08.18
2013年8月18日 オレって老人?
いや、私が自問自答しているのではない。そういうタイトルの本が出たのだそうだ。今朝の読売新聞読書欄で知った。
著者はタレント? イラストレーター? の南伸坊氏。なんでも、彼は現在66歳というから、私より2歳上。昭和22年の生まれか。その南氏が、50代後半から現在までの自分を観察した記録集なのだという。
・紙めくれない問題
・頭髪問題
・忘却と追憶問題
・水道水不人気問題
・現代日本語問題
・同窓会問題
・ジジサマランチ問題
・ジジババの組み替え問題
と、老いが忍び寄ると沸き起こる様々な問題を抱腹絶倒の筆致で分析してあるらしい。
読んで、思わず
「買おうか」
と思った。次に
「待て、待て」
と逸る自分を抑えた。
ま、2年年長の先輩が、己の老いとどう対話されておるのかは、極めて心引かれるところではある。50代後半から、といえば、すでに私も通り過ぎてしまった日々がかなり含まれているだけに、
「あんたはどうだったのよ?」
と問い合わせる心持ちで活字を追ってみようかとも思う。同病相憐れむのは高齢者の特質である。飲み屋で病気自慢をしあうのは病人の特質である。
だが、である。
私は紙がめくれなくて困ったことはない。めくりにくいときは指をつばで塗らす。私の行儀が悪のではない。めくりにくくくっついている新聞紙、本の紙が悪いのである。
頭髪も、色変わりを無視すれば、500円禿げどころか、薄くなったところもなく、
「夏でしょ。暑いんだ、俺、髪多いし。沢山すいておいて」
と理髪店に行くたびに声をかけてすきばさみを使わせる。
忘却はする。追憶は、ほとんどしない。
水道水は飲まない。もっとも、煮炊きには水道水しか使わない。
現代日本語? 私が日誌で使う日本語が、ほとんど唯一正しいと思い込んでいる私には、日本語問題はない。若者の言葉が分からなければ
「どういう意味?」
と聞くだけである。言葉とは、時代とともに変容するものなのだ。
同窓会。参加しないから問題が起きるわけもない。
ジジサマランチ、って何だ? 私のランチはほぼ毎日、妻女殿の手作りである。日によって出来不出来はあるが、特に問題はない。
ジジババの組み替え? 意味分からん。
と考察をしてきて、
「待て、まて」
となった。俺に当てはまるの、ほとんどないんだもん。
南さん、あんた、俺よりずっと老化の速度が速くないか? とはいえ、亀もいつかはウサギに追いつく。とすると、あと10年もしたら俺もそんな問題を抱え始めるのかね?
と、笑い飛ばしながら、やっぱり買ってしまいそうな自分がいる。その「自分」って、誰なんだ……。
喜ぶべきことに、中学数学はすでに角度の問題、線分の長さ・図形の面積、図形の証明と、幾何部門を順調にこなし、現在円に入っている。これが終われば空間図形、立体の表面積・体積を残すだけである。
計算問題は何とかなるだろうが、幾何は……、と懸念しながら始めた作業であるが、驚いたことに幾何も何とかなっている。ま、1題解くのに2時間、3時間かかることがざらで、
「高校受験生って、こんな問題を規定時間中に解いてしまうのか」
と驚きながらの作業ではあるが。
ついでに書くと、数学の問題と取り組むのは楽しい。コンパスと定規を使って作図し、その図を見ながら
「これとこれは同じ弧の上に立つ円周角だから角度は同じだ。で、この中心角はその2倍と。でも、これだけでどうやってこの角度を出すんだ?」
とあれこれ考える。行き詰まるともうひとつ同じ図を描いてにらみつけること20分。
「あ、こんなところにヒントがあるわ!」
と発見したときの歓びはかなりのものである。
学生時代にこの歓びに目覚めていたらよかったのに、とつくづく思う。
が、数学にのめり込んで椅子に座る時間が長くなったためだろうか、最近、腰の具合が今一だ。痛んで動けないということはないが、何となく存在を主張する。
そういえば、腰の薬が切れかかっている。明日は整形外科に行かねばなるまい。
「先生、数学は腰に悪いですか?」
とでもお尋ねしてみるか。
そうそう、明日は同業者の送別会も開かれる。というか、私が開かせる。ために、整形外科のあとで松井ニット技研に行かねばならない。記念品のマフラーを買うためである。無論、全員からのプレゼントなのであるが、買い出しは私の仕事として定着をしているのである。
というわけで、明日は多忙である。といっても、皆様方の10分の1も働かないのだろうが。