2010
07.31

2010年7月31日 歓迎

らかす日誌

横浜の自宅を再び改装することになった。昨年4月、桐生に引っ越すとともに、2階を改装したのに続く。
今回は、かつてリビング兼オーディオルーム兼私の書斎として作った1階の14畳の防音室を、私の寝室兼書斎にする工事である。

いま横浜の我が家は次女一家の住まいとなっている。2階と3階は彼らの領土である。このため、横浜に戻ったときの私の寝室は、この14畳の洋室である。ま、それは致し方ない。

困ったのは、この部屋、かび臭いのだ。特に湿度の高い時期は強烈に匂う。臭いの元は、恐らく蔵書である。2.5面が書棚になっており、学生時代以来の古い本が目一杯詰め込まれている。これが匂うのである。横浜に戻る度にこの部屋に寝ていたのでは、きっと身体に悪い。
それに、私もいずれは横浜に戻る。戻ったときには、2階6畳の洋室は妻の寝室となる。となると、私の寝室は1階以外にあり得ない。思い切って本を捨ててしまえば解決するのだろう。いくら並べておいても、再読する本がどれだけあるか、とも思うが、捨てられない。蔵書とは、若き日からの魂の遍歴なのである。自分の歴史を捨て去る勇気は私にはない。
捨てられないとなれば、この部屋を匂わない部屋に改装せねばならない。であれば、いまやっておいた方が快適である。

「2階と一緒にやっておけば安くできたかも知れないなあ」

というのはあとの後悔である。後悔するより、前に進んだ方がいい。

というわけで、2階をやってくれた工務店に、1階の改装も頼むことにした。
完全防音仕様で密閉度が高すぎ、空気が流れない。それがカビが発生する原因である。空気の流れを作らねばならない、というのが工務店の見立てである。だから、

調湿パネルを壁の一部に張る。
吸気口を2つあけ、反対の壁に湿度センサーのついた換気扇を2つ取り付ける。

以上が、主な工事である。ついでに、寝室として使うために一部にクローゼットを設け、本棚は作り直す。
次女が産後の休暇を取るために桐生にやってくる8月6日から工事にかかる。2週間弱で完成する予定だ。

 

「車のエアコンが壊れちゃったんで電車で来ました」

工事をする工務店のお兄ちゃんが桐生を尋ねてきたのは昨日のことだ。改装の細部を詰めるのと契約書を取り交わすのが目的だ。
いや、彼の目的はもう一つあった。

である。

何度か、

「桐生は鰻がうまいから一度遊びにおいで。ついでに、いま私が住んでいる家を見たら勉強になるんじゃないか?」

と誘いをかけていた。かれは、その誘いに乗って桐生まで足を伸ばしたのだ。

打ち合わせ、契約書の取り交わしは1時間ほどですんだ。いよいよ鰻である。考えた結果、老舗の「泉新」を選んだ。

「昔に比べると味が落ちた」

といわれるが、時代を感じさせる店構えは人を驚かすにはうってつけである。

3人前注文し、彼が1.5人前食べた。妻が

「私は全部は食べられないから、よかったら食べて」

と自分の食べる分を蓋にとって重箱を差し出すと、彼は遠慮の「え」の字も見せなかった。

「ありがとうございます。でも、ここ、山椒が美味しいですねえ。こんな山椒、食べたことがありません」

と、一粒も残さずに食べた。若い食欲は見ていてすがすがしい。

「いや、昨日の昼、鰻を食べようと思ったんですよ。お昼をだいぶ過ぎて店にいったら『準備中』の札が出ていて食べられなかったんです。惜しかったなあ。昨日食べられていたら、比較する対象ができて今日の鰻をもっと美味しく感じていたかも知れないのに」

私は、2日続けての鰻なんて、死んでも嫌である。若い人の食欲のたくましさは羨ましい。

昼食をご馳走し終えると、もうやることはない。さて、どうする?

「君、100%仕事気分か? それとも半分ぐらいは夏休み気分か?」

「いやあ、桐生の空気が美味しくて、半分以上夏休み気分です」

午後は、車で近くを案内した。みどり市大間々町まで走り、関東の耶馬溪ともいわれる高津戸峡に案内した。町のど真ん中からほんの数十メートルしか離れていないのに、山深い渓谷を思わせる絶景である。自殺の名所で、関東一円から志願者がやってくると聞くが、考えてみれば、人は複数の場所で死ぬわけにはいかない。世界中で1カ所だけである。だから、わざわざ高津戸峡まで出かけてきて身を投げる人が沢山いるのは、この景色の魅力の大きさを雄弁に物語る。

織物参考館・紫(ゆかり)に立ち寄った。沢山の古い織機、撚糸機などが展示され、織物で栄えた桐生の歴史に手で触れることができる場所である。

「いやあ、人間って凄いですねえ。こんな機械まで作っちゃうなんて」

喜んでくれた。何か土産も買っていた。

続いて、JR桐生駅に連れて行った。ここには「観光物産館わららせ」がある。経営者は、紫(ゆかり)と同じ人である。

「なんだけど、たいして買いたくなるものがないんだよなあ。ま、これが桐生土産と地元の人たちが思っているものを見てみなよ」

恐らく、何も買わずに出るのだと思っていた。ところが彼は、何点か抱えてレジに向かった。

「会社に何か土産を持って行かなくちゃと思って」

彼は、わずか半日の滞在で桐生がすっかり気に入ったらしい。

「ほんとに空気が美味い! ここに家を建てて家族を住まわせ、私、東京で単身生活をしようかなあ。週末だけ帰ってくるということで」

真顔でつぶやいていた。

コーヒーを飲んで時間をつぶし、電車の時間に会わせて新桐生駅まで送った。

「今度は、家族を連れて遊びにおいで」

 「はい、ありがとうございます!」

あの返事の仕方では、本当に来るかも知れない。ま、いいか。来たら歓迎してやろう。
その代わり、改装工事、しっかりやってね!