2010
10.10

2010年10月10日 ありがとうございました

らかす日誌

突然桐生を離れ、日誌の更新を中断したにもかかわらず、この間も毎日沢山のアクセスをいただいた。まず、皆様に感謝したい。

恐らく、我が長女の出産の推移をご心配いただいたのだと思う。

「6日が手術の予定日だったよな。ひょっとしたら結果が出ているのでは?」

と思ってアクセスしていただいた方が多かったように思う。6日には

「いくら何でも、今日はバタバタして日誌の更新どころではないよな」

と判断されたのか、263人に下がった読者が、翌7日には324人に増えた。8日も304人で、9日には341人に上った。この間、「らかす」は全く更新されていないのだから、この数字の推移は、読者の方々のお気持ちの有り様を示しているように思う。
ご心配いただき、ありがとうございました。

6日、長女は無事、男の子を産み落とした。いや、帝王切開での出産だから、身二つになったという方が適切か。

朝10時からの手術だった。旦那は早朝から病院に出かけたが、3~4時間かかる、と聞いていたので、私は昼食を済ませて午後1時過ぎに病院に着いた。1時半頃、子供は無事に取り出されたと聞いた。ところが、長女がなかなか出てこない。

すでにご報告したように、長女の妊娠は前置胎盤で、しかも胎盤癒着まで併発していた。かなりやばい状況である。福島では同じ症状で亡くなった妊婦がおり、裁判にまで至っている。

「ひょっとして……」

こういう時、想像は悪い方に向かう。

「だけど、福島のケースは帝王切開してみたら胎盤癒着まで引き起こしているということが分かって、大きな病院にすぐに転院させようとしたが間に合わず、結局失血死に至った。長女は事前に胎盤癒着まで判明している。だから、すべてスペシャリストの医者が総掛かりで手術に当たる。リスクは小さい」

合理的にそう考えていた。だが、リスクは小さいのであってゼロではない。まさか、も起こりうる。

「まさか……」

まさか、が起きたときのことは何度も考えた。
長女の旦那だけで2人の子供を育てるのは無理である。では、どうするか?

まず、新生児は、とりあえず乳飲み子を抱える次女に預けるしかない。幸い母乳が出ているので、それを璃子と新生児で分け合ってもらう。足りない分はミルクで補うしかない。なあに、母乳が出ずにすべてミルクで育てられる子供もいるのだから、何とかなるだろう。

だが、離乳がすんだらどうする?

まだ子供ができない長男夫婦に託すことも考えた。が、彼らはこれから自分たちの子供ができる可能性がある。そこに押しつけては可愛そうだ。やっぱり、我が家で引き取るしかない。
幸い、啓樹は私になついている。新生児だって、一緒に暮らせばなついてくれるのではないか?

無論、問題はいくつもある。
物心つかない嵩悟はそれでいいとして、すでに5歳になっている啓樹が、新しい事態を受け入れてくれるか? なにしろ、パパは遠い四日市で働いているのだ。合いたくてもなかなか会えない。
膠原病という病を抱え、最近は歩行も難しくなりつつある妻に、子供2人の世話をすることができるか?
という私だって、決して若くはない。体力がどこまで続くか。

ではあるが、ほかの選択肢はどう考えても、ない。だとすれば、

 「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し」(徳川家康)

を実践するしかない。
とすれば、啓樹は桐生で小学校に進む。さてそのあとどこで暮らすことになるのか。

待合室で、啓樹と瑛汰の相手をしながら、頭の片隅ではそんな思いが渦巻いていた。

長女の手術がすんだことを知らされたのは午後3時前だった。無事だという。
力が抜けた。考えていたことが、幸い、すべて無駄になった。嬉しい。やはり、子供は父母のものとで育つのが一番いい。

新生児は嵩悟(しゅうご)と名付けられた。啓樹によると

「誰も、こんな名前持ってないから決めたん」

となる。
産まれたとき2640gだから、玉のような男の子ともいえぬ。が、母子ともに難局を乗り切ってくれた。2人ともまだ入院中だが、近く退院の運びとなるはずだ。

 

