2013
08.28

2013年8月28日 麻生太郎

らかす日誌

というと、総理大臣を務めた人間であるにもかかわらず、一般受けは極めて悪い。
それはそうである。
漢字が読めない。

踏襲→ふしゅう
詰めて→つめめて
参画→さんか
未曽有→みぞゆう
順風満帆→じゅんぽうまんぽ
決然→けんぜん

ネットでちょいとググると、こんな読み間違いがいくつも出て来る。
テストなら、すべて×である。これだけしか問題が出なければ、テストは零点である。そりゃあ、日本国の首相としてはいかにもまずいだろう、というのが麻生イメージをつくってしまった。

 「爺さんが吉田茂? 誰の孫だろうと、バカはバカだろ?!」

ってなものである。ま、そりゃあそうだ。

元々が大金持ちのボンボンである。

「富裕な者が天国に至るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」

と、あのキリストもおっしゃっておる。もともと、彼の財布で飲み食いする栄に浴す場所にいない人からは、うらやまれる分だけ嫌われ、蔑まれる星の下に生まれた人である。

それが、漢字が読めない。
ばかりか、副首相になったら、ギャングファッションが話題になった。いや、先日の、改憲に絡めたナチス発言も、

「太郎ちゃん、ようやるわ。バカはどこまで行ってもアホやね」

と国民を笑わせてくれた。

ところが、である。

「麻生太郎、ひょっとしたら案外まともなヤツではないのか?」

と、今日にいたって私は考え込んでしまった。きっかけは東京新聞の記事である。

松江市教育委員会の事務局、というから、市職員、あるいは先生のなれの果てである。彼らの事なかれ主義、長いものには巻かれる主義、大きな声を出す輩にひれ伏す主義が、あの漫画の名作「はだしのゲン」に再び焦点を当ててしまった。何をいわれてもひたすら頭を下げて放って置けば良かったものを、追い込まれて配下の小中学校に

「閲覧を制限せよ」

と通知してしまった。どう考えてもアホの極みとしかいいようがない。

いや、何らかの主義主張を持って、あるいは歴史認識を持っての通知なら、まだ評価のしようもある。だが、どう見ても、自分を平穏無事にな場所に起きたいがためだけの通知だから、評論以前に

「アホ」

というしかない。
ま、それに対し、問題の本当の姿に眼を向けず、

手続きミス

を理由に通知を撤回した松江市教育委員会の委員諸侯も、人物評価としては

「アホ!」

の一言しかない。
こんな連中が仕切る松江市で学ぶ子供たちへの同情を禁じ得ない。

そこへ行くと、我が血筋の啓樹は

「はだしのゲンが読みたい」

と私にねだってきた。
啓樹、お前は偉い!
私は心から褒めてやりたい。

啓樹は全10巻を読み通した。しかし、まだその感想を伝えてこぬ。
ま、確かに、小学3年生が感想を述べるには、重すぎる漫画である。啓樹は、これからの成長の過程で、この漫画で揺すぶられた自分を、ゆっくりと消化していくのだろう。
そういえば、瑛汰にも送った。瑛汰はどう読んだか?

閲覧を制限せず、むしろ

「よくぞこの漫画を読みたいと思ってくれた!」

と欣喜雀躍する私は、彼らの成長が楽しみである。

 

が、本日のテーマは麻生太郎である。何故に、私は太郎ちゃんを評価してしまったのか。

今朝の東京新聞によると、我らが太郎ちゃんは、騒ぎとなった閲覧制限問題についてこういったそうだ。

「もっと他に禁止した方がいいのがあるんじゃないの」

さらに、質問した記者に

「君は読んだことがあるのか。どう思った。俺たちの世代とは感想が違うはず」

と逆に問いかけ、

 「ああいうものが制限されるなら、他の(戦争など過激な描写のある)ものすべて公平に扱わないといけない」

なんと、あの太郎ちゃんがこういったのだ。

たかが一地方自治体の官僚の保身のための行動が引き起こした騒ぎに対し、それを問題視する側(ま、メディアであるが)は、まなじりを決した。放っておけば世界戦争でも起きるのではないかとでもいわんばかりの勢いで、松江市教委を責め立てた。そこに動員された学者、知識人(って、いったい何ののことか、いまだに分からないのだが。単に知識のある人、なら、私などもコメントを求められていいはずだ)は、正面切った批判の論陣を張った。

正直、私、疲れた。そんな大変なことなの? まなじりを決さなきゃいけないことなの? 5時になったらすたこらさっさと職場を離脱し、愛する妻子の待つ自宅に一目散に帰る、ひょっとしたらテニス焼けして、保身と己の快楽しか頭にない地方のアホ官僚に、そこまでの敵意をむき出しにする?

そんな中で、太郎ちゃんの発言に、ホッとした。お金持ち過ぎてカップラーメンの価格も知らないといわれる彼だが、「はだしのゲン」についての発言は、実に肩の力が抜けている。当たり前のことを当たり前のことだと、アホはアホだといって、何処がいけないの? 彼が言っているのはそのようなことである。

もう一度太郎ちゃんの発言を読み直していただきたい。
松江市教委はもとより、それを騒ぎ立てて天下の一大事にしてしまうことで何かを成し遂げた気になっているメディアへの痛烈な批判になっている。
漢字を読めなくても、時々言い間違いをしても、でも、我らが太郎ちゃんは、案外健全な感覚を持ち合わせているのではないか?

太郎ちゃんに問いかけられた記者は、「はだしのゲン」を読んだことがあったのだろうか?

この拙文をお読みいただいた皆様へ。
私の駄文にお付き合いいただいている方々である。大多数の方は、すでに「はだしのゲン」はお読みいただいていると思う。が、もし万が一、まだ眼を通されていない方がいらっしゃったら、ご一読を是非お願いする。

お買い求めいただくのが一番いい。一読すれば蔵書にしたいと思う本である。
暮らしにゆとりがない方は、図書館にお出かけ願いたい。自宅に置かずとも、何度も借り出すという手がある。

原爆の悲惨にめげず、たくましく成長するゲンに、あなたも涙を流していただきたい。

無論、私は何度も泣かされたのであります。