2011
04.14

2011年4月14日 それでいいの?

らかす日誌

晩酌をしながらNHK午後7時にニュースを見ていて、思わずメモをとってしまった。

あの菅首相の肝いりで、今日、復興構想会議なるものが立ち上がった。まあ、組織作りが大好きな首相である。いや、組織さえ作れば物事はうまく動くと考える、頭の緩い首相である。まあ、特に、ほかの妨げになることもないだろうから、それは目こぼししてもいい。
だが、目こぼしできないことがあった。

菅のオッさんは、住宅地を高台に移し、海に近い平地は港や公園にする事に固執しているのだという。
分からんこともない。低いところは津波に襲われ、助かった人たちは高台に逃げていた。だから、住まいを高台に移して次の津波に備える、というのは十分に理解できる。

だけど、と天の邪鬼の私は考えてしまう。

歴史を顧みれば、1896年、明治三陸地震が起きている。マグニチュードは8.2~8.5という大きな地震で、死者数は2万1915人で、今回の死者、行方不明者の総数に近い。しかも、いまよりずっと人口が少なかったときの津波被害でこれだけの死者数が出た。被害のほとんどは津波によるもので、津波の高さは38.2mにも達した。

恐らく、そのあとしばらくは

「海の近くは危ない」

という認識は、住民に共有されていたはずだ。そして、これも恐らくだが、明治三陸地震のあとしばらくは、正確に言えば、被害の記憶が生々しい間は、人びとは海の近くを避け、高台に住居を定めたはずである。
それなのに、わずか100年少々しかたたないのに、多くの人が海の近くに住み、津波に巻き込まれた。

歴史の教訓に学ばなかった人たちが悪いとも言える。だけど、人間って、そんなものなのだ。

被災の記憶を生々しく持っている人たちは、恐らく海を避けた。被災の記憶が生々しい親から話を聞かされた次の世代も、海から離れて住んだ。だが、じっちゃん、ばっちゃんから話を聞いた3代目はどう考えたか。話でしか知らない先人から津波の話を聞くしかなかった4代目は、津波の恐ろしさを肌で感じることができただろうか?

同時に、公共事業が進む。防潮堤がだんだん高くなり、

「津波が来たって、これで防げるさ」

という根拠のない確信が強まってくる。

そもそも、漁業で身を立てるのなら、海の近くに住む方が便利なのだ。歩いて3分で港に行けた方が楽なのである。

 「オヤジやじっちゃまは、大げさだったんじゃないか? それに立派な防潮堤も作ってもらったし、もう心配はないはず」

こうして、一時は高台に移り住んでいた人びとが海の近くに戻ってくる。そして、被災する。

災害は忘れたころにやってくる

とは、こういうことをいう。前の災害の記憶が生々しいうちは、次の災害は起きない。災害の記憶があやふやになったころ、次の災害が襲う。
歴史は、そうして繰り返される。

ということを、菅ちゃんは考えたことがあるのだろうか?

いまは、人びとは先を争うように高台に移り住むだろう。首相である菅ちゃんが言ってもいわなくても同じである。
だが、今回の被災の記憶が薄らいだとき、その時の世代が海の近くに降りてくることをどうやって防ぐ? 100年後、再び同じ惨禍を起こさないための手立てはあるのか?
それを同時に考えない限り、貴方は、いまの世代にしか思いを馳せない、知識と想像力に欠けた首相といわれても仕方がない。

復興構想会議がどのようなレポートを書くのか。私は目を大きく開けて待つつもりである。
本人が大きく開けたつもりでも、そばの人から見ると

「小さい目だね。この人、眠ってるの?」

といわれかねない、我が目の形状は別の問題である。

 

妻殿が今日、宣うた。

「いつもテレビに出てる民主党の人、原発事故を知って、奥さんと子供はシンガポールに逃げてるんだってね。それに、東京の有名な進学幼稚園は、子供の3分の1が出てこないんだって。原発を怖がってどっかに逃げてるっていうわよ」

私の神経がピピッと刺激された。

「誰がそんなこといってるんだ?」

 「○○(次女)が電話でいってたのよ。ひどいわね」

 「ちょっと待て。それはそもそも、どこから出た話だ?」

 「週刊誌にでも書いてあったんじゃない?」

それはない。私は原発の不具合が起きたあと、新聞に載る週刊誌の広告はすべて見ているし、気になる見出しを掲げた週刊誌は購入して読んでいる。

 「週刊誌には出てないぞ」

 「だけど、いってたから……」

そもそも、それが事実だとすれば、メディアが放っておくはずがない。必ずどこかの新聞やテレビ、週刊誌が報じているはずである。幼稚園の話はともかく(これも充分にニュース価値があると思うが)、テレビによく出ている民主党の幹部が、原発事故を知って家族を海外に逃がしたとなると、メガトン級のニュースである。書かないはずがない。

「恐らく、その話は根拠のないものだ」

断言する私に、妻殿は追いすがった。

 「だって、いってたもの……」

こういう話を流言飛語という。恐らく、最初は

「あの人、原発の情報に一番早く接触できる人で、私たちに知らされている以上の情報を持っているはずだから、きっと奥さんと子供たちは海外にでも逃がしたんじゃないの?」

 「あの幼稚園、お金持ちの集まりだから、原発事故を知ってどっかに逃げ人が沢山いるんじゃないの?」

などという根拠も何もない話から始まったのではないか。それが伝言ゲームの間に確定情報の体裁を整え、枝葉もつく。枝葉がつくと、いっそう確からしく思える。

原発の事故以来、関東、東北の住民は一種のパニック状態にある。それは、流言飛語がすくすくと育つ肥沃な土壌である。

理知的であろうと努める大人は、その広がりを止めねばならない。それでなくても、ネットで根拠もない無責任な話が飛び交う時代である。
少なくとも、自分のところまで飛んできたら、自分のところで止めなければならない。

流言飛語が育ちやすい土壌は、自分の理性が本物かどうかを測る試験台でもある。

 

またNHKに戻る。
7時のニュースを見ていたら、天皇、皇后が被災者を訪れていた。彼らが共同生活を強いられている施設に足を運び、膝をついて目線を揃え、丁寧に話を聞き、話しかけていた。
正直、頭が下がった
天皇はいま、体調が優れず、公式行事を減らす検討が行われていたはずである。恐らく、宮内庁の官僚どもは、

「陛下のお体にかかわります。ここは御自重のほどを」

とか何とかいって反対したのに違いない。だが、それを押し切って被災者を訪れ、しみじみと言葉を交わす。

断っておくが、私が被災者の立場にあったら、感激などしない。あんたたちに声をかけてもらっても、いまの暮らしが変わるはずがないではないか。自分が置かれた状況は自分で切り開く。あんた、何様のつもりだ? と悪態をつくかも知れない。
そう、そもそも私は、左翼だったのだ。諸悪の根源である天皇制を否定し、天皇制をなくすにはテロしかないのではないか、と考えたこともある。

それなのに。
避難所暮らしを強いられている人びとと交わる2人の姿に、涙腺が緩みそうになった。あの姿は、限りなく美しい。

あのシーンに感動してしまう俺。どうなっちまったんだ?

まあ、そういう私も、嫌いではないが。