治家と似ていなくもないのである。

ねえ、マスメディアの方々。もう少し、ことの本質に目を向けて報道してもらえないものでしょうか?
こんな報道ばかり続くから、

 「メディアがどう報じても、鳩山内閣の支持率はほとんど落ちていない。メディアより国民の方が本質をわかっている」

といいたくなるのであります。
書を捨てましょう。町に出ましょう。勉強秀才をやめましょう!
そうしなければ、読者を、視聴者を頷かせる報道は難しいと思いますよ!!