2011
03.15

2011年3月15日 所感

らかす日誌

大地が大揺れに揺れて以降、「らかす」で駄文を書く気が失せていた。
未曾有の惨事が起きているときに、下りもしない話を下らなく書くことに意欲を失ったのである。いや、どんな文章を書こうと、現実の重さと比ぶべくもないという思いから離れられなかった。

そうこうしているうちに、様々な思いがわき上がってきた。それを記しておくのも必要かと思い始めた。少しずつ吐き出していこうと思うに至った。

地震、そしてそれに伴う津波は、被災された方には申し訳ないが、日本の大地で生きる我々には避けられない天災である。今回被災したのはあなた方だったが、次は私かも知れない。地球という惑星の上に生を受けた以上、地球の生理から逃れるすべはない。そういう条件の下でしか、我々の生は許されていないのだと心するしかない。
今回の地震でなくなった方には申し訳ないが、残った我々は冥福を祈るしかない。

だが、津波被害に関しては、

「本当に避けられなかったのか?」

という疑念がどうしてもぬぐえない。

イソップの童話にあるオオカミ少年の話は、多くの方がご存じであろう。周りの関心が引きたくて

「狼が来た!」

と嘘をつき続けた少年がいた。本当に狼が来たときも、この少年は

「狼が来た!」

と騒いだ。が、誰も信じてくれず、彼の羊は狼に食い荒らされた、という話である。

津波でなくなった方々の幾分かは、オオカミ少年の犠牲ではないか?

オオカミ少年はマスメディアである。特に、NHKである。そして、そこに情報を提供した気象庁である。

地震があるたびに、NHKは津波警報を流し続けた。

「先ほどの地震で、○○沿岸に津波が押し寄せる危険があります。該当地域の皆さんはすぐに高台に避難してください。海には近寄らないでください」

私たちは何度も耳にした。そして、しばらくするとレポーターが画面に現れ、

「△△港では水位が20cm上昇したことが確認されました」

と大げさな表情でマイクに向かってがなり立てる。

ねえ、誰にも覚えがあるシーンでしょ?
津波警報が出て、避難が勧告され、でも、結果は

「たいしたことないじゃん」

の連続である。
続けば、人間の感覚は麻痺してくる。津波警報が出ても、

「今度は、どれくらい水位が上がるんだ? 少し大きい地震だったから、50cmも上がるか? 堤防があるから大丈夫だって」

程度の反応になる。
今回、津波被害に遭われた方々に、ひょっとしたら、オオカミ少年にだまされ続けた結果、津波警報を軽視する心が生まれていなかったか? それが被害を拡大したのではないか?

NHKに悪意があったとは思わない。問いただしても、公共放送の使命を果たしただけだ、といって顧みることはないだろう。
気象庁に悪意があったはずもない。専門家の集団として、少なくとも住民に危険がある以上、それを警告するのが使命であると胸を張るに違いない。
だが、自分の使命を果たしたと自己満足するだけで世の中がうまく回るとは限らない。彼らに決定的にかけていたのは、誰もが知っている「オオカミ少年」の話を思い出すことである。人は、結果の伴わない警報に触れる機会が多ければ多いほど、警報に対する感度が落ちるという、人間心理への理解である。

今回の津波被害で、当分は警報に従って避難する人は増えるはずである。だが、再び

「逃げたけど、水位はちょっぴりしか上がらなかった」

という事態が続けば、

「今度もたいしたことはないさ」

と警報を無視する人増えるのは時間の問題である。

情報は、出せばいいというものではない。出すべき情報と出さなくてもいい情報を精査して区分けするのが専門家の仕事ではないか。専門家の責任は

「危険だと思われるから情報を出した。そのあとは知らない

ではすまないのだと思う。

今回の惨事をどう生かすか。
無論、いまは被災された方々の命を1つでも多く救うこと、生活の維持と再建を助けることに全力を挙げなければならない。だが、全力を挙げながら、頭の片隅では、この惨事からどのような教訓をくみ出すかを考え続けなければならない。

事態が落ち着いたら、様々な検討を重ねて、次にどうするかを編み出してほしい。それが専門家の責務である、と私は思う。