2012
03.25

2012年3月25日 お知らせ

らかす日誌

いくつかお知らせがある。

頭脳警察のリーダー、PANTAの桐生公演が決まった。

PANTA”ACOUSTIC”LIVE 2012

「響」というバンドを組んでいる菊池琢己と2人での、アコースティックライブである。

このツアーは5月12日、東京・曙橋 のBar461での”20th Anniversary Special Live”が幕開きで、その後北浦和、梅島、渋谷、柏、横浜と周り、

7月8日午後4時から、桐生の Villageというジャズバーで開く。客席は30席。チケットは前売り4500円、当日5000円。

ライブは、この程度の小屋で聴くのがいちばん気持ちがいい。狭いだけに、演奏家との一体感たるや、サントリーホールでは絶対に味わえない贅沢さである。
敬愛するEric Claptonのライブをこんな狭い部屋で聴けたら、私は悶絶するかも知れない。

当日は日曜日である。聞いてみたいと思われる方は、

Village 0277-43-2770

へ。
なお、この店はジャズバーである。夜しか営業していないので、電話はその時間にお願いしたい。

 

息子に、タバコを送らせた。20本入り1000円のプレミアム・ピースである。1本50円の高給タバコだ。

売り出されたことは知っていた。何かで、一部の販売店での限定発売、と知った。だとすれば、桐生のたばこ屋で売っているはずがない。

休日だった20日、息子に電話をした。

「あの、1000円のピースが欲しいんだ、買って送ってくれ」

息子は、さんざん迷惑をかけた父親の依頼を断るような悪には育っていなかった。

 「分かった。見つかったら送るよ」

それが今日届いた。5個である。

早速1個開封した。なるほど、1個1000円ともなると、こうなるか。濃紺の紙の箱を開けると、濃紺のアルミ缶のケースが出てきた。なかなか立派である。だが、

「おい、これ、タバコ吸っちゃったら何かに使えるんじゃないか?」

と妻女殿に入ってしまう私は、やっぱり小物である。

アルミ缶を開けた。強烈な甘い香りが流れ出す。バニラのような香りである。高級なタバコの葉というものはこのような臭いがするものであるか。これは楽しみである。

「どんな味がするのか」

早速1本引っ張り出し、ライターで火をつけた。これが50円、と思うと、ライターを持つ手が震える気がする。やっぱり、小物だ。

「ん?」

なるほど、上品な味ではある。やたらと問題になる副流煙も、心なしかやさしい鼻触りだ。だけど……。くゆる煙を見つめながら、思ってしまった。

「これ、50円の価値ある?」

この原稿を書くために、改めて1本に火をつけてみた。やっぱり印象は変わらない。

「これなら、昔10本60円だった『富士』の方が美味かったな」

私がその10本を吸い終えた直後、「富士」は店頭から消えた。当時の日本専売公社が販売をやめたためである。恐らく、当時としては高すぎてほとんど売れなかったのだろう。なにしろ、ハイライトが80円、ロングピースが100円の時代である。

しかし、と思う。
私は、今でもハイライトを吸っている。いま、20本入り1箱が410円。これが1000円になってもタバコを吸うか?
1日1箱として、1ヶ月に3万円。定年を過ぎた身にとってはなかなかの出費である。吸い続けられるか?

 

問題のOld Love。演奏速度を10%落とす(そういう再生装置を持っている)と、やっと10回に3回ぐらいは指がついていくようになった。もっとも、音の響きが何とも汚いのはいかんともしがたい。
ここまで来たらもう一息、と考えるのか。ここからが長い道のりだと褌を締め直さなければならないのか。
今週中には、演奏速度を落とさずにチャレンジしてみたいと思っている。

 

大阪の橋下というお兄ちゃんは、やっぱり信用できない。
今朝、新・報道2001を見ていたら、いま、憲法改正の発議は衆参両院議員の3分の2以上が賛成しなければできないが、これを過半数にすべきだと熱く語っていた。

この兄ちゃん、弁護士でもあるらしいが、歴史には疎いらしい。

なぜ3分の2なのか?
私は歴史に学んだのだと思う。あのファシズムを生み出したのも民主主義である。選挙で選ばれたナチス党が、制度に乗っかって独裁システムを整えた。
民意とは、時におかしな結論を出す、というのは歴史が教えるところなのだ。だから、どうしても守らなければならないものは、一時の民意では変えられないようにする。それが人間の知恵というものである。

あの小泉を押し上げたのも民意であった。民主党に政権を与えたのも民意である。多くの人は、それに懲りたはずである。一時の民意というものは、あてにしてはいけないのだ。

橋下兄ちゃんがいっているのは、一時の民意で憲法を変えてしまえ、ということである。歴史に学ばぬ者の暴論、暴論というほかない。

ま、一時の民意に乗っかって踊っている政治家だから、論理は一貫しているが。

 

長女の旦那のおばあちゃんが亡くなった。ために、明日、長女一家が我が家に来る。啓樹、嵩悟と会うのは正月以来である。
明後日が通夜。私も顔を出す予定である。