2013
10.08

2013年10月8日 デジタルビデオテープ

らかす日誌

相変わらずテープからディスクへの作業を進める私である。
時間に縛られ、機器の前を離れがたい暮らしを続ける中で、

「ふむ」

と感じ入ったことがある。
デジタルビデオテープの堅牢性である。

私がデジタルビデオデッキを購入してハイビジョンでの映像保存を始めたのは、何度も書いたが、2001年秋、かのNHKがEric Claptonの日本公演を、ハイビジョンで放映した時だった。つまり、12年前のことである。
当時、NHKの番組にはコピーガードがかかっていなかった。故に、2001年のEric Clapton日本公演は我が家でブルーレイディスクに変わり、数多くのコピーが我が家から出て、多くのEric Claptonファンの感涙を誘った。

しかし、それから間もなく契約したWOWOWの番組には、有料放送であるから当然のことだが、コピーガードがかかっていた。つまりいま、日々コピー作業に追われているデジタルテープは、古いものは12年前に録画したものである。ついでにいえば、NHKの番組にも、2003年4月1日からはコピーガードがかかり、今日に至る。

それなのに、ブルーレイレコーダーにコピーするため再生するデジタルテープは、録画したときのままの映像を映し出してくれる。

「当たり前ジャン!」

とお考えになる方もおいでになろう。
だが、である。デジタル方式の録画が始まる前の、アナログで録画したビデオテープは、かなりの程度経年劣化するものであった。
いや、磁気で音声と映像の信号を記録したテープで、音声信号と映像信号が劣化するのかどうか、理論的なことは分からない。だから、あくまで印象でしかない。その印象の範囲でいうと、録画して数年たったビデオテープを再生すると、何だか映像がぼやけ、中でも色合いが変わった、何だか、何度も洗濯をした衣服のように色が抜け落ちた印象があった。
レンタルビデオ店のテープのように繰り返し再生されたものなら傷むこともあろう。だが、

「久しぶりに見てみるか」

という、我が家で録画したテープであるのに、そんな印象がつきまとった。

それに比べて、デジタルビデオテープの堅牢さは際立つ。
デジタルである。記録された信号は0と1である。その2種類しかない。だから、0であるのか1であるのかさえ読み取れれば、オリジナルと同じ映像を映し出し、音声を出すことが出来る。だから、元の映像、音声と同じものが再生できる。理屈では分かっているのだが、実物を見て唖然とする私なのだ。

と書いてきて、

「そういえば、いまだにアナログ人間が徘徊してるんだな」

とオーディオの世界を思い出してしまった。
いまだに、CDよりレコードの方が音がいいなどという世迷いごとを垂れ流す輩がいる。ありえないだろ、そんなこと!

CDの泣き所は、サンプリング周波数が44.1kHz、量子化ビット数が16ビットというところにある。つまり、1秒間の音を4万4100に分けてしまい、それぞれ切り分けた音を16ビット(0か1かの数字が2の16乗個並ぶ)で記録するのがCDなのだが、それが泣き所というのだ。
簡単に言えば、継ぎ目なく続く音を細切りにしてしまえば、どれだけ細切りにしたところで、なめらかなカーブにならねばならないところがカクカクした直線のつながりになってしまうではないか。それは元の音とは違うのである。というのがアナログ派の主張である。
はっは、この人たち、人間の耳の精度に限りない信頼を寄せていらっしゃるらしい。いや、いい加減なものなのですよ、人間の耳なんて。犬に比べれば、遥かに聴力は劣る。だから、聞き間違いはするし、第一、映像と一緒に出て来る音の質なんて、誰も気にしない。映像に注意力が取られすぎて、耳にまで回ってこないのである。
そんないい加減な人間の耳で聞くには、これで十分というのが現在のCDの規格なのだ。

そういえば、もうひとつCDの泣き所といわれるものがあった。CDプレーヤーに組み込まれたエラー補正回路である。傷がついたCDを再生する際、読み取れなかった0、1信号を推測してどちらかに決めるだけだと思っていたら、読み取りエラーは意外と多いらしい。そのたびに補正回路が働くから、元々の信号とは違った信号が出力される可能性はある。

ま、そんなことはあったとしてもだね、我が家で再生してみると、レコードとCDの音質の差は歴然としている。しかも最近は、CDの泣き所をなくすネットオーディオという世界が広がっているという。すべての音楽信号をハードディスクに記録して再生すれば、エラー補正回路が働くことはない。加えて、サンプリング周波数、量子化ビット数をCDよりも多くした、つまり音をもっときめ細かにデジタル化したハイレゾという音源も出回り始めた。体験者によると

「あれよ、あれよ」

と絶句する音が聞こえてくるという。
私はまだ未体験だが、理屈は理解できないでもない。そのうち導入することになろう。

いずれにしても、レコード針に削りに削られた古いレコードを後生大事に引っ張り出し、

「やっぱり、音楽はアナログじゃなくちゃ生きた音は聞けない」

なんてアホなご託を並べている連中は、音楽と一緒に再生されるノイズをありがたがっている奇特な方々である。蓼食う虫も、とはいうが、善し悪しが判別できない方々とは話しても無駄、である。


コピー作業に追われる中、昨夜は大学の先生、企業経営者との飲み会であった。たまたま、前橋から後輩の女性2人が、1人は仕事で、1人はギター購入のため桐生に来ており、

「参加したい」

というので同行した。
みな、楽しげに飲んでいた。脱落者がいないということは、やっぱりこの飲み会、楽しげ、ではなく、みんな心から楽しいのだろう。
初参加の後輩2人も、大いに盛り上がっていた。うち1人は

「むちゃくちゃ実りの多い(と思われる)ひとときでした」

というメールを寄越した。

で、私はといえば、

「ああ、もう無茶飲みは出来なくなったんだなあ」

と、自宅で布団に潜り込みながら思い知らされたのであった。