2011
06.02

2011年6月2日 退陣表明

らかす日誌

なるほど、このような幕の引き方もあったのか。これは政界の知恵ともいえる。

まあ、菅直人といえども、政界の頂点まで上り詰めた男である。鞭を持て追われる如く総理の座から追い払われるのは辛かろう。また、追い払う方も礼を失することになる。

「ねえ、あんたじゃもう持たないんだよ。だからさ、こういうシナリオだったらあんたのメンツも立つし、政治の混乱も最低限に抑えることができるんだけど、乗らない?」

そんな知恵を授けたのは亀井静香・国民新党代表と、鳩山由紀夫。元首相とのことだ。その結果、

「大震災に一定のめどがついた段階で、若い世代の皆さんに色々な責任を引き継いでいただきたい」

正午過ぎから始まった民主党代議士会で、菅直人はそう語った。
まあ、それでいいんじゃないの? やっと現実が分かったの。菅首相?

NHKの昼のニュースは、民主党代議士会を生中継した。従って私は、菅の話をライブで聞いてしまった。聞いて、

「やっと菅の時代が終わる」

とホッとし、

「でも、自民党や公明党は、内閣不信任案をどうするのだろう?」

と考えた。
このような流れになれば、民主党内から不信任案に賛成する議員はそれほど出まい。だとすると、不信任案は否決される。否決されることが明白な不信任案を、あえて採決に持ち込むか? ひょっとしたら、取り下げるのではないか?

「目的は達成された」

と説明すれば、取り下げの立派な理由になろう。出した不信任案が否決されてメンツを失うより、

「我々が不信任案を出したから、菅は辞任せざるを得なくなったのだ」

と勝ちどきを上げる方がいいのではないか? それが政治家の知恵ではないか?

結果からいえば、私の読みは外れた。自民党にも公明党にも、私のように考える人はいなかったらしい。
私に政治家になる素質はないらしい。
ま、なりたいと思ったこともないが。

それにしても、大島理森・自民党副総裁の不信任案趣旨説明は迫力があった。これも、どういう訳か、テレビでライブで見てしまった私の感想である。

「辞めるという首相の下で、国会での責任ある答弁ができるのか。今すぐ辞めなさい」

これは、正論中の正論である。あの、厳つい顔をしたおっさんが正論を吐く図は、違和感の塊ではあったのだけれど。

それに引き替え、反対討論した民主党の山井和則は、おつむの寒さをさらけ出した。

「被災者に、不信任案提出はどのように受け止められているか。政争や権力争いは、もういいかげんにしてくれ。そんな余裕があるなら、与野党協力して復興にエネルギーを注いでほしいというのが、圧倒的多数の被災者の気持ちではないか」

あのねえ、被災者をだしにして政権の延命を図るって、政治家として最低の論理だぜ。
それに、野党が与党に協力する前提条件として菅直人の退陣を求めたのが内閣不信任案なのでありますぞ。菅直人が退陣したらいくらでも協力すると野党はいっておるのであります。
あんたの論理はグチャグチャだ。
この程度の論理で衆議院議員になれるのか……。

しかし、あれだね。あれほどテレビに出てるのに、自民党の石原伸晃幹事長って演説下手なんだねえ。なんか、原稿をそのまま読んでいるみたいで、ちっとも心に響いてこない。それに滑舌も悪いし。

仕事をさぼってテレビを見ていると、知りたいと思っていないことも知ってしまう。

 

さて、これで山は越えた。次の課題は、誰が菅のあとの首相になるかである。

えっ、菅首相は退陣の時期を明言していないって?
あのね、トップというのは大変な地位なのですよ。時期を明示しなくったって、

「辞める」

と表明した瞬間に、あらゆる力を失うのです。
周りはトップが辞めることを前提に動き出します。だって、責任が生まれる仕事を、辞めるといっている人に任せるわけにはいかないでしょ?
辞めることが明白になった人をレイムダック(足の不自由なアヒル)といいます。俗に、死に体、ともいわれるのが、今日の正午過ぎからの菅直人のポジションなのであります。
菅が退任を表明した瞬間から、民主党内ではポスト菅をにらんだ動きが始まっているはずです。
俺が、という自薦組から、あいつを盛り立てたら俺も大臣になれるかも、という打算組までが全力疾走を始めているはずです。
だから、菅さんは時を置かずして退かざるを得なくなります。
それにしても、である。メディアの暴走が目に余る。

天下のNHKが午後7時にニュースで、今回の不信任案騒ぎに対する被災者や町の一体の声を拾って放送した。

「こんな時期に、政治家はなにやってんの!」

と言う声ばかりであった。偏ってんなあ。俺みたいに、そうではない、これは必要な過程なのであると考えている人間だっているぞ、と思っていたら、アナウンサーが

「という具合に、町には批判の声が強いようですが」

と話を政治部記者に振った。

「そうなんです。この時期に……」

と政治部記者が引き取った。
おいおい、それはないだろう? 町の声ってもっと多彩であるはずだ。お前たち、日経の夕刊見た?

被災者にはこう言っている人たちもいる。

「震災後の政府の雇用対策には前々から不満。いまの首相や政府には何も期待できない。不信任案が出るのも仕方ない

 「決断のペースが遅かった。菅政権はやめる潮時かな。これを機にほかの人に首相をやらせてみてもいいんじゃないか。復興計画はちっとも前に進んでいない」

人々の声を好き勝手に編集し、それをもとにコメントして仕事をしたような気になり、何かを批判したような気分に浸る。
君たち、民衆の本当の声を聴く気はないのか?

 

それにしても、である。朝日新聞は菅内閣と運命をともにしようというのだろうか? 今日の朝刊1面を見て唖然とした。

「現実見ぬ政治の惨状」

筆者は編集委員の根本清樹、とある。もちろん、知らない御仁である。

この方、この時期の政争に痛くご立腹である。それに、小沢一郎も大嫌いであるらしい。
まあ、それはいい。
だが、ただただ驚いたのは、下品な形容詞の酷使である。

・日本はなお前代未聞の非常時にある

—あのさ、長崎、広島の被爆を例に出すのがいいかどうかは別として、この程度の惨事、これまでにもあったんじゃない? 前代未聞? 聞いてないのは貴方だけじゃない?

というのが最初にあって、あとも

・むき出しの政争
 ・大所高所からの賢愚
 ・巨大な落差
 ・目がくらむ
 ・あきれる
 ・良識のかけらもない
 ・焦眉の急
 ・大テーマ

ま、文章の中から言葉だけを抜き出したので完全にご理解いただくのは難しかろうが、おおむねの雰囲気はおわかりいただけるのではないか。

で、この、おどろおどろしい形容詞が頻発する大時代的な文章を何度も読むと、

・小沢グループは民主党内をぎくしゃくさせるばかりで許し難い。
 ・その小沢グループの離反を当て込んで不信任案を出した自民、公明はアホである。
 ・不信任案を否決できたら、菅は小沢との関係を清算しろ
 ・仮に通ったら、後継をどうするの?

ま、いいたいことはそういうことらしい。ここには、地震発生以来の菅内閣の動きへの批判、菅内閣でいまの事態を乗り切れるのかという問いかけはどこにもない。

いってみれば、

菅ちゃん、大好き! 何があっても貴女(菅直人は多分男だが、何となくこう書きたくなる)を守るからね!

というラブコールに過ぎない。

記者は主観を出してはならいというつもりはない。しかし、主観しか、しかも無知をベースにした勝手な思い込みしかない文章を読まされる読者のことを、朝日新聞は思い遣ったことがあるのか。

菅は退陣を表明した。朝日新聞はどうするのだろう?