08.20
2013年8月20日 送別の宴
神がかり的な勝利を重ねている前橋育英高校を横目に、昨夜は送別の宴であった。
いや、しかし。前橋育英、何であんなに勝っちゃうのかね? って、桐生に住まうことがなければ、きっと考えもしなかったろうし、テレビで試合を観戦することもなかったであろう私が、やっぱりそう思う。
横浜戦で敗退か、と思っていた。常総学院に勝てるはずはないよな、と諦めていた。それが、9回2死から、相手のエラーを足がかりにまさかの同点、延長での逆転勝利。
桐生は、球都を自認する町である。このところ、何処に行っても
「見ました? 前橋育英?」
という話題が必ず出る。
「なんかねえ、桐生第一が優勝したときと似ていてね」
と早くも前橋育英の全国制覇を予言する声すらある。
「だって、あれ、前橋ジャン。桐生じゃないのに萌えるわけ?」
と茶々を入れても通じない。やはりスポーツとは参加するものではない。勝つべきものである。勝たねば誰も相手にしてくれない。勝てばみんなが、昔からのファンのような顔をしてくれる。
私も明日の午前11時からはテレビの前に釘付けになる運命である。
「そういえば、『今日の日はさようなら』って歌があったよな」
とふと思ったのは、前橋育英が甲子園で快進撃を始めるずっと前のことだった。19日は送別会。20人ほどが集まるというから、ギターを持ち込んで全員に合唱させるか。
ネットで歌詞とギターコードを探した。ある、ある。いっぱいある。コードを見ながらギターで音を出す。冴えないコード進行を堂々と掲載しているものもあれば、洒落たアルペジオをタブ譜でのっけているページもある。
その格好いいのを見ながらギターで音を出し、一部声も出しているうちに、ふと正気に戻った。
「送られるヤツはまだ20代だが、送る方は大半がオヤジだぞ。オヤジがだみ声で『今日の日はさようなら』を合唱する? 美しくない! 醜い!!」
正気に戻った私は、そこで断念した。はずだった。
確か、16日のことである。出先で、送別会に参加する3人ほどと顔を合わせた。
「てなことを、ふと思いついたんだけど、よくよく考えると美しくないよね。だからやめにした」
何の気なしに話したら、同席者の顔色が変わった。
「大道さん、やりましょ。俺、フォーク世代なんです。歌いたいなあ」
といったのはアラ還のオヤジであった。
「えっ、その歌知らないなあ。楽譜があったら歌えるんだけど、ありません? 歌いたい!」
と身を乗り出したのは、20代の女性であった。
「君ら、本当に歌いたいの?」
「歌いたい!!」
美しさに関する感覚、つまり美感というものは人によって異なるらしい。20代の女性が主体なら、そんなシーンがあってもいい。だが、大半がオヤジの集団が、この歌を歌う? 歌いたい?!
私は、私の持つ美観が、彼らのものより遥かに優れたものであると信じる。が、こうなったら、個人的な美感はどこかに置き忘れてくるしかない。
「じゃあ、やろうか。全員に歌詞カードを配ってな」
弱い私である。
こうして昨日を迎えた。
午後4時過ぎ、ネットで歌詞を探す。25部印刷する。
次はギターコードである。不思議なことに何種類もある。一つ一つ音を出しながら確かめ、一番響きがいいのを選び取った。
ついでに、アルペジオのタブ譜もプリントして弾いてみた。なかなかいい。が、これから30分の練習で、アルペジオの伴奏ができるはずもない。しかも、実際に伴奏するときの私は酔漢である。ギターなどまともに弾けるはずがない。
「ま、味も素っ気もないが、コードだけの伴奏としよう」
会場に着いたのは午後6時を少し回ったころだった。予定は6時半から。まだ時間はある。ギターを取り出し、全員に配る歌詞カードを……。
ない。
25枚プリントした歌詞カードも、
「楽譜があれば歌える」
といったお姉ちゃんのためにプリントした楽譜も、アルペジオの楽譜も、すべてない。
「忘れてきた!」
大事なものを忘れる。ある年代になるとしばしば見られる現象である。なーに、そんな私を笑っているあんただって、必ずそんな年代になる。笑い事ではなくなる年代になる。
といってみたところで、歌詞カードが出て来るわけではない。
全員が必ずそんな年代になる。その時、人の価値を決めるのは、加齢とともにどれだけの知恵を身に備えたかである。何を忘れようと、忘れた状態から抜け出す知恵を身につけておけば怖くはない。
「大将、パソコンある?」
忘れる以上に知恵が勝る私は、直ちに対処法を思いついた。歌詞カード? そんなもん、そもそもはネットから拾ってきたものではないか。私は店主に声をかけた。
「ありますけど、何か?」
ホッとする。
「プリンターもあるかな?」
求めるは歌詞カードである。紙に印刷できなければ意味はない。
「はあ、それも」
最後に勝つのは愛ではない。知恵である。
全員合唱の部は、全員の挨拶が終わり、送られる若者の挨拶も終わってやってきた。
私がギターを弾く。かなり酔ってはいるが、まあ、コードぐらいなら何とかなるだろう。前奏もへったくれもない。
「はい、いち、に、さん」
で、みんなが歌い始めた。私は歌わない。ただギターをかき鳴らすだけである。歌ってしまったら、ギターを間違えそうで怖い。
無事、2番まで歌い終えた。ふと目をあげると、みんな笑顔だ。
「こんな送別会、初めてじゃないか?」
と言う声が聞こえる。
送られる若者がやってきた。
「ありがとうございました。こんなに温かく送ってもらえるなんて……」
ま、君の人柄だろうよ。ん、俺の人柄か?
「あっ、これがギターのコードですか」
彼は、私が歌詞カードにギターコードを書き込んだ紙を見つけた。
「酔ってるからさ。これ、見てないと間違えちゃうもんな」
「あのー、これ、いただいていいですか?」
「いいけど」
「記念にします!」
あ、そうそう、松井ニットのマフラーも、ちゃんと買っていった。
「彼のスーツは紺ばかり。だから、紺に合いながらも、どこか挑戦的な色柄であるこれを選びました。紳士から、挑戦的な紳士への脱皮を願ってのことであります」
私ながらそういったのは、もちろん口から出任せである。まんざら嘘ではないが、さて、これまで送った連中に、どんな色柄を選んだのかトンと記憶にない私が、
「多分、この色は選ばなかったと思うよ」
と選んできたものに、講釈をつけたに過ぎない。
前の女に贈ったマフラーと、次の女に贈ったマフラーが一緒だと、もしかして2人が鉢合わせしたときに困るじゃない?
といえば、私の気持ちをご理解いただけるであろうか。
かくして送別会は済んだ。
と思ったら、本日夕、桐生市の元有力者O氏から
「明日の晩、飲まない?」
との電話。
夜だけは多忙な私である。