2010
01.31

2010年1月31日 連仕事

らかす日誌

素通りしていたが、昨日と本日、カレンダーの上では土日の連のはずが、連仕事であった。
ま、定年退職後の契約社員とはいえ、サラリーマンには違いない。仕事とあらば、押っ取り刀でも駆けつけなければならぬ。

それは覚悟の上の身過ぎ世過ぎだが、この2日間の仕事、来るか来ないか判然としない人が相手だった。1人がやってきても、ひょっとしたら次の1人が来るかもしれない。だからひたすら待つ。おにぎりを食べながらひたすらに待つ。
そんな仕事だった。

とにかく、膨大な時間を待ち続ける。となると、課題は1つである。何をして時間をつぶすか?

一緒に待つライバル会社の社員たちと雑談をするのも1つの手である。が、終日話し続ける気力はない。それほど楽しい相手がいるわけでもない。

本を読むのも1つの手である。が、昨日朝の段階で読んでいたのは「落語論」(堀井憲一郎著、講談社現代新書)だった。最初の30ページほど読んで、著者の鼻持ちならない思い上がりが鼻についていた。何しろ、落語とは東京と大阪、せいぜい京都に住んでいる都会の人間にしか理解できない、と書いている。

「おいおい、俺、九州の山猿。俺には理解不可能だってか?」

著者は京都生まれだそうだ。しかも、落語はライブで聞かなければ意味がないとのこと。幼稚園に行く前からラジオで聴き、その世界に引き込まれた俺はいったい何者だ?

まあ、読み始めたから最後まで読むが(現実に、今日読み終えた)、終日読みふける気にはならない。というわけで、読書で時間をつぶすのにも問題がある。

昼寝をするのも1つの手である。が、若いうちならいざ知らず、この歳になると、昼間ずっと眠っている自信はない。

「どうする?」

と思案した結果、待ち受ける場所にMartin-D41を持参することに決めた。楽譜を鞄に詰め込み、ギターをケースに収める。車のリアシートに放り込んで……。

かくして、この2日、たっぷりアコギに取り組んだ。

ピックも持参したので、Pipe Lineもやってみた。 我がギター教室での目下の課題曲である。が、これはアコギではどうにも様にならない。やっぱりこれはエレキギターで弾く曲である。

となると、これしかない。
Black Bird
それに
Tears in Heaven
である。

Black Birdは、自己診断ではすでに60点の水準に達している曲だ。ところが、60点からなかなか先に進まない。早く61点、62点と進みたいと思ってギターを抱きかかえるのに、弾いてみると、

「54点?」

てなことの連続だ。同じ箇所でとちる。さらに悪いことに、アルペジオ(右手の親指、人差し指、中指の3本をバラバラに動かし、それぞれ弦をつま弾いて音を出す)の指がほかの弦に引っかかり、出なくていい音が出る。練習を始めたときにはあまり気にならなかったのに、俺のアルペジオ、退化してる? と嘆きたくなる。

 「大道さん、ギターってね、リニアに技量が向上するってことはないのですよ。ああ、上手くならないなあ、という時期がしばらく続く。そのあとで突然、あれっ、弾けるじゃん、という瞬間が来る。それで喜んでいると、再びそこからちっとも上手くならない。そしてまたある時、ポーンと上手くなるんです。そんなことの繰り返しですよ」

ギター教室の先生の言葉がよみがえる。

それに比べると、Tears in Heavenは始めたばかりだ。数ヶ月前は、人が弾くのを見て

「どうやったら、この曲がそんな風に上手く弾けるの?」

と唖然としたが、タブ譜で音を1つ1つ拾いながらやり始めると、私でも弾けないことはない。そればかりか、弾けば弾くほど上手くなった気がしてきて、ゼロに比べれば1も無限大であるという数学の教えを実感する。で、興が乗れば、足でリズムを取り、ギターを揺らして弾き進む。
私はEric Claptonである。 ここは日本武道館のステージなのだ。そんな気分に浸っていつしか体まで揺れてくる。気持ちいい……。

この2日、おそらくそれぞれ3時間以上もMartin-D41を弾いていた。おかげで、弦を押さえ、弦をこする左手の指先が、どうやら腫れている。熱もありそうだ。風呂で頭を洗うときも、何となく痛む。だが、痛むと、

「ああ、俺、ギターやってる!」

と嬉しくなる。

痛みが喜びとなる。己のマゾ体質に初めて気がついた2日間でもあった。

ん? でも、先週の月曜日から働きづめだよなあ。これで7日連続仕事。放っておけば、10日まで10日連続の仕事となる。
これはいかん。人倫の道に反している。今週は適当に手抜きをしよう。