2012
11.20

2012年11月20日 夜露

らかす日誌

が降りるようになった。
毎朝、私の車はしっとりと濡れ、乾くと細かな汚れがこびりついている。

「おい、日曜日に洗車したばかりだぞ!」

と怒鳴りたくなるが、怒鳴っても空しい。季節は巡る。今年もそんな季節になったというだけである。

夜露、とは秋の季語であるそうな。が、気分はもう冬だ。私は昨日から、マフラーを首に巻き始めた。御存知の通り、桐生が誇る松井ニットのマフラーである。昨日から巻いているのは、スペシャル版。松井ニットがスペインのプラド美術館の求めに応じて作った美しい色合いの逸品である。
これで私の松井ニットマフラーは、4本になった。桐生に来るまでは、マフラーを巻く習慣がほとんどなかった私なのに、いまはマフラーのお洒落を楽しむ。
人間、変われば変わるものだ。まだ松井ニットのマフラーをお持ちでない方は、是非お求めいただきたい。通販もやっている。

 

と、移りゆく日本の四季を楽しみたいのに、世の中はつまらぬ選挙騒ぎである。人の世とは、何とも煩わしいことの連続だ。

しかし、いま選挙をして、何を選べというのか?

私は、いまの時点での増税には反対である。とすると、民主も自民も、まあ、何があろうと絶対投票することはない公明も、すべて私の選に漏れる。何しろ、この3党の談合で、増税が決まったのである。

とすると、この3党以外に投票するしかない。が、「第3極」などとメディアが持ち上げる日本維新の会は願い下げだ。
元々の維新の会は、元テレビタレントの人気にあやかろうという有象無象、ま、はっきり言ってしまえばゴミのような野心家が集まっただけのグループである。大阪府知事の品のない顔が象徴する。
そこに合流した太陽の党は、生き恥をさらし続ける老人たちの茶飲み話の会だ。いっそのこと、「老人党」を名乗り、老人パワーで生意気な若い連中を懲らしめ、老人が豊かに健やかに過ごせる社会を作ろう、とでもいってくれれば注目を集めたかも知れないが、老人の元都知事が、相対的には若い大阪市長に媚びを売った時点で終わりである。
ねえ、太陽の党、なんてご大層な名前をつけたけど、いまでも臨戦態勢を整えた逸物で障子紙を破る自信はあるのか? バイアグラかシアリスのお世話にならねば臨戦状態を作り出せなくなったじっちゃんたちは、最初から名前負けなのである。

 

「で、大道さん、選挙、どうするのよ」

と聞く者がいる。聞かれれば、答えざるを得ない。

「チェンジ、といえば、これから良くなるというイメージが横行していた時代に、あ、そうか、悪く変わることもあるんだ、と教えてくれた民主党に投票する気はない。ドジョウの顔を1日も早く忘れたい」

「一度壊れたものは2級品である。修理して店頭に並べても、修理済み品としてずっと安い価格で売られる。そういうセコハンを党首に担ぎ出した自民党は、政党の態をなしていない。ましてや、解散を巡る党首討論で、セコハン党首は馬脚を現したではないか。16日解散といわれたときの慌てぶりは目もあてられなかった。肝が据わっていない。頭の回転が鈍い。こんな奴に日本を任せていいのか?」

「第3極は論外である。ヨボヨボとガラクタの野合にあんたは希望を託せるのか? もしそうなら、どうしようもない楽天主義者だな」

だったら、どうするのよ。群馬2区には、自民党の若造と、民主から維新に鞍替えした軽薄才子と共産党しか出馬しないのよ。ドジョウの民主も誰かを担ぎ出そうとしているというけど。

「そこだよ。投票する先がない。それが問題なのだ。棄権する? それも一案。が、もし投票所に足を運ぶとすれば、選挙区は白紙、あるいは安堂と書いて出す。比例区は、そうねえ、『国民の生活が第一』と書くのかな」

 

そうそう、小沢さんの無罪が確定した。めでたい。
何度も書いたが、小沢事件とは、小沢に権力を持たれては困ると考えた検察庁が、総選挙直前に、選挙を経れば政権党になるに決まっている民主党の党首を立件した、異例の事件である。政治色が極めて強い。

その検察の暴挙の尻馬に、マスメディアがこぞって乗った。おいおい、それは暴挙だぞ、という論を張ったのは、私の知る限り、週刊朝日と週刊ポストしかない。

威信をかけて捜査したはずなのに、検察は立件できなかった。代わって登場したのが検察審査会という、わけのわからない組織だ。起訴すべきだと結論づけ、弁護士が検察官に変わって小沢さんを起訴した。

おいおい、弁護士って、被告の人権を守るのが原理原則じゃなかったのか? 犯罪者を作り出すのは検察で、あんたらは国家権力から被告を守る立場じゃなかったのか? それが検察に成り代わって犯罪者を作る?
と、私は大いに違和感を持った。なにの、マスメディアは、違和感を持たなかった。相も変わらず、天下の極悪人・小沢、のイメージを作り続けた。

こんなメディアはいらない

極めて残念なのは、もし小沢さんが被告になっていなかったら、いまの政治状況が全く変わっていた可能性があることだ。何事もなく選挙が行われ、民主党が地滑り的大勝利を収めていたら、党首だった小沢さんは当然首相に就任していた。私たちは火星人の首相も、原発に強いと思い込んでいる菅違い首相も、ドジョウ首相も見なくてすんだはずだ。そうすれば、世の中はもう少し住みやすかったのではないか。少なくとも、票を投じる先がない選挙に直面させられなくても済んだのではないか。

歴史に「もしも」はない。
だからこそ、検察とマスメディアは、いまの惨状をもたらした己の罪をもう少し自覚すべきである。口をぬぐえば済む話ではないはずだ。

 

そうそう、政府が、国家公務員住宅の家賃を2倍に引き上げるそうだ。
ねえ、国家公務員の給与は、一部を除いてそれほど高くはない。だから、国が作った官舎、役所から近いところに住まわせ、一旦緩急あれば役所に駆けつけて国家万民のために働くべし、というのが、いまの公務員住宅の家賃の根拠であるはずだ。

それを2倍に引き上げ、民間並みにする。
さて、そんな高い家賃の住宅に住める公務員はどれほどいるのだろう。安い家賃を求めて、役所から遥か離れた場所に住宅を求める公務員が増えるはずだ。となると、東日本大震災、それに伴う福島第一原子力発電所の事故のような惨事が起きたとき、何時間たっても役所に人がいない、なんてことになってしまわないか?

そもそも、こんな低待遇になって、国家公務員になろうという優秀な人材が現れるのか? 気がついてみれば、民間はどこも雇用しない、能力に劣った人間ばかりが霞ヶ関に巣くうことにならないか?

無理に無理を重ねて消費税率を引き上げる副作用が、これから各所に現れる。国民のご機嫌を取りつつ金を取り上げる政府が続く限り、同じ事は随所に起きる。

さて、この悪循環を断ち切る政治を、我々は生み出せるのか?

ほとんど絶望しながら、これを書いている。