2011
01.30

2011年1月30日 禁足令

らかす日誌

が出たわけでもないのだが、この週末、ほとんど家を出なかった。
お察しの通り、原因は腰痛である。
いや、日々、薄紙を剥がすようにわずかずつではあるが、腰の痛みは軽減している。だが、医者に安静を命じられている以上、仕方がないのである。

ヘルニアによる左脚のしびれが少し軽くなったころ、医者に言ってみた。

「もう歩けないほどではないので、そろそろ散歩を再開しようと思っているのですが。腰痛の本を読むと、散歩など軽度の運動で筋肉を鍛えるのがいいと書いてあるし、 何しろ運動不足でベルトがきつくなってくるし。いいでしょ?」

私の提案は、即座に否決された。

「いいですか、大道さん」

と医者が取り出したのは背骨の模型である。腰に近いところのものらしい。脊椎と思われる骨の後ろ部分から、何やら黄色いチューブが出ている。

 「この黄色いチューブが神経です。これが足の方にいってるんですが、これねえ、歩くと引っ張られて動くんです。動いたら、当然骨と摩擦が起きたりしますよね。貴方はこの神経に炎症が起きているのだから、こいつが引っ張られて骨と擦れ合ったりすれば、当然炎症が悪化する。おわかりですか? 炎症が完全に取れるまでは、散歩なんて冗談じゃありません。ま、とにかくじっとしてろ、といっても無理でしょうが、出来るだけ動かない方がいい。よろしいですか?」

私は、鋭い論理で世の中を了解しようと志すものである。論理に全幅の信頼を置く人間は、論理に弱い。時として、私情に引きずられて論理をないがしろにすることもなしとしないが、それはまた別の問題である。
この医者の説明に納得してしまった私は、安静第一の暮らしをせざるを得ない。

だけど、あなた。
腰痛は、発熱を伴わない。意識が混濁するわけでもなく、眠気を伴うわけでもない。ために、頭脳の働きは正常である。
私は、何もしない時間に耐えられない貧乏性である、とかつて書いた記憶がある。その性格は、いまだに変わらない。つまり、安静にしながらも、何かをしなければ、心を奪われていなければ時間が過ごせない。
これは、なかなかの難行である。

週末である。しなければならないことはないもない。しかも、家から出られない。となると、私に出来ることは3つしかない。
本を読む。撮り貯めた映画を見る。ギターを弾く。
せいぜい、その程度しかないのである。

まあ、人間、健常であってもしたいことがすべて出来るわけではない。金がなければ欲しいものは買えないし、金があっても時間がなければ行きたいところにはいけない。金と時間があっても、惚れた女を振り向かせることが出来るとは限らない。
様々な制約の中で生きていく。それしか人には許されていない。
腰痛で安静? なーに、その制約がやや強まっただけではないか。

と思いつつギターを抱えた。
先週、27日のギター教室で新しい課題曲が決まった。

Layla

のアコースティックバージョンである。
この曲、よく聴いている曲であるにもかかわらず、教室で先生にやってもらってもちんぷんかんぷんであった。とにかく、リズムがつかめない。どこからどう弾いていいのか。頭を抱えながら戻った。
それを土日でやってみた。
なるほど、難しい。私を混乱させたリズムがとりわけ難しい。楽譜は4分の4拍子で書いてあるのだが、最初の音が、3拍目の後ろ半分である。
8分音符が主体となっているので8分の8拍子に読み直すと、5拍目から始まる。しかも、アクセントが4拍目と8拍目にある。とにかく、このリズム感を身につけるのは至難の業である。
さらにいえば、コードチェンジが1拍早い。Dm→B♭が4拍目に起きる。当然、8拍目は次のコードとなる。これを私の感覚でつかむのはかなり困難である。
加えて、私の苦手なB♭が障害となる。

「くそ! なんでこんなリズムで、こんなコードチェンジで、しかもB♭と多用するんだ?!」

何度も聞き惚れた曲であるにもかかわらず、悪態をつきながら弾き続けていると……、

「痛てっ!」

そう、腰が痛むのである。腰痛時には同じ姿勢をとり続けるのは毒である。しかも、ギターを弾いているとどうしても前屈みの姿勢になる。背筋を伸ばしていたのでは、左手の指で押さえているポジションが目で見えないからだ。重ねて腰に悪いのである。

でもなあ、ギターにでも熱中してなきゃ、退屈でしょうがないじゃないか。それに授業料も払ってるんだし……。
30分弾いたら休むようにして練習を繰り返した。何とか6小節足らずの前奏部分の進行だけは頭に入った。ここからギターソロが始まるのだが、まだそこまでは及んでいない。
あ、6小節足らずの部分も、頭に入っただけであって、弾けるようになったのではないのはいうまでもない。似たような音が部分的に出てきて、クラプトン気分を味わっているだけである。
こんなざまで、俺、クラプトンになれるのかな……。

 

夕刻、長男から電話。

 「あのさ、コンビニで腰痛の本を売ってたんだけど。マッケンジー法でも治らなかった患者が、これなら治ったって書いてあるんだけど、お父さん、買わない?」

おいおい、もう30半ばも過ぎたというのに、お前の常識はまだその程度か?

「人に本を薦めるときは、まず自分が読んでみるというのが常識だろう? 特に、お前がいっている本は腰痛対策の本ではないか。お前も、いわずと知れた腰痛持ちである。まず自分で買って、読んで、試して、それで効果があって初めて、『お父さん、この本いいよ』って薦めるのが当たり前ではないか?」

ヤツも昨年暮れ、起き上がれないほどの腰痛に苦しんだ。コンビニで腰痛の本に目がいったのもそのためであろう。自分が腰痛持ちでなく、父親だけが腰痛に苦しんでいたら、目がその本にいったかどうかは疑わしい。

「あ、まあ、そりゃそうだね。買ってみるよ」

 「効果があったら、1冊送れ」

さて、息子は本を送ってくるだろうか?
送ってくるということは、自分で実践して効果が見られたということである。息子に効果が見られたら。私にだって効果は出るだろう。効果が出れば

Layla

の練習にさらに打ち込める。いつの日か弾けるようになって……。

ああ、早く腰痛とおさらばしたい。