2012
01.01

2012年1月1日 言葉

らかす日誌

明けましておめでとうございます。

と、今年は素直に書いてはいけないのだそうだ。
新聞の投書欄を見ていると、そんな意見が相次いでいた。3.11があった今年、おめでとうと書くのは人否人の犯す犯罪である、とまでは書いてなかったが、趣旨はそのような投書である。世の中は、自分の思い、というか卓見というか、とにかく、世の中を誰よりも深く考えているということを披露したい人の集まりらしい。

が。私にいわせれば、連中は単なるいい格好しいであるに過ぎない。自分でそう考え、実行するのならそれぞれの人の勝手である。だが、それをマスメディアを使って多くの人に伝える。それは、こんなときにおめでとうなんて書くあなたは何も考えていないアホウであり、ちゃんと物事を考える私たちは言葉の使い方一つにも気を使う知的エリートであると表明するに等しい。
だが、物事をきちんと考えることを放棄しているのはどちらか。その場の空気に流されていることにも気がつかない薄っぺらな思考能力しか持っていないのはどちらなのか。

年の初めの挨拶に、おめでとうという。それは、別にめでたいことがあったからおめでとうというのではなかろう。朝会ったらお早うといい、昼間にあったらこんにちはという。挨拶ができない人は困りものである。
年の初めに交わすおめでとうも、それと同じ時候の挨拶である。人々は、飢饉で飢えた年も、津波が襲ってきた年も、火山が噴火した年も、年が改まればおめでとうと言い習わしてきた。
今年も、去年と同じようにいい年であったらいいね、というときもあっただろう。だが、大変な年がやっと終わった。今年は平穏無事であったらいいね、という思いも、年始のおめでとうにはこめられているはずである。

そして今年、おめでとうに代わる言葉が、なのだそうだ。気持ちの悪い言葉である。人と人との結びつきを表す言葉だが、どうしてこんな言葉がもてはやされるのか?

人は1人だけで人になることはできない。他者の存在があって、人は人となる。
などと、小難しく考えなくても、この世に生まれ出るには父母が必要だし、その父母にも、それぞれ父母がいる。物心つけば、兄弟姉妹もいるし、従兄弟、はとこもいるし、近所の人も、幼稚園の友だちも、小学校の先生もいる。人とは、様々な人間関係の中でしか生きられないものである。

生きていれば、いろいろな人間関係ができる。切りたくない、切りたくても切れない人間関係だってできる。それが絆である。

そんなあたり前のことが、どうしてもてはやされなければならないのか?
人と人の絆には、切りたくても切れないものもあるとは、どうして考えないのか?

3.11以降、絆の大切さが喧伝された。が、現実はどうか。

震災直後には、被災地でもてあますほどのボランティアが現地を訪れた。が、ほとぼりが冷めれば、ボランティアはひく。もちろん、いまだにボランティアを続けていらっしゃる方々も存在するが、大勢としては、現地が必要とするだけのボランティアはもう存在しない。失礼を承知でいえば、一過性の流行に過ぎない。

被災地の瓦礫処理を受け入れて欲しいと最初の呼びかけがあったとき、500以上の自治体が受け入れを表明した。が、実際に受け入れてもらおうという時期が来たら、受け入れるという自治体は50少々に減った。大嫌いな石原東京都知事が、このときだけは頼もしいリーダーに見えた。

被災地で製造された花火の打ち上げを、放射性物質が拡散すると取りやめた町があった。被災地の木を大文字焼きに使うはずが、取りやめになった。

いずれも、絆の一側面である。いま使われている絆とはその程度のものなのだ。自分にゆとりがあるときだけ、困っている人々に同情するふりをする。そんなときに使われる詰まらぬ言葉、概念なのだ。

私は絆などという言葉を使いたくない。だから、今年の年賀状にも「謹賀新年」を使った。世の善人面した阿呆どもに対する挑戦である。

 

と、新年早々勇ましいが、体の方は情けない。
1月1日朝から腰痛である。薬はきちんと飲んでいるのだが、朝から調子が悪かった。椅子から立ち上がるのが辛い。
これはきっと、昨日啓樹、瑛汰と映画を見に出かけ、上映時間を待つために、伊勢崎・スマークの中を歩き回った後遺症である。私の腰は、まだ長時間立ち歩くのに耐えるほど回復していないらしい。

その腰を抱えて、今朝は同じ伊勢崎・スマークに餅つきに出かけた。午前11時からの回に、啓樹に杵を持たせようとの目的である。
10時過ぎに着いた。聞くと、杵を持てるのは先着20人。であれば、並ぶしかないではないか。
不調を訴える腰をなだめつつ、列に並んだ。腰が辛くなると、蹲踞(そんきょ)の姿勢を取った。つま先立ちし、かかとにお尻を乗せる座り方である。うんこ座りは美学的にできないという不自由な世代に私は属するのである。

と腰を労りつつ、でも、啓樹が杵を振るう姿はばっちり写真にした。執念と呼ぶべきか。

終わって桐生市役所に回る。ニューイヤー駅伝の中継点である。沿道にできた人垣をかき分け、啓樹を一番前に押し出す。ばっちり観戦できた。

という元日であった。
そうそう、自宅に戻って啓樹に日記を書かせ、かけ算の九九の8の段まで詰め込み、ドリルを3ページやらせた。できると、できるだけ大げさに褒めちぎる。啓樹は

「ボス、勉強って面白い!」

年頭から、私は教育ボスとなった。教育界のボスではないので、お間違いなきよう。

明日も啓樹と一日つきあう。2人の絆がさらに深まる……。