2013
09.26

2013年9月26日 故郷

らかす日誌

私の故郷は福岡県大牟田市である。ここで産まれ、大学に入る19歳まで過ごした。若き日の夢も、人に語る術もない恥も、はじめて胸を焦がした思いも、すべてこの町で体験した。「らかす」を熱心にお読みいただいている方々には既知の事実である。

あ、そうだったっけ? という方も私の読者である。まあ、読んだことをすべて記憶する能力は、私を含めてほとんどの方お持ちでない。読んで忘れる。ただ、読んだときの快感だけは何となく生き残る。うん、それでいいのだ。と思わなければ読書など出来るものではない。

ま、それはいいのだが、今日は、我が故郷大牟田が全国的に知名度を上げた記念すべき日である。

今朝の東京新聞に

「『大牟田方式』全国へ拡大へ」

という記事が掲載された。
なんでも、我が故郷大牟田では、徘徊する認知症患者を地域ぐるみで保護する取り組みを10年前に全国に先駆けて始め、いまや追随する自治体が104に上ったのだという。

へーっ、我が故郷大牟田って、そんなことをやってたんだ!
新鮮な驚きだった。

「うちのジッちゃんがオランごつなった」

と気がついた家族は、直ちに警察に通報する。警察は民生委員や校区役員にメールやファックスで、徘徊していると思われる老人の特徴を伝える。その情報が地域に人たちに伝わり、

「こいつが徘徊してるボケ老人?」

と感づいた人が、まず声をかける。

「じいさん、何処さん行くとね?」

叱ってはいけない。包み込まねばならない。耳が遠いかも知れないので声は大きく、理解力は衰えているかも知れないからしゃべりはゆっくり、感受性は子供なみに戻って恐怖心が大きいだろうから穏やかに、穏やかに。

こうして保護された認知症老人は10年前には112件だったのが、昨年は169件に増えたという。

認知症老人になるのは誰でも嫌であろう。が、老いとは恐ろしいもので、好もうが好むまいが、歳をとれば一定の割合で認知症になる。避けがたいことだ。私は死んでも認知症などになりたくはない。しかし、なってしまえば

「死んでもなりたくない」

と考えたことすら忘れ、ひたすら2歳児、3歳児に戻る。戻って、周りから認知症老人と呼ばれる。呼ばれる私は、夢のような世界でルンルンしているのかも知れないが。
数学の難問に取り組み、ギター練習でひたすら指を動かすことを己に強いている私だって、そんな認知症老人にならないという保証はない。

家族のうちで認知症患者が出て、困るのは本人ではない。それに振り回される家族が、もっぱら被害者となる。

 「その負担、みんなで少しずつ分け合わない? 我が家にだって認知症が出るかも知れないんだから」

という取り組みは素晴らしいものだ。それが我が故郷から生まれた。私は誇りに思う。
そういえば、午後7時のNHKニュースでも大牟田市の取り組みが紹介されていた。よかった、よかった、大牟田市、である。

が、東京新聞の記事を読み進みながら、暗澹とした。
大牟田市の高齢化率(人口に占める65歳以上の割合)は31.6%。10万人以上の都市では全国で2番目の高さだという。我が故郷はいまや、ジッちゃんとばっちゃんの町になってしまった。

大牟田はその昔、燃える石=石炭が見つかり、それに目をつけた三井資本が作り上げた企業城下町である。石炭と、石炭を原料とする化学工業が町を支えた。しかし、エネルギーの主役の座を石油に奪われ、町の勢いは急速に衰える。大黒柱が1本しかなかったが故である。町に勢いがある間に多角化しなかった三井資本の落ち度である。
大牟田が衰弱の勢いを早めたのは私の小学生、中学生時代だ。私が故郷を捨てた後ヤマが閉山され、町の命脈が絶たれた。若者の職場は限られ、いたくても居続けることが出来ない町になってしまった。

考えてみれば、大牟田に住み続ける私の母は91歳である。同居する弟は私より6歳下だから58。その妻女は55歳前後か。弟の子供たちは市外に出た。我が家だけを見ても平均年齢は68歳。
来年になれば、私が中学から高校にかけて恋い焦がれた彼女も、親の仕事を継いで大牟田で肉屋を続けてγGTPが3000を超えた友も、子供のころから成績が悪く、なのに5年生になって素晴らしい絵を描き、

 「この絵はすごい。よく描いた」

と、多分生まれて初めて先生に褒められ、顔を赤くしていた山田君も、65歳以上の高齢者になる。大牟田の高齢化率は、これから上がる一方である。

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや

私は、それほど故郷を恋い慕うものではない。が、今日だけの感傷をお許しいただければ幸いである。