2011
03.26

2011年3月26日 味

らかす日誌

晩酌をしながら、NHKのニュースを見ていた。
おばあちゃんが豚汁を食べながら泣いていた。

震災から逃げ、避難所で暮らしているおばあちゃんである。そこに、ボランティアが駆けつけ、豚汁を作って振る舞ってくれた。それを口にしながら、ポロポロ涙を落としている。

俺、涙が出るほど美味しいものを食べたことがあったか? 「グルメらかす」などという駄文を書き連ねながら、泣きたいほど美味いものを口に運んだ話を書いたか?

今回の地震と津波による被害は甚大である。亡くなった人は、恐らく3万人前後に上るだろう。だが、おびただしい悲劇が、のんべんだらりとした日常で忘れていたものを思い知らせてくれる。

被災は悲劇である。おばあちゃんも、出来ることなら被災などせず、私と同じようにのんべんだらりとした暮らしを続けたかったはずだ。だが。悲劇は起きた。そして、悲劇に直面して初めて知る世界もある。
おばあちゃんは、被災しなければ、涙が出るほどありがたい食べ物を口にすることはなかった。

テレビを見ていて、豚汁を振る舞われてもいない私の目も、何だかむずがゆくなった。

 

今朝の日経。「引きこもる首相」というコラムがあった。無視できない記事だったのでリンクを張ろうかと思ったら、「会員限定」とあって無理。
しかし、捨て置くには惜しい。ここに全文を引用する。
億劫だが、いつもご愛読いただいている方々のためなら仕方がない。

 菅直人首相は25日夜、東日本大震災の発生2週間を受けて記者会見し、国民へのメッセージを発表した。首相が公の場で発言するのは18日以来1週間ぶり。震災後は少なくとも1日1回、記者の取材に応じる「ぶら下がり取材」を拒否。福島第1原子力発電所の事故対応に専念したいのか来客も減り、執務室に引きこもりがちになっている。
 「政府一丸となった取り組みを」。25日朝に首相官邸で開いた電力需給緊急対策本部で、枝野幸男官房長官は電力需要抑制に向けた強力を全閣僚に指示した。唯一、首相の姿だけがなかった。
 枝野長官の指示の約10分後、首相は公邸から出てきた。記者団に「おはよう」と声をかけ、官邸5階の執務室に上がる。ここ数日、記者団と首相とのやりとりは朝のあいさつに限られている。
 首相の頭の中は福島原発事故の処理でいっぱいのようだ。25日の最初の面会者は、東京電力本店に常駐する細野豪志首相補佐官。作業員の被曝(ひばく)を受けて「発電所内の水の掃除や環境整備をする」と報告すると、首相は「それでいいんじゃないか」と了承した。24日の首相の面会も原子力安全委員会の班目春樹委員長からだった。
 東工大出身で「原子力には詳しい」と自負していた首相は、原子力に詳しい学者3人を内閣官房参与に次々と起用した。複数の首相周辺は「情報提供の遅さ、連携ミスなどで東京電力や原子力安全委などへの不信感を募らせている」と証言する。
 「役所や東電とは違うセカンドオピニオンが欲しい」。首相はこう息巻くが、面会した有識者に「臨界って何だ」と質問を投げかけることも。関係者からは「首相には原子力の基礎から教えなくてはならないのか」と不満の声も上がる。
 首相に近い民主党議員ですら「トップに必要なのは判断をすることで、知識を吸収することではない」と懸念する。首相周辺も「なまじ知識があるだけに話すとぼろが出そうで怖い。この状況で首相は何を発すればいいのか」と話す。こうした周囲の不安が、首相の出番を極端に少なくしているとの見方もある。
 首相が記者団との質疑に応じる「ぶら下がり取材」は震災発生前の10日が最後。記者会見の形式をとりながら「国民向けのメッセージ」を一方的に読み上げたのは25日を含めて6階。記者との質疑は、立ち去ろうとする首相を呼び止め、かろうじて成立した程度だ。
 執務室にしばしば出入りする関係者の一人は「首相は何もしていない。パソコンのマウスを動かしながら虚ろに話を聞いているだけ」とも語る。「いつでも来て欲しい。時間はいつでもつくるから」。首相は24日深夜、旧知の議員に電話でこう誘った。被災者支援を実質的に仕切る仙谷由人官房副長官のもとには各省の事務次官や、与野党幹部らが足を運ぶ。それに比べると、首相執務室への出入りは少ない。

 ああ、やっと入力を終えた。
日本語にやや難があるのを別とすれば、なかなかに興味深いレポートである。
私はこれまで、菅直人の能力に疑問を呈してきた。それが、最悪の事態の中で証明された。私の評価が的中したことを喜ぶべきか、最大の危機に臨んで最低の宰相を持ったことを嘆くべきか。

なお、日本語の難は、次の諸点である。

 「福島第1原子力発電所の事故対応に専念したいのか来客も減り、執務室に引きこもりがちになっている」

原発に専念するのは首相の意志である。だが、来客が減ったのは首相の意志ではない。単に客が来なくなったのである。この2つの事象をダイレクトにつないではならない。ダイレクトにつなぐのなら、「来客が減り」ではなく、「面会する客を減らし」と首相の意志が働いていることを書かねばならない。
でも、多分、誰も近づかなくなったんだろうなあ。

菅直人が「東工大出身で『原子力には詳しい』と自負」しているのなら、何故に臨界という基本的な概念を知らないのか? 臨界も知らずに、「原子力には詳しい」と自負できるのか? もし、本人がそう思い込んでいるとしても、それを「自負」と表現していいのか? 正確な表現は「思い上がっている」、「誤認している」ではないか?
自負している人が知識を求めるのも不思議だ。自負しているが故に「話すとぼろが出る」というのもおかしな話である。

「自負」という言葉を使ったが故に、文脈が繋がっていないともいえる。

にしてもだ。戦後最大の危機といいながら、虚ろな目でパソコンのマウスを動かしている首相。腹の底から不気味さが噴出する。

こんな男を国会議員に送り出した有権者、こんな男を首相にしてしまった民主党の国会議員は、それぞれの不明を深く反省するべきである。

とはいえ、どうしたらいいのか。政権は民主党のもとにあり。民主党の代表は菅直人である。
枝野の顔が、ずいぶんよくなったと感じる今日この頃である。
それでいいのかな?