2010
08.25

2010年8月25日 朝鮮戦争

らかす日誌

夏風邪がしつこい。
若くていい女のしつこさは心から好きで、金を出しても手に入れたい。が、夏風邪のしつこさには閉口する。
相手によって態度を変える。人間とは勝手な生き物だ。

21日の日誌で触れた「ザ・コールディスト・ウインター 朝鮮戦争」(デイヴィッド・ハルバースタム著、文藝春秋)上下2巻、本日読了した。21日の日誌を書いたときはまだ上巻を読んでいた。この短時日で下巻まで読み通したのは、この本が面白かったことの証明である。まだお読みでない方には、ご一読をお奨めする。amazonの「中古品」で買えば、それほど高くない。

愚かな金日成にスターリンが乗り、すべての負担を、中華人民共和国になったばかりの中国に押しつける。朝鮮戦争はそうやって始まった。

中国で帝王になった毛沢東は自らの勝利とイデオロギーに縛り付けられ、資本主義国アメリカを甘く見て朝鮮半島の支配をもくろむ。

第2次世界大戦に勝って戦勝気分に浮かれるアメリカは、北朝鮮軍が38度線を越えることをまったく予測していない。戦争が始まったあともマッカーサーは中国の参戦などあり得ないという思い込みから次々と誤った手を打ち、それにワシントンの政争が絡んで朝鮮戦線の前線に送られた兵士たちは塗炭の苦しみを味わう。

巻末の解説では、ハルバースタムが書いたのは朝鮮戦争ではない、とある。イラク戦争が解決の兆しも見せないまま長引くなかで刊行されたこの本を、読者はイラクと重ねながら読んだというのだ。
なるほど。

だが、私は、すぐ隣の国で、わずか60年前にあった戦争の実際に強く惹きつけられただけでなく、組織というものが避けがたく持ってしまうらしい病弊の典型例として興味深く読んだ。

マッカーサーは第2次世界大戦が生んだ英雄の1人である。戦争が終わると、彼は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の総司令官として日本占領にあたった。

英雄とは、扱いにくいものである。逆らおうとすると、

「この印籠が目に入らぬか!」

と、過去の栄光が示される。いや、こちらは悪代官ではないし、相手は水戸黄門ではないので、御印籠を示されなくても過去の御栄光は充分承知だ。だが、そういわれてしまうと、ものがいえなくなる。

それでも、過去の栄光を見せびらかすオヤジが、町内の縁台で力んでいる分には可愛さもある。ところが、このマッカーサーというオヤジ、GHQの総司令官という位階人臣を極めた立場にいるのに、印籠を掲げ続けた。これは困る。

文民支配というアメリカ国家の原理原則を平気で踏みにじる。大統領命令に服さないのである。
いや、それも、服さない合理的な根拠があれば、歴史が味方になる。マッカーサーは歴史を敵に回した。
そりゃあ、そうである。彼は、数多ある現実の中から、自分に都合のよい現実だけを選び出して自分の論拠とした。都合の悪い現実は、マッカーサーの世界には存在しない。
まあ、幼稚園のだだっ子と同じレベルである。それが、朝鮮戦争勃発時の、米国の責任者だった。

1人が狂うだけなら、まだ救いはある。だが、組織とは、様々な思惑を持った人間が交錯する場だ。マッカーサーの威光にすがって自分の人生設計をする輩も沢山出る。いわゆる、有力者に取り入るごますりだ。そして困ったことに、葵の御紋の入った印籠を持つ人は、ごますりに弱い。
マッカーサーも弱かった。

ごますりは、様々の情報から、お上の気に入らない情報はなかったことにする。お上が知りたい情報だけを精査してお耳に入れる。でなければ、お上に愛してもらえない。

こうして、マッカーサーは自分が知りたい情報だけを根拠に朝鮮での戦い方を組み上げ、指令を発した。
そんな指令が、現実に適合しているはずがない。だが、マッカーサーが君臨する米軍には、マッカーサーが無謬であってくれなくては困るごますりが沢山いた。マッカーサーの指令でに基づく軍事行動で都合の悪い結果が出ても、なかったことにされた。前線からの訴えよりもマッカーサーのつぶやきが優先された。
そんな構造の中で多数の米軍兵士が死んでいく。たまったものではない。

どうですか? あなたの会社の現実と似たところはありませんか?

似ていなければ、あなたはいい会社にいます。私の会社は、マッカーサーが君臨した時代の米軍と大差がないかも知れません。

ま、私は定年後の身。たいした被害はありません。でも、同じ会社で働く若い人たちが、まるでマッカーサーが君臨したGHQに勤務した人たちと似通って見えて悲しくなるのは、こりゃあ、歳のせいでしょうか?

そろそろ焼酎の酔いが回り始めました。
あの娘は今日、私の夢に出てきてくれるだろうか? などと不埒なことを考えながら布団に入ります。
お休みなさい。