2012
01.27

2012年1月27日 気を取り直して

らかす日誌

昨夜は、まったくもって不本意な夜であった。
が、一夜明けた。気を取り直さなければならない。

そう、テーマは、「1968」(小熊英二著、新潮社)である。

この本が出たときから、

「読まねば」

と思っていた。1968年。私が現役で大学を受験した年である。得意科目だと思っていた数学で失敗、浪人生活をやむなくされた。私は、翌春の捲土重来を期すNobodyであった。

我が家は貧しかった。2度目の失敗は許されない。そんな重圧を感じながら、私はひたすら受験勉強に邁進、するのが普通である。だが、人間とはそんなに単純なものではない。
無論、それなりに勉強はした。予備校に通う経済的ゆとりはなかったから、卒業した公立高校が開いていた受験生用の教室に通っていた。現役の3年生と一緒に試験を受ける。その結果は、まあ、

「来年は大丈夫ではないか?」

という程度の成績ではあった。その程度の勉強はしていたのだが、世の中は揺れ動いていた。

 4月、マーティン・ルーサー・キング牧師が射殺された。
 5月、フランスで5月革命が起きる。1000万人がストライキに入り、学生が街頭を占拠した。
 6月、九州大学にF-4ファントム戦闘爆撃機が墜落。アメリカではロバート・ケネディが暗殺される。
 7月、プラハの春。
 8月、ワルシャワ条約機構軍がプラハに軍事介入。
 10月。カネミ油症事件。国債反戦デーに学生が新宿駅を占拠、騒乱罪が適用される。
 12月、3億円事件発生。

何とも騒がしい時代である。前年の1967年10月には、当時の佐藤首相の南ベトナム訪問を阻もうという学生たちがヘルメットとゲバ棒で武装し、羽田で機動隊とぶつかった。その中で京大生の山崎さんが殺された。

世は政治の季節だった。それが、私の青春時代である。そして私も、田舎の浪人生であったにもかかわらずその空気をたっぷり吸い込み、いつしか政治少年になっていた。

その時代を、桐生で知り合ったNHKの記者が

「接した中でいちばん頭のいい教授だった」

という小熊英二が読み解いた本。

「読まねばならぬ」

とは、出版(2009年7月)直後から考えていた。

ところが、である。この本、高い。何しろ、上下2巻。それが、それぞれ7140円もする。両方で1万4280円。おいそれと買える本ではない。

「こういう時は、Amazonで古本が出るまで待つ」

それが、私の処世訓である。待てば安く買える。だから、待った。購入したのは、古本価格が5000円ほどに下がった昨夏のことであった。それでも、この本に1万円前後を投じたわけだ。

「それなのに、どうして今ごろになって読んでるの?」

当然の疑問である。だが、なかなか手を伸ばさなかった私にも、当然の理由があった。

分厚いのである。上巻が1091ページ、厚さは5cm以上ある。重量は1.37㎏。下巻だって負けていない。1011ページの1.31㎏だ。机に向かって読書をする習慣をすっかりなくし、ソファーに寝そべるか、布団に横になるかで本を読むのに慣れてしまった私である。
ねえ、この本、どうやって読んだらいい? いつものスタイルだと、5分もすれば腕が痺れ始めるぞ!

というわけで、買ってはみたものの、手が伸びなかった。ずっと積ん読のまま放置されてきた。しかし、1万円も出して買った本を、ただただホコリにまみれさせ続けるのもいかがなものか。

今週明け、そんな結論に達した。「謎手本忠臣蔵」(加藤廣著、新潮文庫=これも大変に面白い本である。大道にだまされてもいいと思われる方は、是非ご一読を!)を読み終えたばかりであった。

それはいい。だが、そんなに分厚くて思い本をどうやって読むのか?
工夫をした。私の最大の読書時間は寝につく前である。場所は布団の中。文庫本や新書は片手で楽々持てるからこのスタイルで充分である。でも、厚さ5cm以上、重さ1.37㎏をどう扱う?

世の中、窮すれば通ず。

まず、左を下にして横になる。で、本を目の前に置く。その上で、偶数ページを読むときは、右手を使って表紙と一緒にそのページまで持ち上げる。こうすれば楽に読むことができる。
困るのは奇数ページを読むときだ。本を完全に開かないと読めないからである。だが、ここでは本の分厚さが助けになった。まだ、読み始めである。残りのページの方がはるかに多い。ということは、残りのページだけで
5cm前後あるということである。
私は、その5cmを利用して本を立てた。立ててしまえば、わずかの力で本を全開にできる。こうして奇数ページを読むのである。

読み進んで残りが少なくなれば、右をしたにして横たわり、それまでの逆をやればよい。人間、知恵を使えるのは生きている間だけである。

ということで、今日までに272ページを読んだ。読んで、何となく違和感を持ち始めた。それは……。

それは、明日書くことにする。しばしお待ちいただきたい。

 

日常に戻れば、今日は我が妻女殿の健診日であった。朝9時前に自宅を出て前橋日赤へ。送り届けたあと、私はけやきウォークに向かう。病院で待っていても仕方がないし、群馬でまともな本屋はここに入っている紀伊国屋だけなので、妻女殿の健診が終わるまで、本を選びながら時間をつぶすのである。

てなことをやって、自宅に戻ったのは午後2時過ぎ。仕事は休みのはずだったが、電話で数件、仕事の発注あり。こなしつつ、ギターの練習。

Old Love

はまだ完成しないが、

Oh, My Love
 Working Class Hero

を練習曲に加える。いずれもJohn Lennonの名曲である。これをマスターすると、演じられるのは

Tears in Heaven
 Layla
 Sanfrancisco Bay Blues
 Norwegian Wood

と合わせて6曲となる。

Here Cimes The Sun

も、何とかなるかも知れない。それに、

さようなら世界婦人よ
 ジェームス・ディーンにはなれなかったけど
 プカプカ

という日本の曲を合わせれば10曲。そろそろアルバムを作ることができる曲数だ。コンサートも……。

 

「是非聞きたい」

とお望みの方はご一報を。じっくりとギャラの相談をさせていただくことにする。