2011
06.22

2011年6月22日 早くも

らかす日誌

37.5
私の車の車外温度計が表示した今日の最高気温である。時刻は午後4時前。20分ほど走って、車内がやっと涼しくなったころだった。
私の嫌いな夏が、早くも始まった。

さて、今年の夏はどこで過ごしたらいいのだろう?
今日、我が社の群馬県の責任者からメールが来た。

「エアコンの設定温度は28度にしてください」

目にしただけで削除した。
ふん、小官僚め。俺の身体は28度では動かないようにできてるんだ。東京にいたときは、

「あのね、25度以下に気温が下がらない夜を熱帯夜といいます。動かなくてもじっとりと汗ばんで、寝苦しいのです。それよりも3度も温度が高くて仕事ができるとお考えか?」

そういう合理的な思考経路もたどらず、ただ、東京の官僚からいってきたことを下にタレ流す。これを小官僚といわずして何という?

無論私とて、今年の電力需給が逼迫しているのは承知している。節電せねば、緊急停電などで社会が混乱するという危機感もある。
だが、問題は朝から晩まで節電することではない。要は、ピーク電力である。企業や家庭が一番電力を使う時間帯に、電力需要が電力供給能力より下にあればいい。通常、電力需要の山は午後1時から3時の間である。だから、この間は節電に協力する。
だが、需要がピークより下にあるときに節電に励むのは意味がない。東京電力の売り上げを減らし、被災者への賠償能力を引き下げるだけである。

夜寝苦しかったら、軽くエアコンをかけよう。
朝から気温が高く、食欲がわかないようだったら、食欲が出る室温にまで下げよう。
午前中はエアコンで室温を下げ、昼食時はエアコンを止めて冷やし中華かそうめんを食べよう。午前中冷やしておいた室温で快適に過ごせるのなら、電力需要がピークを迎える午後1時~3時に仕事をするのもよい。不快になったら、ラテン民族にならってシエスタ(昼寝)をしよう。

暮らしを、そのように組み替えたい。

もう一度繰り返す。
電気を使うのをできるだけ抑えなければならないのは、電力需要がピークに達する午後1時~3時である。ほかの時間は、これで通りの暮らし方をしても問題はない。
要は、平日の昼間、がんがんに冷やした部屋で、大型テレビで夏の甲子園を見なければいいのだ。

それぞれの生活スタイルを考えたい。

 

ちょいと旧聞になるが、イタリアが国民投票で脱原発を決めた。原発を止めろ、と投票した人が、確か90%を超えていたから、これはイタリア国民の意思である。

「原発大国のフランスから電力を融通してもらいながら、よくそんな身勝手なことができるものだ」

という見方もできるが、ここで書きたいのはそんなことではない。書きたいのは、なぜいま、脱原発なのか? ということである。

福島第一原発の事故で原発の危険性が世界中に認識された。その先端的な現れがイタリアの国民投票結果なのだろう。それはいい。
でも、原発が大きな事故を起こしたのは、福島第一が初めてではない。

1979年3月28日、米国スリーマイル島原子力発電所で冷却材喪失事故が起きた。この事故で、その直後に公開された映画「チャイナ・シンドローム」は大ヒットとなった。
だが、国民投票で脱原発を決めた国はなかった。

旧ソ連で、チェルノブイリ原子力発電所事故が起きたのは1986年4月26日である。放射性物質が風で欧州全土に広がり、各国で妊娠中絶が増えたり、イタリア産のスパゲティが売れなくなったり、様々な影響が出た。
だが、国民投票で脱原発を決めた国はなかった。

なのに、日本で福島第一原発の事故が起きたら、イタリアは脱原発を決めた。ドイツ政府もそれまでの原発に依存するエネルギー政策を転換、2022年までに原発をすべて止めると宣言した。

米国や旧ソ連での原発事故に比べ、日本の福島第一原発事故への反応は極めて鋭敏である。
なぜだろう?

その答えを、つい先ほど、フイと思いついたのだ。

世界が日本の技術日本人の律儀さを高く評価していたからではないか?
日本は世界に冠たる技術大国である。トヨタの車は壊れないし、ホンダのバイクは世界一だ。日本の金型技術がなかったらものづくりはできない。その日本が作った原発は世界で一番安全な原発である。
日本の電車は時刻表通りに駅のプラットフォームに到着する。乗車率150%のすし詰め通勤電車を文句も言わずに使い、定刻までに出社する。
その正確で律儀な日本人が、世界で一番安全な原発を動かす。もし原子力発電所の事故は避けがたいとしても、事故が起きる最後の国になると信じて疑わなかった。おおざっぱな米国や、すべてを官僚が仕切る旧ソ連で原発が事故を起こすのはありそうなことだ。でも、日本の原発が事故を起こすことなどあり得ない。

それほど信頼された日本の原発が、東日本大震災の揺れと津波で大変な事故を起こした。

「日本の原発が事故を起こすのなら、自分の国のものも含めて世界中の原発はすべて危険だ」

と多くの人が考えたのではないか。
世界の人々が原発と共存はできないと危機感を感じたのは、最も安全だったはずの日本の原発が事故を起こしたからではないのか。

これ、身勝手すぎる解釈かなあ……。

ま、私の考えに立つと、福島第一原発の汚染水を浄化するのに、米国、フランスの技術に頼らなければならなかった現状は、何とも情けない。
だから、国製の装置がうまく動かずに処理がストップし、次にフランス製の装置に不具合が出て処理が進まないなどの現状は、

「やっぱり、そんなもんか」

というしかない。そんなもんか、では困るのだが……。

だけど、不思議だよねえ。その米国がスペースシャトルで人間を宇宙に運んで連れ帰す技術を持っているし、フランス製のエアバスの評価は高い。
それぞれ、得手不得手があるということなのかなあ……。