2013
03.28

2013年3月28日 気楽な稼業

らかす日誌

とは、かつて植木等が

  二日酔いでも寝ぼけていても
  タイムレコーダー ガチャンと押せば
  どうにか格好が つくものさ

 とドント節で歌ったサラリーマンということになっていた。

私も、長年のサラリーマンである。この歌にやや違和感を抱きながらも、

 「ま、そんな面もあるかな」

と思わないでもない。
何しろ、ウォッカを飲み過ぎ、自宅に戻って布団に入ったら天井がグルグル回り出し、

「おい、ドラえもんのタケコプターは頭にくっついた羽根が回るんだよな。何で天井が回る?」

と必至に思考しながら眠りに引き込まれ、翌朝はご多分に漏れず、ガーンという頭痛と吐き気にヘロヘロになりながら、それでも何とか職場までたどり着き、人目を避けて夕方まで布団に潜り込んだのは私である。

もっとも、時計の針が午後6時を回ると、

 「ビールの2,3杯ならいけるんじゃない?」

と夜の巷を目指したのも私である。ま、私も若かった

しかし、類い希な知性と教養を備え、複雑怪奇な紛争に決着をつけたり、見も知らぬ他人に刑罰を宣告、時には

「お前はもう死んでいる!」

とばかりに死刑を宣告される裁判官の皆様が気楽な稼業をしていらっしゃるとは、ついぞ思い浮かばなかった。

このところ、先の衆議院選挙への違憲判決が相次いだ。中には、選挙の無効を言い渡した裁判官もいらしゃった。
今朝の朝日新聞のまとめでは、先の選挙は違憲で無効であるという16件の訴訟に対し、3月6日以降判決が相次ぎ、27日に出そろった。

違憲状態;2
違憲;12
違憲・選挙無効;2

ははあ、国の3権の一つを担われる裁判官の方々も、無為無策の国会に怒り心頭に発しておられると、メディアは報じた。

ふむ、メディアに巣くう方々は、よほど単純な頭をしていらっしゃるのに違いない。自らが正義を担っていると思い込めば思い込むほど、人は単純になってしまうものである。

16件の訴訟があって、16件すべてに違憲判決が出る。これって、だと思わない? 民主主義って、多様な意見、見方があって初めて成立するものだと思っていたけど、その一翼を担う裁判所には多様な意見はないのか?

無論、私だって、1票の重みに格差があるのはおかしいとは思う。しかし、そのおかしさはずっと昔から続いてきたことだ。何度も裁判になり、

違憲とまではいえない

 違憲状態だが、無効ではない

など、様々な判決が出てきた。
そのたびに、単純正義派である私は、自らはほとんど投票所に足を運ばないのに、

「おい、裁判官、何でこれが違憲じゃないの?」

 「違憲であることは認めているのに、どうして『無効だ』と宣言できないの? あんた、キンタマある? あ、女性判事だっけ?」

などと憤ってきた。
それなのに、この、今年3月の一連の判決は、どうにもしっくり来ないのだ。
なんで、みんな一斉に違憲派になっちゃったの?

国の基本を定める憲法76条には、次のような既定がある。

すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

そう、裁判官とは、何ものにも縛られず、憲法と法律の枠内で、自分の判断だけに頼って判決を書けということだ。
さて、良心に従ひ独立している16人が、一つの問題に対して、全く同じ判断をすることがあるだろうか? 普通はない。
16人もいれば、どんなにいい女が目の前にいても、1人や2人は

「あれ、俺の好みじゃない。美人じゃねえよ」

と言い出すヤツがある。それが世の中であり、だから世の中の平衡が保たれているのだ。
そもそも、16人の女が集い、

「やっぱり、大道さんじゃなきゃだめ!!!」

なんていうようなことになったら、私の身が持たないではないか。どんな16人の女が寄り集まっても、私を目指すのは5、6人に限られていたから、私はこの年まで生き延びることができたのである。

なのに、16件の裁判がすべて、大きくくくれば同じ判決……。
いや、私は、いまの状態は違憲であると思う。ドジョウ元首相が、定数是正をしないまま解散したのは、許せない暴挙だと考える。
それでも、こんなに足並みがそろうか?
多様な価値観、多様な判断が求められる裁判である。違憲10件、違憲とまではいえない6件、あたりが、落ち着きどころではかったのか?
16件全部が違憲……。

これって、ひょっとしたら談合?

「あのさ、俺も来週判決を言い渡さなきゃいけないんだけど、あんた、どうする?」

ってな電話が、16の裁判所の間で飛び交ったのではないか?

「あ、そう、あんたは違憲状態で踏みとどまるんだ。だったら、俺は違憲まで踏み込むかな」

 「えっ、11月までに1票の格差是正が行われなければ無効? ふーん。よし、俺ンところは即時無効、ってやっちゃおうかね」

てなことではなかったのか?
おいおい、裁判官さんたちよ、あんたたち、本当に独立してんのか? 自らの良心に従ったのか? 世の流れに身を任せただけじゃないのか?

世の流れに判断を任せるだけで法服を身にまとえるのなら、その仕事はサラリーマン以上に気楽なものである。サラリーマン、二日酔いの朝もあれば、仕事に追われて早朝から深夜まで、冷や汗を流しながら働く日もある。何しろ、いずれは成果が問われるのだ。

仲間内で談合して、ちょいちょいとパソコンのキーボードで判決文を仕上げる。であれば、サラリーマンを遥かに超える気楽な稼業だといわれても仕方がない。

 

念のためだが。

恐らく、こうした私の受け止め方に対し、

「16の裁判所がそろって違憲と言わざるを得ないほど、現状はひどいのである。16すべての裁判所が違憲と判断したことの重みを理解しないアホウ」

という罵声が、私に浴びせられるのではないか、とも思う。

全会一致というフィクションがお好きな方は、私を馬鹿ともアホウとも呼んでもらって全く構わない。
私は、

「月光仮面が好きだったのは子供のころだけ。成長するって、月光仮面だけじゃ世の中は成立しないってこと知ることなのだよ」

と、ひとりうそぶいていよう。