2011
06.15

2011年6月15日 勉強

らかす日誌

「あんたは、そのう、大学は理科系かね?」

ある席で、そう問われた。問うたのは、ある飲み会の席で、

「あんたみたいなヤツが一番感に障るんだ!」

と私に楯突いたじいちゃんである。まあ、私の言動があんたの感に障ったのなら、それはお気の毒と申し上げるしかない。私は私として行動し、発言しているのであって、あんたの感に障るかどうかは、私の言動の基準にはなっていない。それが感に障るのなら、できるだけ、私の言動が見えない、聞こえないところにいてくださいと申し上げるしかない。
それとも、表に出るか? 相手は、小柄のじっちゃんである。ヘルニアの腰は気になるが、よもや後れをとることはあるまい。

と思っていた人間から、冒頭の言葉をかけられた。

「いや、私は、ア、法学部、なんですが。スムーズに発言すると、阿呆学部、となります」

「だったら、あんた、何でそんなに放射能に詳しいの?」

一度は、私に因縁をつけてきたじっちゃんの目に、尊敬の色を見て取ったのは私の思い入れだろうか?
そう、その席で、私は福島原発の話をしていたのである。

阿呆学部を出た私が放射線に詳しいわけがない。その時話したのは、福島原発の事故で世間があまりに騒ぐものだから、

「放射線って、どれぐらい怖いんだろう?」

にわかに勉強した成果でしかないのである。
にわか、とはいえ、真面目に勉強した。ノートをとりながら本を読むなんて、何年ぶりだろう? などと思いながら万年筆を動かした。

そうか、私がホンの1、2週間のにわか勉強で身につけた知識すらない人々が原発で騒いでおるのか。じっちゃん、あんたもその仲間か?

いずれにしても、知識は力である。そう思い、勉強の成果を公開することにした。

これは、1冊の本を読んでとった私的なノートである。著者の知見に異議を申し立てる知識もないから、単なる要約でしかない。だから、中身の正確さに責任を持つものではない。
また、他人の著作を要約して公開するわけだから、ひょっとしたら著作権侵害? その恐れなしとしないが、できるだけ多くの人に、せめて私程度の知識は持っていただきたいと思い、あえてリスクを冒す。

そう思って読んでいただきたい。
長いので、分割してアップする。

 

まず確認すること。 新聞によく出てくる放射線の単位。

ベクレル=1秒間に1個の放射線を出す能力のこと。
シーベルト=人の身体が吸収した放射線の影響を数値化したもの。

放射線にも種類がある。

α(アルファ)線=あまり飛ばない。紙1枚で遮蔽できる。
β(ベータ)線=厚さ数ミリのアルミ板で遮蔽できる。
γ(ガンマ)線=透過力が強く、コンクリートなら50cm、鉛でも10cmの厚さが必要。
中性子線=最も透過力が強い。

放射性物質の違いによって、それぞれ出す放射線の種類が違う。
それを含めて、シーベルト、つまり人体への影響力で考えればいい。

ちなみに。
私たちは常に、微量のラドンを吸い込んでいる。ラドンは1立方メートルあたり750~370万ベクレルの放射線を出す放射性物質である。
人体に不可欠なカリウムにも、0.01%の放射性カリウム(カリウム40)が含まれる。このため、3700ベクレルの能力を持つカリウム40が常に身体の中にある。
炭素にも1兆分の1の割合で放射性の炭素14が含まれる。人体中には1500ベクレルの炭素14が存在する。

このほかに、身体の外にも放射線が飛んでいるから、我々は内と外から被曝し続けながら生きていることになる。加えて、レントゲン診断やCT、飛行機での海外渡航も被曝量を増やす。

以上は前提である。これだけの知識をもとに、 「人は放射線になぜ弱いか 少しの放射線は心配無用」(講談社ブルーバックス)を読み、まとめたものである。

著者は近藤宗平氏。1922年、福岡県に生まれ、京都大学理学部卒。大阪大学医学部放射線基礎医学教授、近畿大学原子力研究所教授を経て、大阪大学名誉教授、とある。

まずは、この本の結論部分を書き写す。

「われわれの身体は少しの放射線にはびくともしない。その理由は、放射線による傷を見事に—それは神の手になるとしかいいようのない絶妙さで—なおしてくれる修復タンパク質を細胞が持っているからである。このタンパク質をつくる遺伝子はすべて先祖からもらったもので、生命を支える遺産である。最近の研究で、次のような驚くべき事がわかり始めた。放射線の傷の修復にはミスが起こるが、p53というタンパク質がそれを見つけて、細胞の自爆装置のスイッチを押して、不良細胞を廃棄処分にしてくれる。したがって、放射線の傷は完璧になおるのである。ところが、この自爆装置は、心配などストレスがたまると、狂いがでて、まともに動かないどころか、良品細胞まで自爆させて病気を重くするようである」

身体の防衛機能は、相当に優秀である。いたずらに心配すると、その防衛機能が上手く働かなくなるばかりか、狂った暴走を初めて健康を壊してしまう。
これが、この人の結論である。

そういえば、この本の冒頭には、次のような言葉が引いてある。

ものを怖がらな過ぎたり
 怖がり過ぎたりするのはやさしいが
 正当に怖がることはなかなかむつかしい
                              —寺田寅彦

序章 わが青春と原子放射線

京大理学部物理学科実験核物理教室3回生の1945年8月13日、広島に行く。放射線を浴びたものを集めて研究するためで、翌14日まで爆心近くで活動。様々なものを採取して戻る。このとき拾った電力計の回転板が、収集物の中で最高の放射能を持っていた。この物質を持ち帰ったこの人は、かなりの放射線を浴びたはずである。

(ちなみに私は、机上で論理やデータを弄ぶ人より、自ら身体を張って体験した人の知見を重視する)

1958年に、国連科学委員会(UNSEAR)が「原子放射線の影響」を公表。その後の放射線被害の基本になるが、それが間違いのもとである。

中国には自然の放射線が、普通の地区の3倍というところがある。では、この地区のがん死亡率が高いかというとそうではない。他地区よりわずかに低いのである。

 

第1章 放射線に対する不安

我々は日々の暮らしで、年間1ミリシーベルトの放射線被曝を受けている。

1986年4月26日に起きたチェルノブイリの原発事故。1988年の調査で、放射性物質に強く汚染された白ロシアで、高血圧・糖尿病・虚血性心臓病・潰瘍・慢性気管支炎がそれまでの2.4倍発生したとされた。また、先天性異常が1.2倍に増えたと報告された。
しかし、これは原発事故後の調査ということで、健康調査の精度が格段に向上した結果、見かけの上で病気が増えた可能性がある。

胸部関節X線写真を撮ると、皮膚で2ミリシーベルト、骨髄は0.3ミリシーベルトの被曝をする。
CTだと、皮膚で10ミリシーベルト、骨髄で2ミリシーベルトの被曝をする。

(なお、文藝春秋、近藤誠さんの記事によると、最近は「造影CT」といって、一度撮影したあとに造影剤を静脈注射しながら再撮影することが行われるとのこと。この際は最低20ミリシーベルトの被曝になる。 腹部・骨盤CTでは最低20ミリシーベルト、再撮影すれば40ミリシーベルト、さらに首から骨盤までの「全身CT」をすれば60ミリシーベルトを超える。つまり何度もCTを撮っていると、放射線被曝の危険度の目安とされる100ミリシーベルトはすぐに超してしまう)

 

第2章以降は次回から、ということで。