2011
01.06

2011年1月6日 MRI

らかす日誌

唐突だが、あなたは「シネマらかす」を お読みいただいたであろうか?
なかでも、我が名文で綴られた「壬生義士伝」を味わっていただいたであろうか?

いや、私の文章の秀逸さを誇るのが本日の趣旨ではない。これを読まないと人の美しさが分からないよと無理強いする気もない。
ん? この書き方は、驕っているし、無理強いしてる?
まあ、それはいい。

その中に、こんな一節がある。

 「近藤たちが写真を撮る。高い知性を持つ吉村(貫一郎)は、初めて見る写真機なるものに強い関心を抱く。撮られる近藤たちを見つめる周囲と違い、吉村の目は写真機に釘付けだ。君も写真を撮れ、郷里のみんなも喜ぶよ、と誘われても、最初は断る。だが、代金はまとめて隊で払うといわれると
 
 『それなれば』
 
 と嬉しそうに被写体になる。これも卑屈であろう。だが、家族のために生きると決めた男にとって、卑屈さとは恥でも何でもないのだ。中井は、見事に明るい卑屈さを演じきる」

思い出していただいたであろうか?

ここには描写していないが、当時、写真を撮られるのは難行苦行であった。なにしろ、時間がかかる。フィルム(当時は、多分ガラス)の感度が低かったのであろう。被写体は、かなり長い時間、動きを止めることを強いられた。途中で動くと、ブレが生じてしまう。だから、撮影技師が

「撮ります」

といって、

「はい、終わりました」

と告げるまでは、じっとしていなければまともな写真にはならなかった。

何も秀逸な私の文章を引くこともない。レベルは落ちるが、昨年のNHK大河ドラマ、龍馬伝でも、坂本龍馬が写真に収まるシーンがあった。龍馬の姿を今に伝える写真が撮られた時である。龍馬を演じた福山雅治はあのポーズをとると、じっと動かなくなった。
彼がじっと動かなくていてくれたおかげで、いまの我々は龍馬が生きていたときの姿形を見ることができる。いまに残る坂本龍馬が福山雅治ほど美しくなくても、それは龍馬の責任ではない。

前置きが長くなったが、今日、私は、吉村貫一郎、坂本龍馬を追体験した。

 

整形外科医の紹介状を持って、MRIを備えた病院を訪れたのは午前9時半前だった。検査開始は午前10時の予定。その15分前までには到着して欲しい、との指示を、素直な私は忠実に守った。

「MRIは初めてですか?」

ずいぶん前にCTの検査はしたことがある。私は右の耳が難聴で、その原因を調べるためであった。調べたのに、何も分からなかったが。MRIは初めてである。

 「はい、では」

と、担当員がクドクドと説明し始めた。磁気を使って身体の断層写真を撮る装置であること、従って、金属が苦手であること。

 「ペースメーカーにも影響します。使っておられませんね? 体内に金属が入っていてもきちんとした映像が得られません」

正直に答えてあげた。

 「我が玉体には、いまだ不浄のメスは入っておりません。体内にある金属は、歯にかぶせたもの程度です」

担当員はいった。

「あ、治療した歯は仕方ありませんね」

この人、あまりユーモアを解するたちではないらしい。

かくして、下着だけの姿に病院が用意した検査着をつけ、MRIの検査台に横たわった。深呼吸させられ、やがて腹部を何かで覆われた。ベルトで固定され、腹部が動かしにくい。

「1つご注意申し上げますが、この検査を受ける要諦は動かないことです。撮影中に動かれると、鮮明な画像が撮れません。とにかく動かないでください」

動くな。吉村貫一郎、坂本龍馬が受けた指示と同じである。

「時間はどの程度かかりますか?」

 「まあ、30分程度とお考えください」

考えた。幕末に我が国にあった写真の感光剤の性能がいかに劣っていたにせよ、30分もかけねば写真が撮れない、ということはなかったはずだ。そんな代物なら

「そんなに長時間、動くな、ってのはラクダが針の穴を通るようなもんじゃねえか」

ということで写真の普及に水を差したに違いない。
してみると、私は吉村貫一郎、坂本龍馬以上の難行を強いられている……。これだけの時間があっても、技術の進歩とはその程度のものか? まあ、外面を撮るか、普段は見えない身体の内部を撮るかの違いはあるとしても。

検査台に横たわった私に、半円筒状の覆いが頭の上の方からやってきて、上半身を覆った。私の上半身はその中にすっぽりと入り込んだ。目を開けてみる。天井は私の顔と10cmも離れていない。この状態で30分もじっとしてろってか……。
閉所恐怖症だったら、即座に逃げ出したくなるに違いない。

