2012
10.20

2012年10月20日 なんともはや

らかす日誌

とひたすら嘆くしかないのが、いまの日本国民である。

今朝の読売新聞に、多くの方々に是非知っていただきたい政治ニュースが2本もあった。読売をお読みでない方のためにここでご報告する。

1本目。

「首相、谷垣氏に『予算編成しない』」

という記事である。公明党の山口代表が明らかにしたとある。
それによると、8月8日の党首会談の際、我らがドジョウ首相は自民党の谷垣総裁に向かって

「2013年度の予算を編成することまではしない」

と語ったという。この記事によれば、これが「近いうち」解散の中身らしい。

国の予算編成は通常、年末に最後の攻防を迎える。予算を何とか1つでも沢山取りたい各省庁と、1つでも削りたい財務省がしのぎを削る。最近は政府の手元不如意のため盛り上がりは少ないが、一昔前まではいい歳をした官僚が、深夜まで霞ヶ関を走り回ったものだった。

つまり、その時点で最後の攻防をするためには、12月20日前後までに事務方の交渉はほぼ終わりを迎えていなければならない。ということは、ドジョウ内閣は少なくともその少し前までにはめでたく消滅し、新しい内閣が誕生していなければならないのである。
巷間では、12月9日投票という説が最もらしく語られているが、それはぎりぎりのタイミングで、ドジョウが党首会談でしゃべったとおりにことが進むとすれば、少なくとも11月中には選挙をしておかねば間に合わないことになる。

そうか、だから谷垣は信用したのだ。永田町、霞ヶ関で暮らしている以上、ドジョウの話は、一定の日弦を区切って衆議院の解散・総選挙を約束したと受け止めるのがあたり前である。

それなのに、だ。19日の3党党首会談で、ドジョウは年内解散を約束しなかった。その挙げ句、記者団に向かって

「予算編成をしない政権は政権ではない」

と言い放った。そりゃあ、自民党、公明党がまなじりを決して怒るのはあたり前である。

確かに、予算編成をしないことについて書き物を残したわけではなかろう。だが、この間の流れを見ていれば、ドジョウがそういったと解釈した方が、野党の動きも含めて分かりやすい。それに、選挙になれば必ずずっこける民主党に、来年度の予算を編成する正当性があるとも思えない。

今となっては、いった、いわないの水掛け論になるのかも知れない。こんなきたない手まで使って政権を延命させようとするドジョウの性癖を知らなかった谷垣さんは甘いともいえる。

さてドジョウは水掛け論に持ち込んで逃げるのか。そりゃあ、水の中だったら、元々水生動物のドジョウの方が強いのは分かるが。

しかし、あれだね。一昔前だったら、きっと教育熱心な方々がドジョウを突き上げていたね。

「一国の首相が、平気な顔をして嘘をつくとはなんたることか。次代を担う子供たちに、嘘をつけと教えているようなものではないか」

って。
もっとも、最近の国際情勢を見ていると、平気で嘘がつける人材を多数抱えないと、国際社会では大きな顔ができないかも知れないが。
そこまで考えて行動しているとしたら、ドジョウはただ者ではない?

 

2本目。
これは一部のほかの新聞にもあった。

「山中教授に洗濯機 内閣有士16人、各1万円カンパ」

呆れた。何と鈍くさい連中の集まりであることか。この方々、ユーモアを理解する能力すらないらしい。

ノーベル賞受賞の連絡が電話で入ったとき、山中教授は自宅の洗濯機を修理中だった。いまや、日本中に知らない人がいないほど有名なことである。

だが、山中さんは何故そんなことを記者会見でしゃべったのか?

恐らく、照れ隠しである。
洗濯機など修理してはいなかった、というのではない。修理中だったことは本当だろう。だが、記者に

「知らせはどこでお受けになりましたか?」

と聞かれた山中さんは、できるだけ軽く表現しようとした。受けた賞の重みを、日常生活の些事を語ることで、できるだけ軽くしようとした、山中さん一流のユーモアである、と私は思う。あるいは、受けた賞の重みから来る重圧をかいくぐるため、あえて軽く受け流そうとする、一種の防御反応かもしれない。

ま、いずれにしても、山中さんは、本当に洗濯機が壊れたのなら、買い換えるぐらいの資力はあるはずの人である。それなのに、何をトチ狂って、閣僚ともあろう連中が、金を出し合って洗濯機を贈るのか?
山中さんはどんな顔で目録をお受け取りになるのだろう。くれるというのだから嫌な顔もできず、かといって真意が測れないから満面の笑みもできない。きっとも呆れていらっしゃると想像する。
これではシャレにもユーモアにもならないのである。

田中という、暴力団のお友達が仲間内にいたことが分かったばかりの方々の、山中人気に便乗して支持率回復を図りたいという薄汚い本音ばかりが目につく、お粗末なエピソードである。

 

最後にちょっぴり酒の話。
17日、18日と飲み会が続き、昨19日。夕方になって、妻女殿からのご下問があった。

「今日はお酒、どうするの?」

私は

「どうでも」

と答えた。食卓に着くと、ビールが置いてあった。3日連続の酒となった。

そして今日。やはり夕方に同じご下問があり、同じ答えをした。
なのに、食卓に着くとビールは影も形もなく、晩酌抜きの夕食であった。

ま、それはいい。しかし、同じご下問に同じご返答を申し上げて、どうして結果が違うのか?
どう考えても分からない私である。

まあ、妻女殿の頭の構造を理解するのは永遠に無理かも知れないが。