2013
05.18

2013年5月18日 判で押したような

らかす日誌

規則正しい生活を続けている。今日も同じだ。

違ったのは、目覚めが午前8時を過ぎたことぐらい。

「子供みたいに寝るのね」

目が覚めたら、足元で妻女殿が蔑みの笑みを浮かべていた。8時過ぎまで熟睡していたのを揶揄しているらしい。
ふん、勝手にほざいておれ。昨日、布団に入って読んだ本が面白く、ついつい眠りにつくのが遅れただけなのだ。誰に迷惑をかけるわけでもなし、放っておいていただきたい。

で、新聞をながめながら朝食だ。今朝はたいしたニュースはなかった。終えてトイレ、歯磨き、着替え。

ここまでも変わり映えのしない1日の始まりなのだが、一連の儀式が済んでも、判で押したようなスケジュールが続く。

顔を洗って直行するのは、デスクである。で、数学の問題集とノートを開く。すでに46ページまで解き進み、今日は47ページ。「関数と図形」の章だ。1次方程式、2次方程式のグラフがあり、その交点でできる図形の面積を問う問題がやたらと多い。これが流行なのか?
中学生向けの問題である。なのに、60を過ぎた私が結構苦労する。

「おいおい、こんな問題を決まった時間に解かないと高校に入れないのか?」

解きながら、国立、難関私立の高校に合格した俊才たちを思う。どうやら、私とは違った能力持つ人々であるようだ。
そういえば、最近はトンと私の日誌に登場しなくなったが、かつでデジキャスで一緒に仕事をしたH氏は、麻布の卒業生だった。あいつ、こんな問題をすらすら解いていたのか。
だとすると、こんな問題をすらすら解くことにどんな意味がある?

と毒づいてみても、問題の難しさがなくなるわけではない。

ふと気がつくと、もう昼食の時間である。ということは、2時間以上も数学に熱中し、この間解けた問題はたった3題。明晰だった我が頭脳も、やっぱり衰えが来てるのかね……。

昼食を済ませ、妻女殿の求めに従って食料の買い出し。妻女殿の足が弱って以降は、買い出しはもっぱら私の仕事である。
帰宅してからは、録画したブルーレイの整理が待っている。データベースに登録し、ディスクには写真、タイトル、制作年、監督、上映時間、場合によっては受賞実績をプリントする。

終えてギターの練習。定番の運指練習の後、今日は押尾コータローの「黄昏」、LED ZEPPELINの「Stairway to Heaven」、もちろんEric Claptonの「Tears in Heaven」も入れて、たっぷり2時間。

すると、もう風呂の時間だ。出るとNHKで「八重の桜」が始まり、見ながら晩酌、夕食。そして、今。

こうして記述してみると、全く時間のゆとりがない。昨日も同じで、違うのはブルーレイの整理をせず、庭の草取りをしたことぐらいか。あ。ギター練習が、多分3時間。

休日をこれほど規則正しく過ごしている御仁が、ほかにいらっしゃるだろうか?
何故か、判で押すことに関しては胸を張りたい私である。

そうそう、昨日は夕食後、覚悟を固めて「シンドラーのリスト」を鑑賞した。あえて書くまでもなく、スピルバーグ監督の作品で、1993年のアカデミー賞作品賞監督賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞、美術(装置)賞、編集賞を得た秀作だ。上映時間3時間15分。これは、覚悟を固めないと鑑賞できない長さである。

封切られたころ、映画館で見た記憶がある。あれは、確か名古屋だったか。2階席の後ろの方で見て、余りの長さに昼寝をしてしまった私であった。

しかし、昨夜は違った。何故か全く退屈せずに最後まで見通した。
繰り返されるユダヤ人虐待。それに向かって、ナチス党員の経営者の立場を生かして一つでも多くの命を救おうと奔走するシンドラー。
戦争が終わり、ユダヤ人を生かすために経営を続けてきた工場を

「今日から私は戦犯である」

と宣言して去るシンドラーが、

「もっと沢山の命が救えたはずだ。この車を売っていたらあと10人、金でできたナチスの党員章を売っていたら1人……。もっと多くの命が救えた」

と泣き崩れる場面では、私の瞳もウルウルしてしまった。シンドラーはこの工場で、1100人のユダヤ人の命を救った。

強いていえば、あまりに善人と悪人がはっきり分かれすぎているため、平板な印象がつきまとった。
何故シンドラーは、世の大勢に逆らってユダヤ人を救ったのか。国の政策に背くことに迷いはなかったのか。シンドラーは悩まなかったのか、恐れなかったのか……。

稼いだ金をすべてつぎ込み。毎夜も恐れも見せずにユダヤ人救済に奔走するシンドラーは、嘘っぽい英雄に見えなくもない。
ねえ、シンドラーさんだって人間だもの。迷ったり、怖がったり、時には道を踏み外したりしたはずで、そんなシンドラーさんだったらもっと信頼できたと思うのだけど。

さて、今日も映画の時間が近づいた。
日誌を書き、映画を鑑賞し、布団に入って読書し、寝る。

判で押したような私の暮らしは今日も続く。