というわけで、昨夕、桐生に戻った。この後、退院した長女が子どもたちを連れて桐生に来るかも知れない。まだまだ、事態が落ち着いたわけではないが、とりあえず山は越した。あとは粛々と、その場その場で一番いいと思える道を選ぶだけである。

恐らく、「らかす」にアクセスされることはなかろうが、長女を受け入れていただいた横浜労災病院に心から感謝したい。
妊娠当初からの患者ではなく、途中から、しかもかなり難しい患者を受け入れてくれる産婦人科は、訴訟の多発やマスメディアによる攻撃で減ったと聞いていた。
しかし、ここは突然の出血に見舞われた長女をすぐに受け入れ、前置胎盤、胎盤癒着という難しいお産になることが分かりながらも、万全の備えで無事に出産にこぎ着けていただいた。
この場で、心からの感謝を申し上げたい。日本の医療は、マスメディアで見るほど堕落してはいない。立派なお医者さんは、多分、掃いて捨てるほどいる。
横浜労災病院は、そう思わせてくれた。いまの世の中、まんざら捨てたものではない。

 

桐生に戻って、たまっていた新聞に目を通した。
我が家も疾風怒濤だったが、世の中も強風が吹き荒れた1週間だったようだ。

あの小沢さんが強制起訴されることになった。無茶苦茶である。
何が無茶苦茶なのかは、週刊朝日に詳しい。関心をお持ちの方は近くの図書館でご一読いただきたい。

それとは別に、私が思ったのは素人の恐ろしさである。
考えてみればいい。小沢疑獄といわれる一連の事件で、検察は己のメンツをかけて小沢さんを起訴しようとした。そしてできなかった。検察にどこかの圧力があっていやいや調べたのではない。誰かに配慮して起訴しなかったのでもない。起訴するに足る、というより、有罪にするに足る証拠がなかったから起訴を見送ったのだ。
検察は敗北したのである。
それを捜査の常道も、司法の常識も知らない素人が、起訴を決める。言い分は、疑惑があれば、裁判で白黒をつけねばならない、ということらしい。そして、取り巻き学者、評論家によると、これが司法の民主化、市民感覚による司法の創造なのだそうだ。
阿呆とは付き合いたくない。心からそう思う。
せめて、小沢裁判で、いまの司法の問題がえぐり出されることを願う。

 

ノーベル化学賞を、日本人2人が受賞した。
あれっ、iPS細胞の山中さんは?

今年のノーベル平和賞が、獄中にある中国民主活動家に贈られた。中国のメディアは一切報道せず、海外メディアの報道はシャットアウトした。
なるほど、中国は変な国である。尖閣諸島の問題を見ても、13億の民を統治する苦労を察することはできるが、察しても嫌な国であることに変わりはない。
だが、である。
メディアはこぞって、中国の圧力に屈せず、彼の民主活動家に平和賞を贈った選考委員会を絶賛するが、ちょっと待て。
ほんの数人の選考委員(かどうか知らないが、いずれにしてもたいした人数ではないだろう)が世論を動かし、世界の民に反中国感情を抱かせてしまうことがいいことなのかどうか。ほんの数人が世界の世論を形作ることが健康なのかどうか。
選考委員会に圧力をかけ、決まってしまうと国内の報道を完成する中国に、あんたら、まだまだやねえ、と思いつつ、たかが数人に動かされる世論にも違和感を感じるのが私である。

NHKの記者が、大相撲の野球賭博に絡んで、警察が捜査に入る情報を相撲協会幹部にメールで知らせていたそうだ。メディアは、

「報道倫理上、問題がある」

と、一斉にNHKを責め立てている。だけど、そんなに大変なことなのか? と私は思ってしまう。

だって、たかが野球賭博だ。そもそもたいした事件ではない。
証拠隠滅の時間を与えた、ということだろうけど、そんなもん、事件が発覚したら、普通の常識を持っていたらすぐに証拠なんて隠してしまわないか? それを、警察が家宅捜索に入る前日に知らせたって、すでに証拠物件はそこにはなく、実害はゼロではないか?

そんなことで騒ぐより、検察の恣意的な情報に寄りかかり、よってたかって小沢さんを悪者に仕立て上げた己の罪を反省する方が先だと思うけどね。

という風に、日誌を再開する。