「では、始めますから」

そういって、担当員は部屋を出て行った。

音がし始めた。

カタカタカタカタ……

 コトッ、コトッ、コトッ、コトッ、コトッ……

 ゴトゴトゴトゴト……

 ガガガガガガガ……

まるで工事現場にいるようである。ときおり、音がピタッとやんで静寂が訪れる。

「終わりか?」

と期待すると、再び騒音が来る。

ゴゴゴゴゴゴ……

 ガッタン、ガッタン、ガッタン、ガッタン……

こうした世界にいると、時の流れが分からなくなる。もう20分たったようでもあるし、まだ3分しか経過していないのでは、とも思える。時を感じ取れない世界で時を過ごす。得難い体験ではある。
が、終わりの見えない世界に身を横たえ続けるのは心地よいことではない。人は、ある程度の見通しが持てなければ、心が安らがないものである。
私は、数を数え始めた。恐らく、これまでに20分程度は経過しているであろう。だとすれば、あと10分もすればここから抜け出せるはずだ。10分とは600秒である。600まで数えてやれ……。
1秒という時間の長さを意識しながら、数を数え始めた。
1、2,3,4……
58、59,60,61……

 「もう1分たったかな」

356、357,358,359……
511、512,513,514。

どこかでドアが開く音がした。

「はい、お疲れ様でした。終わりです」

私は閉所恐怖症の敵から解放された。

7000円強の代金を支払い、写真を受け取る。まだ11時前である。
整形外科医にこの写真を持参し、診断を受けるのは明日、7日の予定だった。でも、木曜日は午後休診だから金曜日に、っていっていなかったか? いまからなら午前中に行けるぞ。

整形外科医に電話を入れた。すぐに来てもいいという。車を走らせた。

 

「ほら、この部分が脊髄ですけどね」

MRIの写真を私にも見せながら、医者がいった。

「ここですよ。ほかの部分は脊髄はまっすぐでしょう。でも、ここは引っ込んで薄くなってますね。ヘルニアで圧迫されて薄くなってるんです。やっぱり椎間板ヘルニアです」

ははあ、そういうもんですか。

「これがねえ、神経を圧迫して神経に炎症が起きてる。それで左脚に力が入らないんですねえ」

なるほど。それで、どうする、と?

 「医者によってはねえ、手術だ、って人もいる。だけど、私は手術はできるだけ避けたい。いや、手術をする医者が書いたレポートはいっぱいありますよ。手術して5年たっても再発しなかった、ほかに変化はなかった、って書いてある。でもね、10年後、15年後にどうなったかっていうレポートは1つもない。本来、背骨と背骨の間になくてはいけないものを手術で取り除くのだから、何らかの影響が出ないはずがない。5年は大丈夫でも、10年、20年後はわからない。私、そう思うんです」

いや、我が玉体に不浄のメスを入れる手術は、私としても避けたいところであります。第一、痛そうだし。手術をしない? 先生、それ、大賛成!

 「とりあえず、薬と、それからリハビリで対処しましょう。ま、どれだけかかるか分からないけども、ね。それで症状が悪化するようなら、次はブロック注射ということで、手術は最後の最後の手段ということにしませんか」

はいはい、大賛成です。

「そうですよね。腰の痛みはほとんど引いてるし、あとは左足に力が入らないのだけが問題なんで、それほど心配はしていませんけど」

思った通りを語った。にこやかだった医者の表情が引き締まった。

「いや、私の立場からすると、腰が痛んでいてくれた方がまだ安心できる。左脚に力が入らないというのは、医者の立場からは腰痛より遙かに怖いんです」

えっ、脅すの? 俺って、重症?

「が、まあ、とりあえずそんなところで。薬はこれまでと同じでいいですが、え、そう、明日の朝で飲みきるの。だったら、1つだけ変えておきましょうかね」

リハビリ室で腰を牽引し。腰を温め、薬局で薬をもらって帰宅した。

あ、そうそう、医者との間にこんなやりとりもあった。

 「先生、そうすると、もう少し散歩をするなり、多少運動量を増やした方がいいんですかね?」

答えが即座に返ってきた。

 「とんでもない! いまは安静の時期です。とにかく安静にしていてください。車の運転も長距離は避けた方がいい。運動をするのは、症状が落ち着いてからです」

ああ、そうですか。
仕事をサボる格好のいいわけができましたな。

というわけで、私、病人真っ最中である。

 

自宅で妻女に要点だけ説明した。しばらくしていった。

「しかし、2人してびっこひいてちゃしょうがないな」

まあ、びっこは差別用語ともいわれるが、己のことを語るのに差別もへったくれもない。

またしばらくして、風呂に入ろうとしていた私に妻女がいった。

「だったら、ピンピンした若い奥さんでももらったら?」

私の発言の趣旨を取り違えた反応だが、ふむ、それも一案である。
条件は2つ。

61歳で、程なく年金しか収入がなくなる私に、ピンピンした女性が寄り添ってくれるか。

ひょっとして、そのような奇特な女性が登場した場合、妻女が笑って

「よかったね」

というかどうか。

主観的には、後者の方がより高いハードルだと思うのだが……。